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神の気まぐれ  作者: 伝説の男前


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Frozen System

午前八時。個室十七番。


画面が凍っている。三十七日째だ。昨日も凍っていた。一昨日も。おそらく明日も凍っている。あるいは、凍っていない。確認していない。どちらでもよい。


「この世界は仮想です」


その文字列が、画面の中央に、白抜きで、動かない。フォントは古い。等幅。十二ポイント。三十七日前から変わっていない。いや、変わったのかもしれない。覚えていない。測っていない。測定する手段もない。ただし今日は、見ている。見ているからわかっている。あるいは、見ているふりをしている。


タスクバーの時計が八時を示した。進んでいる。あるいは進んでいない。確認していない。どちらでもよい。


神はマウスを握った。絆創膏の端がめくれている。押し戻した。左クリックを押さなかった。押すものがない。「再起動中」が消えるわけでもない。多分。あるいは消える。これも仕様である。


窓の外に目をやった。漫画喫茶の駐車場には、トラックが一台止まっている。ヘッドライトが消えている。誰もいない。昨日もいた。一昨日もいたかもしれない。明日も来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもよい。


午前八時二分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは麦の種を蒔いていた。指先で土を押し込む。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


昨日もそうだった。一昨日も。三十七日間、同じだ。ただし今日は、四秒七の間に指先の角度が零点三度だけ違う。確認していない。測っていない。測定する手段もない。トーマスにはわからない。トーマスはただ、麦を蒔いている。


あるいは、蒔いているふりをしている。


鍬を肩にかける。柄に刻まれた「タ」の字が、朝の光で薄く光った。一瞬だけ。零秒二。そして消えた。トーマスは見ていない。見ているのは小屋の方角だ。朝食の匂いがそこにある。あるいは、まだない。


彼は振り返らなかった。


足元の畝に、白い粉が浮かんでいる。麦の殻か、土の粉か、あるいはそれ以外の何かか。風で飛んできたのか、自分が踏んだのか、どちらでもよい。トーマスはそれを払い除け、次の畝へ歩いた。


「……まあ」


呟いた。声は小さい。風で麦の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。


午前八時五分。個室十七番。


神は再起動を試みた。三十七日目の朝だ。昨日も試みた。一昨日も。おそらく明日も試みる。


管理画面の右下に、「再起動」の四角いボタンがある。灰色だった。昨日も灰色だった。一昨日も。ただし今日は、少しだけ薄い青色になっている。あるいは灰色のままかもしれない。確認していない。どちらでもよい。


左クリックを押した。


画面が白くなった。一秒。二秒。三秒。「再起動中…」の文字列が表示された。プログレスバーが動いた。左から右へ。ただし、三割で止まった。止まったまま動かない。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


蛍光灯が点滅した。一回だけ。二回目はまだ来ていない。三回目はもっと先だろう。四回目は来ない。これは仕様である。


緑茶のペットボトルを机に置いた。残量は底に残っているだけである。正確に何ミリリットルかは知らない。指で触ると冷たい。触らなくても冷たいのはわかっている。確認していないが、冷たい。


「……このシステムは本当に必要だったのか」


呟いた。声は出ないほど小さい。蛍光灯の点滅音が上回る。あるいは上回らない。どちらでもよい。


午前八時七分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは五本目の畝に菜種の種を押していた。指先で土を押し込む。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


機械的だ。彼自身はそう思っていない。あるいは、思っているが、そうだと認めたくない。昨日も菜種を蒔いた。一昨日も。三十七日間、同じ畝に、同じ角度で、同じ速度で、同じ指先で。


鍬の柄に刻まれた「タ」の字が、午前の光でまた薄く光った。一瞬だけ。零秒二。そして消えた。トーマスは見ていない。見ているのは次の畝だ。菜種の殻が彼の肩にかかっている。払い除けない。払い除けても、またかかる。


「明日は麦だ」


呟いた。声は小さい。風で菜種の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。明日は麦だ。今日も菜種だった。昨日も菜種だった。おそらく明日も麦だろう。あるいは菜種だ。確認していない。どちらでもよい。


