鉄の一台
ある日。
私はいつも通り、朝早くから工房に籠もっていた。
一区切りついたところで手を止め、時計を見る。
——時間だ。
胸の奥が、落ち着かない。
今日は、特別な場所へ向かう。
外套を羽織り、街の端へと急いだ。
辿り着いたのは、ミゲル工房。
ギルドで増産が反対されたあの日、
「金属でやるなら声をかけてくれ」と言ってくれた男の工房だ。
煉瓦造りの小さな建物。
煙突からは細い煙が立ちのぼっている。
扉を押すと、熱気が頬を打った。
金床を打つ甲高い音。
炉の火の唸り。
油と煤の匂い。
木屑の香りとはまるで違う。
空気そのものが、重く、硬い。
「こんにちは」
奥で槌を振るっていた青年がこちらに気づき、ゆっくりと槌を下ろす。
袖をまくった腕には煤がつき、額には汗が張り付いている。
工房の主、オリバーは手袋を外し、口元をわずかに緩める。
「フィーネ。ちょうどいいところにきた」
奥へ案内される。
炉や金床や万力が並ぶ横を抜け、空間の空いたところに出る。
そこには、布のかかったものが置かれていた。
オリバーは布に手をかける。
少しだけ誇らしげに。
「一台目、できた」
布が滑り落ちる。
息が止まった。
そこにあったのは、鉄で組まれた自転車。
磨ききっていない銀灰色のフレームが、炉の火を受けて鈍く光る。
細いのに、弱さを感じさせない。
まっすぐに、意志を持った線のようだった。
同じ形のはずなのに、木製とはまるで違う。
温もりではなく、張りつめた緊張感。
指先で触れると、ひやりと冷たい。
「……強そう」
思わず漏れた声に、オリバーが笑う。
彼がフレームを指で弾く。
キン、と澄んだ音が工房に響いた。
「叩いても、ねじっても、びくともしねぇ。
しなりは少ないが、その分、踏んだ力はそのまま前に出るはずだ」
そして、少し視線を逸らしながら言う。
「昨日、出来てすぐに乗ってみた」
「……どうでしたか?」
「踏んだ瞬間、前に引っ張られた。景色が勝手に後ろへ流れてくんだ。
風を裂くってのは、ああいうことかもな」
その目は、少年みたいに輝いていた。
頬が、自然と上がる。
「よかったです」
「今からクララさんのところへ持っていくんだろ?
よかったら、乗って行けよ」
「え? でも……」
鉄の自転車、第一号だ。
私が乗って何かあったら。
「大丈夫だ。鉄はそんな簡単に折れねぇ。
もし壊れても、すぐ直してやる」
当たり前みたいに言う。
私は頷く。
「ありがとうございます。乗っていきます」
鈍く光る骨組みを見つめる。
期待に胸が高鳴った。
木のときとは違う鼓動だった。
「じゃあ俺は作業に戻る。二台目が途中なんだ。
クララさん、容赦ねぇからな」
苦笑する横顔。
この工房に徒弟はいない。
一人で、叩き、削り、組み上げる。
簡単に数を出せる規模じゃない。
それでも、王都へ出す分を、ここでも積み上げようとしている。
「本当に……引き受けてくださって、ありがとうございます」
オリバーは少しだけ照れたように視線を逸らす。
「あれを体感しちまったらな。……作らずにはいられねぇだろ」
木では届かなかった場所へ。
この一台が、連れていってくれる気がした。
私一人では、辿り着けなかった場所へ。




