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広がる流れ

 商会の応接室。


 深い色のソファに腰を下ろすと、柔らかな布地が身体を包んだ。

 クララの部屋は、いつ来ても華やかだ。

 急に呼びつけたことを軽やかに詫び、私の顔色を確かめるように目を細める。


「どう? 忙しいわよね?ごめんなさいね」


 向かいのソファで、クララがにこやかに言う。


 侍女が紅茶を置き、菓子皿が差し出される。


「ほら、お菓子も食べなさい。無茶させてるのは分かってるんだから。あなた、こんなに細いんだもの。せめて食べてちょうだい」


「ありがとうございます」


 甘い香りが立ちのぼる。


 ひと口かじると、ほろりと崩れた。


「自転車、すごいわよぉ」


 クララの目がきらきらと輝く。


「もともとは庶民向けだったでしょう? でもね、今は貴族も欲しがってるの。庭園で乗りたいとか、狩場まで移動に使いたいとか」


 町でも見かけるようになってきたけれど、そこまでとは思わなかった。


 人気が、出ている。


 胸が少しだけ高鳴る。


「それでね、今日は増産の相談なの」


 クララは身を乗り出した。


「かなり需要が伸びてきたわ。フィーネ一人で対応するのは、もう難しいでしょう?」


「……そうですね。正直、今でぎりぎり精一杯です」


 夜の作業が頭をよぎる。


「でしょうねえ」


 クララは頷く。


「ギルドに正式に話を通して、増産体制を組みたいの。職人を増やして、工程を分担する。いいかしら?」


 私は一瞬だけ迷い、そして頷いた。


「大丈夫です」


「安心して。利益はちゃんとあなたに入るわ。今より、もっと多くなる」


 今でも十分すぎるほど受け取っている。


 これ以上、とは。


 正直——怖い。


 金額を見るのが、怖い。


 自分がどこまで進んでいるのか、突きつけられるようで。

 増えていく数字が、私の後戻りできなさを示しているようで。


「それなら……」


 私は、前から考えていたことを口にすることにした。


 立ち止まるより、進むほうがまだ怖くなかった。


「これを機に、金属製に挑戦してみたいんです」


 クララが目を瞬かせる。


「金属?」


「はい。木製より強度が出ますし、長距離にも向きます。ただ、加工精度が必要になります。技術的な難度はかなり上がると思います」


「そうなのね」


 クララはすぐに思考を巡らせる顔になる。


「価格は上がるわね。でも……いいかもしれない」


 指先でカップを回す。


「金属製は貴族や資産家向け。木製は庶民向け。市場を分けられるわ」


 にこりと笑った。


「そういう方向で話を通すわね」


 商談は滑らかにまとまる。


 流れは、止まらない。


 部屋を出るとき、私は一度だけ振り返った。


 華やかな部屋。

 甘い香り。

 成功の気配。


 流れは、どんどん大きくなる。


 私は、その中心にいる。


 ——けれど。


 研究室の机が、遠い。


 胸の奥に、またあの冷たい感覚が広がる。


 増産。

 金属化。

 拡大。


 前へ、前へ。


 私の流れは、安定を失っている。

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