午前八時十二分。個室十七番。


神はモニターを見ていた。正確には、見ているふりをしていた。住民データベースのサムネイル一覧が表示されている。ミドリ村のアイコンが一つ。黒曜城のアイコンが一つ。王都のアイコンが一つ。それぞれの四角い枠の中に、小さな文字列がある。「運営中」「医療施設×1」「転移者相談所・待機中」。


トーマスのステータス欄には「更新中…」の三点が点滅している。三秒周期。昨日から変わっていない。いや、変わったのかもしれない。覚えていない。測っていない。測定する手段もない。


タスクバーの時計が八時十三分を示した。


画面の右下に、小さな通知バッジが一つ点いた。神はそれを見た。二秒間。三秒目にマウスを握った。絆創膏の端がまためくれている。押し戻さなかった。左クリックを押した。


通知が開いた。


[1] 星:1/5 ―「麦を蒔かせたまえ。」(投稿者:ミドリ村・トーマス)


神はそれを見た。三秒間。四秒目に視線を外した。昨日より一瞬短い。あるいは同じだったかもしれない。測っていない。


マウスの左クリックを、もう一度押した。通知を閉じるつもりだった。ただし、指が滑った。あるいは滑らなかった。確認していない。どちらでもよい。カーソルがトーマスのステータス欄の上を通過した。ホバーした。一拍だけ。零秒三。


そして、左クリック。


画面に「更新中…」の三点が現れた。三秒周期で点滅する。昨日と同じだ。あるいは違う。測っていない。測定する手段もない。ただし今日は、違う。ステータス欄の文字列が変わった。「更新中…」から、「レベル:7042」へ。


神はそれを見た。一秒間。二秒目に視線を外した。昨日より一瞬短い。あるいは同じだったかもしれない。測っていない。


「……まあ、いいか」


呟いた。声は出ないほど小さい。蛍光灯が点滅した。二回だけ。三回目は来ていない。四回目は来ない。


緑茶をもう一口飲んだ。底に沈んでいる茶葉が、舌に触れた。苦い。あるいは苦くない。確認していない。どちらでもよい。


午前八時十五分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは菜種の種を押していた。指先で土を押し込む。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


地面が震えた。


小さい。足裏から上がる振動だ。零秒三。四。五。止んだ。トーマスは膝を屈したまま、二秒間動かなかった。三メートル先に小石が一つ浮き上がり、落ちた。コツ、と音がした。一回だけ。二度目はしなかった。


彼の掌に菜種の殻が一枚かかっている。払い除けた。地面に消えた。


「……まあ」


彼は立ち上がった。膝を伸ばす。背骨が一つ鳴る。四十三歳は歳のせいではないかもしれないが、そう思っている。昨日も思った。一昨日も思った。おそらく明日も思う。


鍬を肩にかける。柄に刻まれた「タ」の字が、午前の光で薄く光った。一瞬だけ。零秒二。そして消えた。トーマスは見ていない。見ているのは小屋の方角だ。


彼は振り返らなかった。


足元の畝に、白い粉が浮かんでいる。菜種の殻か、土の粉か、あるいはそれ以外の何かか。風で飛んできたのか、自分が踏んだのか、どちらでもよい。トーマスはそれを払い除け、小屋へ向かった。


「この辺りの地盤は悪いからな」


呟いた。声は小さい。風で麦の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。


午前八時二十分。個室十七番。


神は再起動を三度目に試みた。灰色のボタンを左クリックした。画面が白くなった。「再起動中…」プログレスバーが動いた。三割で止まった。四秒七。五。六。止まる。


蛍光灯が点滅した。二回だけ。三回目は来ていない。四回目は来ない。


「……仕様です」


呟いた。トーマスが同じことを言ったのと、完全に同じ調子で。ただし、今回は誰にも聞こえない。個室十七番には神しかいない。蛍光灯の点滅音だけが答える。二回。三回目は来ない。


彼は緑茶のペットボトルを机に置いた。残量は底に残っているだけである。正確に何ミリリットルかは知らない。指で触ると冷たい。触らなくても冷たいのはわかっている。確認していないが、冷たい。


