我が問いに答えよ
フィーロまで壊されたらどうしようと、とても不安だった。
でも、もう彼に私を利用する気は無いと信じてもらえたのか、フィーロは私の手に戻された。
夜。黄金宮の客間。月明かりが青く照らす室内で
「君の努力を無駄にして、すまないな。でも俺も他の道具たちも、君を犠牲にしてまで解放されたいとは、もう思っていないんだ」
フィーロは私を慰めるように優しい声で
「心が落ち着いたら忘却の小槌で、悪魔の指輪と神の宝についての記憶を消すといい。そうすれば苦しまずに生きていける」
私はその言葉を遮るように「フィーロ」と口を開くと
「本当に他にフィーロたちを助ける方法は無いの?」
「無い。そして俺たちは君の犠牲を望まない」
彼はキッパリと否定したが
「『全知の鏡よ。我が問いに真実で答えよ。隠し事は、それで全てか?』」
予期せぬ命令に、フィーロは「っ」と声を詰まらせた。
「ゴメンね。話したくないなら無理に聞かないって約束したのに。でもフィーロは私のために嘘を吐くから。私はフィーロが私に見せまいとしている本当のことが知りたい」
彼と長くいたからだろうか。私は逆にフィーロがまだ全てを話していないと感じた。
その直感は当たっていたようで、フィーロは顔を歪めると
「全ての真実を知れば、君はもっと苦しむ」
「でも今はフィーロが独りで苦しんでいる。独りで苦しまないで。私にフィーロを助けさせて」
鏡に映る彼を真っすぐに見据えると、フィーロは「……ああ」と両手で顔を覆って
「君だけは巻き込むべきじゃなかった。あの場で全て話して、何も選ばせずに追い返すべきだった」
「どういうこと?」
私の問いに、彼は諦めたように口を開くと
「君の推測どおり、神の宝たちを解放する手段なら他にもある。しかもそっちなら悪魔の指輪と神の宝物庫も無くなり、二度と新たな悲劇が生まれることは無い」
「……そのすごくいい方法を躊躇うほどの何かがあるってこと?」
フィーロによれば、悪魔の指輪と神の宝物庫を消し去るには、悪魔に願うのではなく
『悪魔の力は要らない。指輪とともに、この地を去れ』
と悪魔を拒絶するだけでいいらしい。
けれど、それをすると
「転移者や転生者の体も、悪魔が作ったもの。悪魔の力を拒絶した瞬間。神の宝だけでなく、君たちの体まで消失する」
「つまり死んじゃうってこと?」
「……そうだ。解放された魂は輪廻転生の輪に戻るが、今ここにいる君は死ぬ。他の転移者や転生者たちも全て」
フィーロから聞き出した残酷な真実に、私は苦笑いで
「……そっか。困ったね。私だけなら「もういいよ。十分生きたよ」って言えるけど、他の人の人生まで壊しちゃうんだ。だからフィーロは私に、悪魔の指輪や神の宝のことは忘れて生きろって言ったんだね」
自分のことなら諦められる。でも人の人生まで勝手に諦めることはできない。
ただでさえ困った状況だけど
「ああ。だが、それにも問題がある。悪魔の力で転移や転生をした者たちは、永遠に記憶をリセットできない」
「記憶をリセットできないって?」
「死んでも、また神の宝物庫に戻されて転移か転生を繰り返させられる。物か人かの違いだけで君たちの魂もまた、すでに永遠という牢獄に閉じ込められている」
フィーロの言う『永遠という牢獄』の恐ろしさが最初はピンと来なかったけど
「忘却の小槌がいい例さ。彼はかつて葬送の笛の持ち主だった」
「忘却の小槌が葬送の笛の持ち主だった? つまり忘却の小槌は、笛を奪われて殺された旅人さんだったの?」
なぜ葬送の笛のかつての持ち主が、忘却の小槌になったのか?
