井之章「孟章は来援したり、泰山の区園を探る」 四話
山中、鬱蔭の下である。
執明と監兵が、丁淩を庇いながら待っている所に、陵光と孟章は還ってきた。
陵光は一つ、孟章は二つ。それぞれが甲を入れていた嚢を抱えている。陵光が地に嚢を置いた直後に、執明が近寄ってきた。
「陵光、万全?」
嚢の緒を開きながら、執明は言う。
「恐らく」
「恐らく?」
「衆が多く、確かめる隙が作れませんでした」
そう、と素っ気の無く、執明は返答を受けている。
開けた嚢の中には藍色の布地が見えていた。すぐに執明は、陵光へと示した。
「これ、あなたのよ? 後ろは?」
「──逐捕の者は来ないでしょう。その程度には」
「そんなに?」
「ええ、まあ」
「なら安心ね。陵光と孟章がそんなにねぇ」
陵光から、執明へ茶化すなとも言い辛かった。むしろ評された通りであろうと思っている。
潰した警察の车は五、六。躱した者は数十。路を損壊し、火を放ち、傍に植わった木も幾らか使った。もっと言えば、丁淩に謝らねばならない事もある。
「執明殿」
「どうしました?」
陵光は執明の、ふざけ交じりの言葉遣いに少し息を吹いた。
「丁淩殿に、貴方の车は無事で居られなかったと」
「あら」
執明は、陵光の言葉に驚いたような貌をしながらも、それが嘘であったか流れる様に丁淩へと説明し始めている。
丁淩は胡坐を掻いていた体を、一段丸くした。顔を険しくしながら、言葉は何ひとつ発さなかった。
陵光も丁淩の心情は察している。黙って、己の甲を検めた。
そして甲の万全を知った後に、丁淩はようやく声を発し始めた。
「它是怎么死的?」
意気消沈といった語気である。
「何と?」
陵光は丁淩の言葉の内容を執明に訊きながら、監兵へ白金の甲が入った嚢を手渡した。
「どうやって、あいつは死んだのかって」
「死ぬ? ──私と孟章が彼らと競っている最中、步枪の弾が幾らか貫きました。まだ動くとしても、既に鹵獲されているのではないかと」
執明は聞き受けて、そのまま丁淩へと伝えた。
首を何度も縦に振った丁淩は
「嗯、嗯──」
とばかり、呻いている。そして執明の文言が終われば、頭を抱えて長く嘆息した。
吐き終わるのと同じくして、顔を上げた。目は少し光っている。
「唉、没办法。接下来干什么?」
丁淩が執明へと問い掛けていた。
「爬泰山」
「嗯」
そのまま丁淩は立ち上がり、袴の塵を払った。
様子を見ていた執明は、陵光へと向き直って
「彼、やる気になったらしいわね」
などと、宣っている。
「どういう」
「车を壊されたことが、よっぽど癇癪させたみたい。熱されている内に行くのが良いわね」
「そうですか、では──」
陵光は執明へと、残る一つの嚢を手渡した。
「執明殿も、お確かめください」
執明は愛想を作って、陵光から嚢を渡された。緒を解き甲を地に並べつつ、欠けが無いかを確かめ始めている。
それから半日ばかりが経ったのではないか。
暫く泰山の周囲を巡って、麓の街が瞰渡せるだけの高さまで登った。
衆目を避けたいと山林を通ったのもある。高きに往くに連れて、冷えてきたのもある。丁淩も勢い付けて蹤いてきたのは良いが、少しずつ後悔が生じているらしい。
暗くなってくる毎に、余計そうなっていた。陵光は己の火と、孟章の拾ってきた柴とを使って燎を設えた。丁淩は、その火に張り付いている。
既に甲である孟章を除いて、三柱は各々に甲へと装いを変えた。
人の衣を着ようとも、もう目立たない訳では無くなったのだから、という理由である。今後も購った衣は持ち続ける事にしたが、それも
──無いよりは
という程度の認識であった。
「まあ、そっちの方が似合ってらあな」
孟章は諧謔を含めて言った。
白金の甲に身を包んだ監兵は、そんな孟章を昵と睹視している。
「兄哥ぃ──そんな腕になりたい」
「馬鹿言うな、でけえのも考えもんだぞ。陵光くらいがちょうど良い」
「兄々がかあ」
