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足で止める

エルンストが中央に呼ばれてから、数日が経った。


ギルドには毎日行っているが、長くは滞在しない。

記録をまとめることはできるけれど、新しい実験はできないからだ。


「……久しぶり、だね」


私は、家の物置の奥から、自転車を引っ張り出した。


細い木の骨組み。簡素な鞍。木の歯車とベルト。

相変わらず、飾り気はない。


外に出して、軽く埃を払う。


壊れてはいない。

でも、ずっと触っていなかったせいか、少しよそよそしい気がする。


跨って、地面を蹴る。


がた、と音を立てて、車輪が回り始めた。


久しぶりの感覚に、思わず息が弾む。

風が、思ったより強く頬に当たる。


——速い。


以前より、街の道に慣れたせいかもしれない。

それとも、無意識に、力を込めているのか。


曲がり角が近づく。


私は、反射的に、足を伸ばした。


靴底が、地面を擦る。


——ざざざ、と鈍い音。


ようやく止まった。

止まるまで、時間と距離がかかる。


「……やっぱり」


心臓が、遅れて鳴り出す。


前は、乗っていてもそこまで気にならなかった。


でも。


速度が出るほど、

止まるまでの距離が、はっきり長くなる。


もう一度、走らせる。

少しだけ、速く。


同じように、足を下ろす。


——止まる。

けれど、やっぱり、遅い。


私は、自転車を降りて、じっとそれを見た。


構造は、単純だ。

走ることだけを、考えている。


止めることは、まだ、乗り手の感覚に、丸投げされている。


「やっぱり、止まるための仕組みが、必要だよね」


独り言が、空に溶ける。


走れるだけでは、足りない。

使われる場所が広がれば、速度も、条件も変わる。


エミールが使うなら、ちゃんと安全なものにしたい。


そう思った、その時だった。


「それ、あなたの?」


後ろから、艶やかな声がした。


振り返ると、少し離れたところに、若い女性が立っていた。


服装は落ち着いている。

だけど、質がいいのか、派手ではないのに目立つ。


「……はい」


私が答えると、彼女は自転車を一瞥して、軽く頷いた。


「もしかして、あなた、フィーネ?」


「え?」


私の疑問を感じ取ったのか、女性は私の答えを聞かずに続ける。


「構造登録。したでしょう。自転車として。

前に、目にした時に覚えてたの。

木製フレームで、この組み方。珍しくて」


そして、私を上から下まで見る。

視線が、物を値踏みするそれだ。


「あなた、ずいぶん綺麗な顔してるのね。磨けばもっと光りそう。その外見から、ものづくりしてるなんて、想像つかないわ」


「はい?…あ、ありがとうございます?」


どう言う意図での発言かわからず私は困惑した。

すると、彼女は、にこりとして、相変わらず艶やかな声音で言った。


「ごめんなさいね、私、可能性を感じるものに目がなくて」


そして、自転車を指差す。


「それ、売る気は、なさそうね」


「……今のところは」


「でしょうね」


納得したように言う。


「生活に根付いた設計だもの。

“売るため”に作った顔じゃない」


少しだけ、胸が詰まった。

——自分も、そうなればいい、と思って設計したから。エミールの、足になれば、と。


彼女は、クララと名乗った。


新しく立ち上がった商会の主だと。


そう言ってから、こちらを見る。


「何か困ったら、連絡して。

“売る気のない発明家”って、嫌いじゃないから」


名刺代わりの札を置いて、彼女は去っていった。


私は、しばらく、その場に立ち尽くしていた。


自転車に、もう一度、手を置く。


走る。

そして——止める。


考えることが、増えた。

それは、悪いことじゃない。


むしろ。


「……次は、止まる方だね」


自転車は、何も答えない。


けれど、私はもう、気づいてしまった。


走れるだけのものは、まだ、完成じゃない。

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