その理由は
「彼も死後、神の宝物庫に戻されて転移と転生を繰り返させられた。幸せな人生を送れた時もあれば、より悲惨な死を遂げた時もあった。終わりなき人生と積もり続ける記憶が彼を苦しめた。そして彼は忘却を願った」
「じゃあ、私や他の人たちも今は良くても、いずれ終わりのない時間に苦しむってこと?」
私の問いに、フィーロは「……そうだ」と硬い声で
「しかも、そうなってから悪魔の指輪を集めて拒絶するんじゃ遅い。なぜなら悪魔の目的は人間に過ちを犯させて、破滅と絶望を愉しむことだから。すでに罠にかかった人間や罠にかかる可能性の無い人間が、悪魔に願うことはできない」
フィーロによれば、悪魔の指輪は確実に自分を消し去ろうとする相手からは逃げてしまうらしい。
逆に悪魔の指輪は自分を使ってくれそうな相手のもとに、偶然を装って現れる。
イザベラさんが暴食の指輪を手にしたのも、レイファンさんが出入りの制限された後宮で色欲の指輪を拾ったのも、悪魔の意思だったと言う。
「じゃあ、私が悪魔の指輪を集められたのは?」
「善良な者が過ちを犯さないとは限らない。君はその優しさゆえに悪魔に願う可能性がある。俺の裏切りを知ってなお、俺や他の神の宝を助ける道具になってもいいと言ったように」
「そして君のような善良な魂を穢し壊すことこそ、悪魔にとっていちばんの愉悦だ」とフィーロは続けた。
確実に悪魔を消し去りたい者たちは願えず、悪魔の危険性を知らない者は自分の願いを叶えてしまう。
そしてまだ永遠の牢獄の恐ろしさを知らない転移者や転生者たちは、ただちに自分も死ぬと知りながら悪魔の力を拒絶することができない。
全知の力を持つフィーロが、千年もこの問題を解決できない理由がよく分かった。
私もどうしたらいいか分からなかったけど
「……でも君だけなら助かる可能性がある」
「私だけならって、どうして?」
困惑する私に、フィーロは発言とは裏腹に暗い顔で
「前に話しただろう。君はマラクティカとエーデルワールの争いを止めたことで、陰にある滅びから世界を救ったと。神樹は一国を救うレベルの善行を果たした者の願いを叶える。だから君が悪魔からの解放を願うなら、神樹の奇跡によって叶う」
「それなら、どうして私だけ? 神樹さんが願いを叶えてくれるなら皆で助かりたいよ」
しかし私の訴えに、フィーロは「それは無理だ」と首を振って
「神樹が救うのは善良な者だけ。しかし君が助けたい者の一部である俺や神の宝たちは、かつて悪魔の指輪を集めるために他者を欺き奪い時に殺した罪人だ。俺もまた自分が助かりたい一心で、さんざん他人を騙して利用して来た。だから神樹は救うに値しない俺たちまで助けないように君の願いを叶えない」
「でも」とフィーロは続けて
「例えば忘却の小槌でこれらの事実を忘れて、やがて来る無限の繰り返しに気付けば、君は自然と「この終わりなき生から解放してくれ」と願うだろう。そうすれば君自身は願いの権利を忘れていても、神樹は君の願いを叶えて正常な輪廻へ戻してくれる」
「……だからフィーロは何度も私から離れようとしたの? 私が何も知らないまま、ただ自分のためだけに願えるように」
私の問いに、フィーロは顔を背けると深く俯いて
「……そうだ。いつかは呪いに気付くとしても、せめてこの生だけでも君には憂いなく、幸せに過ごして欲しかった」
その声は震え、涙で濡れていた。
フィーロが泣くのをはじめて見た。彼はなんでも知っていて、いつも余裕で、私よりずっと大きく見えたから。
でも本当は出口の無い迷路に千年も閉じ込められて、フィーロがいちばん苦しんでいたんだ。
「泣かないで」
私は鏡越しに彼の頬に触れながら
「私は大丈夫だから。幸せなら、もう十分味わったから」
私はもともと死んだ人間で、何も為せず、誰の役にも立てないまま消えていたはずの命だった。
それが1年と半分くらいだけど、この世界に来て健康な体で、たくさんの人と知り合えて、ちょっとは誰かの役に立てて、すごく幸せだった。
「フィーロは後悔しているみたいだけど、私は本当のことを知れて良かった。どうせいつか終わりを望むなら、何も知らずに何回か楽しく生きて、最後に自分だけの解放を願うより、いま皆で助かるように願いたい。それが今ここにいる私たちの命を奪うことでも」
できれば笑顔で言いたかったけど、私だけじゃなくて他の人たちの命も奪ってしまうと思うと、やっぱりやり切れなくて涙が出た。
でも、すぐにその涙を拭うと
「本当は誰にも死んで欲しくないけど、それ以外に道が無いなら、最後に2人でやるべきことをしよう。悪魔に囚われた皆の魂を解放して、もう誰もこんな目に遭わないで済むように」