監兵は陵光を一瞥した。少し見ただけで、すぐに孟章へと目を戻した。
「いやあ──」
監兵は納得をしなかったらしい。
確かに孟章の腕は木の幹に似て、監兵の胴すら収まりそうな程である。筋も浮き立ち、監兵が好みそうな甚だしさで謂ったら、陵光なぞ目にも入らないだろう。
「そいっ」
監兵が勢いのままに孟章の腹を殴った。
「止めろや──他にしねぇか」
「いないんだもん」
言い訳をしながら、監兵は何度か孟章に拳を当て続けた。
執明は微笑ましそうに眺めているだけだから、陵光が止めなければならない。
「監兵、離れろ」
「いや」
「笞が良いのか。筆が良いのか」
陵光は二言、低く告げた。その言葉を聞いた途端、監兵は腕を下げている。
「わかったよ──」
「乱暴は赦さん。良いな」
監兵は孟章から離れ、代わりに陵光が孟章の傍に寄った。殴られていた部分を診ながら痛めていないか、陵光は具に確かめた。
「腔に入ってないか」
「平気だ、あの程度」
「とはいえ、監兵だろう」
陵光が気にしたのはそこであった。力加減が下手な戦神というだけで、かなり殆うい。現に孟章が殴られている時、背後に在る草木は揺れていたのだ。
「良んだよ、あれで」
「崩れてからでは遅いぞ」
「まあな」
孟章は腹を摩りながらであったが、陵光を手で除けて座った。
声を漏らしながらである。それだけで陵光には、平気だと断言できる確証なぞ無いように思えた。
監兵は執明へ体を凭れている。執明はそれを受け容れている。
──それでは育たん
陵光は叱責をしたくなったが、孟章が気を遣っているのも判ったから声を出さなかった。
暗い内、動くのも危ないからと一所に留まり、夜明けを迎えてから多少の準備を始める事にした。
陵光は一晩、燎を消えないようにしていた。
空が白んできた辺りで、丁淩も自然と目を醒ましている。まだ寝足りないのだろうとも思えたが、頭を乱暴に掻いて体を起こしているようであった。
むしろ寝続けているのは監兵の方である。
「監兵は」
様子を知るため、陵光は執明へ訊いた。
「まだ駄目。貴方と孟章は周りを見張ってて」
執明の口調は固い。陵光はすぐに足を切り替えて、孟章に言葉を掛けに向かった。
孟章の傍で、陵光の口から言葉が漏れ出た。
「全く──」
「何がだ?」
「いや、すまん。あまり孟章に言うことでも無い」
「んなこた無えだろ。俺からは義兄弟って呼んでるのにか?」
あまり裏切るような事はするなと言われた気が、陵光にはした。
「夜の間、孟章からは何か見えたか?」
「鳥獣が少し、他は居ねぇ。それより、なんだ? やっぱ豎子か?」
陵光は腕を組んだ。
「そうだ」
「そりゃあ、昨日は辛く当たり過ぎだ。それ以外は気にすんな」
孟章は座ったまま、陵光の肩胛を前へと敲いた。
「それでも、監兵には真っ当で居て貰わねば──」
「だろうが、気負ってるぞ? たまには放っておけや」
「気負わねばならんのだ。白虎殿の後継なのだから」
孟章は呆れたように笑っている。それ以降は、陵光へ問うような事は止めていた。
話の向きを丁淩に移して二、三と言葉を交わしていると、後ろから陵光らに歩いてくる音が聞こえてきた。
「起きた」
執明が短く伝えてくる。陵光には
──やっとか
という気分が強かったが、孟章は驚いた様に振り返っている。
「おお執明。豎子はもう起きたのか」
「だから、そう言った」
「はは、そりゃ良かった」
孟章はすぐに立ち上がった。
陵光は丁淩の様子を看る為に、少しだけ立ち上がるのが遅れた。
その後、まずはどうするかを各々で話し合って、山に入ったのならばまずは頂であろう、という結論に至った。
俯瞰の為にも高い処が良いし、泰山が聖山であるのならば山頂は多少静かだろうというのもある。
「しかし、人も多いようです」
陵光は麓の様子を踏まえて言ったが、執明が言うには
「山の上に多勢は置けない」
という事であった。




