37.師匠の言うことには
(毎日チャレンジ六日目)
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「刺繍する速度が三倍くらいになる魔術って無いのかな痛っ」
夕食後の作業場で、目の前のトルソーを見つめながら腕を組んで仁王立ちをしていたら、後ろから師匠にどつかれた。いつもはさっさと自室に籠るのに何故降りてきた。
「阿呆言ってねえでさっさとやれや」
「それは分かってるんですけど」
なんとかして理想を形にと、アンダースカートの裾から必死に刺繍を始めたは良いものの、進捗は最悪だった。
寝ている間に小人さんが現れて進めておいてくれるかも、なんて妄想は現実の前に儚く砕け散った。そもそも徹夜続きでほぼ寝ていない。小人さんが現れる隙すら無かったのだから当然だ。あれ?この場合、寝るのが正解だったのか?
「お前、何日徹夜したよ」
師匠のどすのきいた声で現実に引き戻される。
「いやぁ…毎日二時間くらいは寝ていたんじゃないですかね?」
適当に返事をしたものの、正直良く覚えていない。基本的に集中していると眠気はこないのだが、ここ数日は気づいたら床に転がっていることも多々あって、時間の感覚がなくなっていた。
師匠が寝れば夜だし、師匠が起きれば朝だ。そうして日付けが変わったことを認識してさえいれば、それで良かった。
「納期に対するやりたいことの優先順位は、明確につけろよ」
「でも……」
「その調子で終わらなくて、最終的に完成しないまま納品するなら辞めちまえ。”仕事”は作り手の理想を実現できたかどうかじゃない。どの程度の質で仕上げられたかだ。依頼者の望みならまだしも、お前の拘りで納期を破るなよ」
「はい……すみません……」
痛いところを突かれて心臓の奥がぎゅうっと傷んだ。悔しいけど正論だ。まだ技術が追いついていない私が、完璧に理想を形にするのは難しい。納期があるからにはどこかで妥協しないといけない。
「そのために自分がどの作業を、どのくらいの時間をかけて、どの程度の質で仕上げられるのか、知っておく必要がある」
師匠のその言葉で、如何に自分が無鉄砲に作業していたのかを思い知った。
アンダースカートの刺繍は見える部分だけなら概ね完成に近づいてきたが、それに何日かけたかは分かっても、何時間かけたかは分からなかった。
ギリリと奥歯の軋む音がする。気づけば目線の先には見慣れたブーツがあり、知らず知らず握りしめた指先は真っ白になっていた。師匠の一言一言が重く頭に響いている。
「それを知って初めて作業計画が立てられんだよ。そこから自分ができる範囲で最高の物を提供するために、どんな工夫が出来るのか考える。仕事は信頼を得られないと貰えないが、信頼を得るには約束を守ることが必要だ」
入試対策が終わったから、時間は十分にあると思ったのが間違いだった。実力不足云々の前に考えの甘さを痛感する。実際に着せてみて変更点を持ち帰り、修正してから再度着せて本番を縫う。そんなやり取りを重ねれば自然と時間は過ぎていく。小人さんがとか考えていたちょっと前の自分をぶん殴りたい。声には出していなかったけど、恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。
「あと何日だ」
「五日です」
針の穴に通せそうなほどか細い声で答える私に、師匠は大きな大きなため息を吐いて、机上の図案を持ち上げた。
「お前絵描けるんだからなんかそれっぽく描けば?」
「へ?」
また師匠が突拍子もないことを言い出した。私のような常人には理解できないやつだ、これは。
全く予想もしていなかったところからパンチを喰らったからか、寝不足と疲れによるものなのか。師匠の言葉が冗談なのか本気なのか、判断する材料があまりに無さすぎて、大変間抜けな声が出た。
そろりと顔を上げれば、師匠の眉間にはとんでもなく深い皺が刻まれている。
「ぬ、布に絵を描くのは難しいのでは……?」
「どうせ白糸で刺繍するつもりなんだから、影になるところ汚しときゃわかんねえだろ。近くで見られることなんてねえんだし」
「そういう問題ですか、ね」
そういう問題ではないと思うのだが。同色の刺繍は光の加減によって模様が浮き出たりするところに魅力があるって、以前に師匠が言っていた。だというのに何だ?私がおかしいのか?頑張れ私の頭、動け、動け!
