揺れる位置(エルンスト)
フィーネが出て行った直後。
ノックもなく、扉が開いた。
私は顔を上げる。
「アルドか。何の用だ」
不機嫌そうな顔で入ってくる。
「何?なんであの子ここにいたの?何の話してたの」
詰問口調。
「自転車の増産が反対されているらしい」
「知ってる」
アルドは片眉を上げた。
「それで? 君の部屋まで来て泣きついたの? ……あれと一緒じゃん」
空気が、わずかに冷える。
アルドがあれと呼ぶ存在。
私の幼馴染。
「違う」
思ったより低い声が出た。
無意識に、指先に力が入っていた。
アルドが目を細める。
「何が違うの」
「彼女は、私が連れてきた」
「でも結果的に頼ったんだろ?」
一拍。
「……違う。助力を、断られた」
「は?」
素っ頓狂な声。
「断られた?」
「自分でやるそうだ」
アルドは数秒黙り、それから小さく吹き出した。
「なんだそれ。変わってるね、あの子」
私は答えず、
扉の向こうへ消えた華奢な背を、思い出していた。
顔色は悪かった。
声も揺れていた。
それでも。
差し出した手を、取らなかった。
——自分で考える、と言った。
最初は、彼女のことを理解できなかった。
危険なことばかりする。
無謀だとさえ思った。
だが、彼女と接するにつれ、気づいた。
彼女は無鉄砲なのではない。
覚悟を持って進んでいる。
危険があると知った上で、踏み出す。
だからこそ、危うい。
だからこそ、守らなければならない、と思っていた。
——そう思っていた。
それが、正しい距離だと。
今日もそうだ。
助けを差し出せば、きっと受け取るだろうと思っていた。
だが、彼女は首を振った。
自分で引くと言ったのだ。
責任の線を。
「今はそう言ってても、どうせそのうち君を頼るよ。ああいう子は結局——」
「いや」
思わず、遮る。
アルドが目を瞬かせた。
私は一拍置いて、言い直す。
「……彼女は、強い」
自分の口から出た言葉に、わずかに驚く。
アルドはじっと私を見る。
「ふーん。ずいぶん評価高いね」
——エリザとは、違う。
エリザは困ればすぐに頼ってきた。
だから私は、守る側でいればよかった。
守ることで、存在意義を保てた。
だがフィーネは。
守られるだけの位置に、留まらない。
自分で立ち、自分で決め、自分で前に進む。
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
誇らしい、とすら思う。
同時に。
落ち着かない。
手の中から、役目が滑り落ちたような感覚。
これは何だ。
守る必要がないと知った安堵か。
それとも。
守れないことへの——
「おーい、怖い顔してるよ」
アルドの声で思考が途切れる。
エルンストは小さく息を吐いた。
「……何でもない」
違う。
そういうものではない。
首を振り、机の書類に視線を落とす。
だが、しばらく文字は頭に入らなかった。
机の上の報告書の文字が、わずかに揺れて見えた。




