36.欲
(毎日チャレンジ五日目)
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「萌稀の癖、なかなかくるものがあるなあ……」
萌稀が帰ったあと、三人で練習を続けていた。食堂が空いた頃を見計らって夕食を取る予定なので、それまでの時間は練習場を借りている。
一段落ついて、広い練習場のど真ん中で椅子に腰掛け天井を仰いだ。実家では許されない振る舞いができることも、学院の良いところだと思う。
「胸を触られたの根に持ってるの?」
ピアノの影から山蕗の声がする。
「違うそれじゃない。……否、それもあるか」
萌稀の癖、アイディアを描き留めるためにペンを走らせるときと同じように、思考を巡らせているときに外界との感覚を遮断すること。衣装を考えているとき、衣装を着せられたとき、じっと見つめられているのに目が合わない。
「熱烈に見つめられるのは、慣れたものじゃないのか」
「萌稀が見てるのは俺だけど俺じゃない。衣装を着せる専用のマネキンか何かの認識でしょ、あれは」
「確かにね〜。熱烈の種類が違うかもね」
「そう思うと無理やりにでも、違う意味で視界に入れてみたくなる」
萌稀の目に俺自身がどう映っているのか、全部知りたいと思ってしまうのは何故だろうか。
「天邪鬼か。普段は令嬢をあんなに避けまくってるのに」
「夜凪嬢は大丈夫なの?」
山蕗の指摘に、鋭い目をした気の強い令嬢の顔が浮かんだ。名前を聞くだけで顔面に力が入ってしまうのは条件反射だ。俺は悪くない。
「……了承してないのに贈り物が届き続けるの、何でだと思う?」
「了承してないから早くよろしくしようね、ってことなんでしょ」
「お前が断ったからってはいそうですか、で済む話じゃないだろ」
嫌なことから逃げたって何も解決しないことは承知の上だが、これだけはどう手をつけていいものか分からないでいた。
「俺あの人苦手なんだよな」
「あの人って」
「まだマネキンの方がマシ」
「それもどうなの」
「何にせよ、視界に入ったところで後々困るのはお前だろ。公爵様のお家事情は、俺らには難しすぎるから口出しもできない」
聞きたくない縹の正論を聞き流し、いったん嫌なことを頭の隅に追いやって、昼間のやり取りを思い返す。衣装を考えるとき、仕立てた衣装を確認するとき、歌っているとき、一種の熱を持って向けられる視線。
私欲にまみれた令嬢に向けられるのとは明らかに違うそれは、居心地の悪さを感じさせるのに、絶対に逸らさせたくないとも思う。
でも、多分、こちらからの視線はどうでもいいのだろう。ならば多少強引にでも、目を合わせてみようと試みてしまう。つい出来心だ。
本当に欲しいものを手に入れることの難しさは、十分思い知っている。神に祈るしかない欲望なんて、知らなくていい。
ただ、萌稀に触れられた胸の真ん中が、熱を持って疼いている。
「……萌稀のことは置いておいたとしても、そろそろ身の振り方をどうするかは、考えておいた方がいいんじゃないか?」
「んー、まだ大丈夫……」
こういう考えすぎてしまう日は、歌にして感情を吐き出すのがいい。そう思って口から出たのは、前期末に発表した恋の歌だった。惚れた女を手に入れられなかった男。自分がこの男の立場だったらどんな行動に出たか、なんとなく想像を巡らせた。
*
「ピアスは外した方がいいかな」
「ああ」
前回の衣装合わせから数日後、胸筋問題を解決すべく上衣を新たに縫い、それに合わせて袖回りを調整して再度の衣装合わせとなった。
全体がまとまってきたので、本番の装飾を含めた確認をしている。
「…そういえば、なんで左右で違うの?」
詩苑の左耳には青い石、右耳には輪っかがついている。左右の耳に違うものがついているのなんて、師匠くらいでしか見たことない。もっとも師匠は左耳にしかついていないのだけれど。
「これ?石のやつ、一個なくしちゃったから適当なのつけてるだけ」
「へえ」
良いところの坊っちゃんなら、そのくらい作り直してもらえそうなのにな、と思いつつ、衣装の確認を続ける。