「毛糸、じゃねえな。じゃあもうサテンのリボンでも刺しときゃいいだろ。縁取りを縫い付けるとなるとそれも時間かかるから最小限で」
そう言うと師匠は真っ白なリボンをひと巻き手に取り、二か所摘んで見せる。
「ほら、両端摘めば花びらっぽく見える」
目からウロコだった。刺繍で縫い取ろうと思っていたのはレンゲの花を図案化したもので、真ん中が膨らんで両端は尖った花びらの形だった。正に師匠が今見せてくれているリボンの形と同じだ。
「間に合わないか、三十点でも形にするか、さあ好きな道を選べ」
耳に穴がいっぱいあいている背の高い男が、可愛らしいリボンを持って半目で見下ろしてくる。
そんな男の姿ですら神々しく見えるんだから、もう私の頭は大分いかれているのだろう。
「ししょお……天才なんですかあ?」
「何で泣いてんだよ、こええな」
疲れが限界に達しているのだ。師匠の発想に感動して涙が出てきたらしい。
「あと分かってると思うがアンダースカートに手加えんのは見えるところだけにしとけよ」
「……もちろんです」
目を光らせた師匠から、全力で目を逸らした理由は言うまでもない。
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「ヴェールもこれで良し。……綺麗だよ、詩苑」
本番当日、着付けの最後にヴェールを被せ、全身隈無く確認し、詩苑の目を見たらそう口走っていた。
「俺と萌稀の性別が逆だったら、その言葉に間違いなく惚れてたよ。性別が逆だったらね」
「じゃあ僕から言おうか?」
「要らん」
縹さんに用意してもらった三つ編みを付け、目元を赤く染め、唇に薄く紅をさした。元々の睫毛の長さも相まって、大層美しく仕上がってしまった。
修道服から着想を得たワンピースは、白一色の生地に所々金色の縁どりがしてある。その他の装飾もほぼ白で、師匠の助言通りサテンのリボンを使って花びらを象ったりした。
眉毛だけは立派なので前髪を重めにして隠させていただき、完璧な聖女と化した詩苑はいつもの十倍発光して見える。
自分の理想を完璧に作りこめなかったことについては、やはり実力不足を感じて悔やまれるが、それでもちゃんと形になって本当に良かった。
「はぁ……本当に綺麗……縹さんに無理を言って、つけ毛を集めてもらった甲斐があったわ」
両手を頬に当て、ついうっとりしてしまう。我ながら良い仕事をした。この見た目であの歌を歌うのかと思うと、想像しただけで動悸が止まらない。心臓が痛くなってきた。
「その表情は男の格好をしているときにしてほしかった」
詩苑が何か言った気がするが気のせいだ。
前髪と化粧を少し整えて、舞台へ送り出す。一つ前の団体の発表終了間際、いったん舞台を向いていた詩苑が振り返る。
「萌稀は女神が実在していたら何を祈りたい?」
「そうだな、私だったら……ずっと、衣装を作り続けられますように、とかかな」
「そうか」
詩苑は頷くと背筋を伸ばしてまた前を向いた。
舞台用に表情を切り替えた詩苑から、少し視線をずらすと客席が見えた。前回より客席が埋まっているのか、少しざわざわと落ち着かない空気を感じた。
長時間の観劇は観る方も体力が必要だろうし、集中力も切れる頃だろうか。でもきっと、詩苑が舞台に上がればそんなことは関係ない。ひと声、否、姿を現すだけでも空気を変えられる。そう自信を持って言いきれる。
次回後期発表は、夜明け前に投稿予定です。
もし万が一、早起きが趣味の方がいらっしゃれば、ぜひ日の出の頃にご覧ください。