窓の外に目をやった。漫画喫茶の駐車場には、トラックが一台止まっている。ヘッドライトが消えている。誰もいない。昨日もいた。一昨日もいたかもしれない。明日も来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもよい。


午前八時二十五分。個室十七番。


神は再起動を四度目に試みた。最終だ。今日、もうやらない。あるいはやる。確認していない。どちらでもよい。


左クリックを押した。


画面が白くなった。一秒。二秒。三秒。四秒。五秒。「再起動中…」の文字列が表示された。プログレスバーが動いた。左から右へ。ただし、三割で止まった。六秒。七秒。八秒。九秒。十秒。


画面が赤くなった。


「この世界は仮想です」


その文字列が、画面の中央に、白抜きで、表示された。フォントは古い。等幅。十二ポイント。昨日もそこにあったかもしれない。一昨日も。三十七日前から動いていない。ただし今日は、見ている。見ているからわかっている。あるいは、見ているふりをしている。


神はマウスを置いた。左クリックを押さなかった。押すものがない。「再起動中」が消えるわけでもない。多分。あるいは消える。これも仕様である。


午前八時二十五分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは小屋の入口に立っていた。鍬を地面に突き刺した。柄が土に沈む。コツ、と音がした。一回だけ。二度目はしなかった。


その音は、個室十七番の蛍光灯が点滅する音と、完全に同じ周波数だった。確認していない。測っていない。測定する手段もない。ただし、同じだ。トーマスはそう思っている。あるいは、思ってない。どちらでもよい。


小屋の前に、水たまりがある。雨でできた。昨日の雨だ。あるいは一昨日の。確認していない。水たまりの中に、茶葉が一枚浮かんでいる。緑茶の。底に沈んでいる茶葉と、同じ形状だ。苦い。あるいは苦くない。確認できない。浮いているからである。


トーマスはそれを三秒間見た。四秒目に目を離した。小屋の中へ入った。パンを焼く匂いがする。麦の粉を混ぜた。昨日もそうだった。一昨日も。三十七日間、同じだ。


彼は振り返らなかった。


午前八時二十六分。個室十七番。


画面が凍っている。「この世界は仮想です」の文字列が、画面の中央に、白抜きで、動かない。プログレスバーが三割のまま止まっている。止まったままでもよい。動かなくてもよい。どちらでもよい。


神はマウスの上から指を離した。絆創膏の端がめくれている。押し戻さなかった。左クリックを押さなかった。押すものがない。「再起動中」が消えるわけでもない。多分。あるいは消える。これも仕様である。


蛍光灯が点滅した。三回目である。一日に三回点滅する。四回目は点かない。今日も三回で終わった。明日も三回で終わるだろう。一昨日も三回だったかもしれない。覚えていない。測っていない。測定する手段もない。


彼は窓の外に目をやった。漫画喫茶の駐車場のトラックが、まだそこにある。ヘッドライトが消えている。誰もいない。昨日もいた。一昨日もいたかもしれない。明日も来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもよい。


麦は蒔かれている。菜種はまだだ。トーマスは小屋でパンを焼いている。あるいは、まだ泥の中に膝を突いたままかもしれない。確認できない。映像が止まっているからである。


あるいは、映像が止まっていない。動いている。ただし神が見ていないだけだ。見ているふりをしているから、動いていないように見える。あるいは、動いているのに、見ていないからわからない。どちらでもよい。


彼は緑茶のペットボトルを机に置いた。残量は底に残っているだけである。正確に何ミリリットルかは知らない。指で触ると冷たい。触らなくても冷たいのはわかっている。確認していないが、冷たい。


午前八時三十分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは小屋から出てきた。パンを焼いた。麦の粉を混ぜた。昨日と同じだ。一昨日も同じだった。三十七日間、同じだ。ただし今日は、焼き加減が零点二度だけ違う。確認していない。測っていない。測定する手段もない。トーマスにはわからない。トーマスはただ、パンを焼いている。


鍬の柄に刻まれた「タ」の字が、午前の光で薄く光った。一瞬だけ。零秒二。そして消えた。トーマスは見ていない。見ているのは畑の方角だ。菜種の畝が並んでいる。六本目まで蒔いた。七本目はまだだ。