「訊いたわりには興味なさそうだね」
「えっ、だってそんなに意味ないんでしょ?」
「まあそうなんだけど」
じゃあ訊く意味もないじゃないとすら、私が口に出さないことも不満そうな詩苑だったが、今は衣装の最終確認をしている最中である。話を振ったのは私なのだが正直、余計なことを考えている場合ではなかった。
ヴェールの角度を決め、ドレープの形を整え、花冠の花を増やし、全体を見る。そして深く思案する。
――あとどのくらい、刺繍を増やせるだろうか。
本番までそう日数は残っていないものの、出来る限りの手は尽くしたい。師匠の計らいで、ある程度良い生地を使わせてもらっているのだが、それでも完璧とは言い難かった。
「あと二週間か……」
詩苑の歌声の神秘さを思うと、やはりアンダースカートにもオーバースカートにも白で刺繍を入れておきたいし、オーバースカートに入れるなら上衣にも同じ模様を入れねばなるまい。
しかし私の手は左右に一本ずつしか生えていないのだ。元々手が早いわけではないのに、余りにも範囲が広すぎる。慣れて作業が早くなってきたとはいえ、広範囲の刺繍はどうしたって時間がかかる。私があと三人くらい欲しい。
「始めは違和感しかなかったが、何回か見ると目が慣れるものだな」
山蕗と編曲の調整を終えた縹さんが、詩苑をしげしげと眺めていた。
「違和感あったの」
「少し化粧するだけで印象が変わるな」
「ねえなんで無視するの」
元々肌が透き通って白い詩苑に白粉は必要ないものの、少しだけ目元と口元に赤を入れるだけで、ぐっと美しさが増した。全人類を誑せそうな勢いで。
「これがお化粧の力ですよ。女性だってすっぴんでドレスを着ているわけではないのです」
「萌稀も無視しないでお願い」
「はいはい、世界一綺麗だよ詩苑」
「違う、そうじゃない」
未だに抵抗があるらしい詩苑がぶすくれているので、適当に頭を撫でておく。前回の取引から砕けた言葉遣いになったのをきっかけに、私の詩苑に対する扱いが段々と雑になってきた。取り繕うのも面倒くさいし、本人が望んでいるのだから気にする必要もないだろう。
因みに詩苑に対する扱いが変わったのに伴って、年下である山蕗にも砕けた物言いをするようになった。これも山蕗本人からの希望である。縹さんだけは年上なので、私の中で許されない壁があった。本人は多分どうとも思っていないが。
「縹さん相談なのですが」
「なんだ?」
「髪の毛って手に入ります?」
撫でついでに詩苑の髪の毛をひと房摘んだ。詩苑はされるがまま、大人しくしている。どちらかというと猫より犬の方だと思う。何がって中身の性質の話ですけど。
詩苑の頭は花冠を付けたヴェールで飾るのだが、頭が重いと歌いづらいと言うので薄いものを選んだ結果、どうにも短髪が目立ってしまうのだ。
「髪の毛?鬘でなく?」
「被せるのでなく、どうにか付けられないかなーと思いまして。元々の金髪は活かしたくって」
「どのくらいの長さだ?」
「腰くらいまでで三つ編みしたいんですよね、こんな感じで」
クロッキー帳に描いた意匠案の中から一つを見せると、縹さんは少し考える素振りをしてから頷いた。
「できる限りあたってみる」
「直前に無理を言ってすみません」
「出来ることに妥協はしたくないからな。舞台科の連中に聞いてみる」
「ありがとうございます」
前回に引き続き、私の意見を尊重してくれる演出担当の縹さんには頭が上がらない。お互いに妥協しないので、一緒に考えることが何よりも楽しい。アイディアの方向性も似ている部分があるのかもしれない。
「ついでに当日の手伝い人員も確保しておくかな」
「賛成!僕たちだけじゃ、準備するだけで日が暮れるよ」
いつの間にか足下にいた山蕗が頷いた。当日は器に盛った花を大量に使用するため、丈の長い衣装を身に纏った演者である詩苑以外は、力仕事に追われることになる。多少の無理を実現するため、人手はあるに越したことはない。
そうして準備は万全に進んでいた。私の刺繍だけを残して。