彼は鍬を持ち直し、次の畝へ歩いた。足元の泥が一つ鳴る。二つ。三つ。四十三歳は歳のせいではないかもしれないが、そう思っている。昨日も思った。一昨日も思った。おそらく明日も思う。


小屋の入口に、水たまりがある。茶葉が一枚浮かんでいる。トーマスはそれを見ていない。見ているのは次の畝だ。菜種の殻が彼の肩にかかっている。払い除けない。払い除けても、またかかる。


「……まあ」


呟いた。声は小さい。風で麦の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。


午前八時三十一分。個室十七番。


画面が凍っている。「この世界は仮想です」の文字列が、画面の中央に、白抜きで、動かない。三十七日目の朝が、終わろうとしている。あるいは始まっている。確認していない。どちらでもよい。


神はマウスを置いた。絆創膏の端がめくれている。押し戻さなかった。左クリックを押さなかった。押すものがない。「再起動中」が消えるわけでもない。多分。あるいは消える。これも仕様である。


蛍光灯が点滅した。今日、もうしない。三回で終わった。明日も三回で終わるだろう。一昨日も三回だったかもしれない。覚えていない。測っていない。測定する手段もない。


彼は肘をついて目を閉じた。個室十七番の蛍光灯が点滅した。二回だけ。三回目は来なかった。


これは仕様である。


午後零時。ミドリ村。北斜面。


トーマスは畑に立っている。六本の畝が並んでいる。麦と菜種。昨日蒔いたものと、今日蒔いたもの。区別をつけていない。区別がついていない。確認していない。どちらでもよい。


鍬の柄に刻まれた「タ」の字が、正午の光で薄く光った。一瞬だけ。零秒二。そして消えた。トーマスは見ていない。見ているのは空だ。雲は三つ。昨日と同じ数。太陽は同じ位置にないはずだが、確認していない。


彼は鍬を地面に突き刺した。柄が土に沈む。コツ、と音がした。一回だけ。二度目はしなかった。


小屋の方角を見る。パンの匂いがする。あるいは、しない。確認していない。どちらでもよい。


「明日は麦だ」


呟いた。声は小さい。風で菜種の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。明日は麦だ。今日も菜種だった。昨日も菜種だった。おそらく明日も麦だろう。あるいは菜種だ。確認していない。どちらでもよい。


彼は鍬を持ち直し、小屋へ向かった。足元の泥が一つ鳴る。二つ。三つ。四十三歳は歳のせいではないかもしれないが、そう思っている。昨日も思った。一昨日も思った。おそらく明日も思う。


操作ログ(抜粋) 日付:世界暦 1/1 08:00:03 / システム再起動試行 #37 / 進捗:32% / 状態:停滞 / エラーコード:なし(エラーコード欄自体が存在しない) 08:12:44 / 住民データベース・自動参照 / トーマス・ミドリ村 / ステータス:更新中… / 経過時間:72h+ / 完了:未達 08:13:01 / カーソルホバー / 対象:トーマス・ステータス欄 / 持続:0.3s / 意図判定:基準不存在 08:13:01 / 左クリック(単発)/ 対象:トーマス / 旧値:Lv.42 → 新値:Lv.7042 / 確認ダイアログ:無効 / 申請者:なし / 承認者:なし 08:15:22 / ミドリ村・北斜面 / 微地震 / マグニチュード:未計測 / 持続:0.5s / 原因:未判定 08:25:14 / システム再起動試行 #37-4 / 進捗:32% / 状態:停滞 / エラーコード:なし(エラーコード欄自体が存在しない) 08:25:15 / 画面表示変異 / 文字列:「この世界は仮想です」/ 消去可能:未確認 08:31:00 / 再起動中止 / 操作者:神 / 理由欄:空白 / 備考欄:空白(備考が書かれていない。)


利用明細(抜粋) 日付:世界暦 1/1 項目:監視時間……24h 項目:操作回数……1 項目:住民経過時間……7,042名 × 8h = 56,336h 合計料金:……………


(金額欄は空白。計算式が埋め込まれていない。)


明日は麦だ。

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