35.距離感
(毎日チャレンジ四日目)
「そうでした。話が逸れましたが、このために仮縫いまでしてきたんです、私」
そう言って鞄から白い布の塊を取り出す。
「仕事早くない…?」
詩苑さんが虚ろな目でこちらを見ている。
「考えだしたら楽しくて止まらなくて…!」
詩苑さんの歌をしっかりと噛み砕いて飲み込んだあと、大変楽しく意匠画を作成した。師匠に相談して背中を押してもらい、お勧めの生地を拝借して仮縫いまでで約三日。今日ここに来るまでに、刺繍図案もいくつか候補を描き溜めている。こちらの仕事は前回同様に師匠の店が閉まったあとにやっているので、仮縫いとは言えど短期間でここまで出来るようになった自分を素直に褒めたい。
因みにお店の営業時間外にやるのは、師匠に利益がでない代わりの措置である。しがないアルバイトに道具と素材を提供してくれる師匠の寛大な御心に感謝。
ただし犠牲になった睡眠時間については考えないこととする。
「まあ一回着てみたらいいんじゃないか?せっかく萌稀が作って持ってきてくれたわけだし」
「……分かったよ」
観念した詩苑さんに着方を説明して、カーテンの向こうに送り出す。楽しみで口角が上がってしまう。
数分もしないうちにカーテンが開いた。大変不服そうな詩苑さんの顔からは、いったん目を逸らして全身を観察する。
修道服に少しだけ華美さを加えたワンピースは、白を基調になるべく継ぎ目をなくすよう大きく生地を使い、脚の付け根辺りから前後左右に四本スリットを入れた。そこから覗くアンダースカートには白地に白糸で植物模様を縫い取る予定である。詰襟、共布のくるみボタンで前面は清楚に、肩口は筋肉が目立たないよう緩めにし、二の腕でいったん絞り袖口へと広げた。襟や袖にも刺繍を入れたい。
全体的に想像通りであるが一つだけ気になることがあった。
「詩苑さんって、意外と筋肉あるんですよね」
前回の発表時の採寸結果をもとに仮縫いをしてきたが、正直こんなに胸筋が目立つとは思わなかった。
顔だけ見ると中性的な美貌であるし、背も取り立てて大きくないのに、ちゃんと胸板に厚みがある。
「なんで萌稀が悔しそうなの」
「何でも持ってるみたいに感じてしまって、羨ましくなっただけなのです」
「自分で言うのもどうかと思うけど、これは努力の結晶だよ?」
こんなに人から羨ましがられる要素ばかり持っているというのに、何のための努力だというのか。
騎士クラスにいたとはいえ、今も鍛錬を積んでいないと身体を維持するのは難しいだろう。師匠も比較的がっちりとした身体付きをしているけど、あれは素材や商品を運ぶのに役立っているし。
詩苑さんの場合、万が一街で出会った付き纏いみたいな人から常に追われているとしても、魔術で大体どうにか出来そう。この間だって自分はほとんど動いてなくない?それに剣術は好きじゃなさそうだった。
そんなことを考えていたから、手が伸びてしまったのはほんの好奇心というか、興味本位みたいなものだったと思う。
「も、萌稀さん…?」
「はい?」
「いや、はい?じゃなくて…ちょっと恥ずかしいです」
「あら?」
呼ばれて目の前の詩苑さんを見上げると、いつも飄々とした笑顔ばかり浮かべているのに、手で口元を隠して頬を赤らめている。
その様子に首を傾げ、ついでに左手がなんか温かいなぁと思って視線を下げると、その温度の理由に目を見開いた。
私が感じた温かさはどうやら詩苑さんのものだったらしい。私の左手はぴったりと、詩苑さんの身体の真ん中に置かれていた。そう、胸の、真ん中に。私の名誉のためにこれだけは伝えたい、揉んではいない。
自分の状況を理解した瞬間にカッと顔が熱くなった。慌てて手を離すと、反対に詩苑さんが平静を取り戻す。
「何これ、俺、誘われてる?」
真顔で同じ方向に首を傾げられた。
「断じて違います、ちょっと胸囲をどうするか考えていただけなので!」
咄嗟に出た言い訳ではあったが、女性的な演出を目指すのであればこの胸板は隠さねばなるまい。完全な女性を目指さずとも、このままでは観客の脳が混乱する。世界観に没頭してもらうために、違和感をなくすのも私の仕事。
何か羽織るか、その辺りは一旦持ち帰ろう。これ以上観察を続けたら、またどこを触り出すか分かったもんじゃない。そんな趣味はなかったはずだが、恐るべし詩苑さんの吸引力。ああ顔が熱い。
「俺、本当にこれ着るの?似合わなくない?」
詩苑さんはスカートの裾を摘んで虚空を見つめている。
「やっぱり嫌ですか?詩苑さんだからこそ着られる衣装にしたいと思ったんですけど…本当は幅広めのズボンとかキュロットとかも考えたんですけど、いまいちしっくり来なくて」
「どうせ褒められるなら格好いい衣装のときが良かったと、思っただけで」
「似合ってるよ詩苑」
「似合ってるぞ詩苑」
「うるさいよ君たち。他人事だと思って……」
「恨むなら己の見た目を恨むんだな」
縹さんの一言がトドメを刺しただろうか、詩苑さんはがっくり項垂れて蹲った。
「そ、そんなに落ち込まなくても…嫌なら別案を」
せめて慰めようと思い手を前に伸ばすと、ふいに顔を上げた詩苑さんに手首を掴まれた。
引っ張られて屈むと下から顔を覗き込まれる。橄欖石のように輝く緑の瞳と視線が絡めば、あっという間に意識を持っていかれた。歌声に驚きすぎて忘れかけていた、作り物みたいな美貌が視界を占領する。
――距離が近い。どきりと心臓が跳ねて、私は口を噤んだ。
「萌稀が、」
そして視線を逸らさぬまま詩苑さんはゆっくりと、少し低めの声で告げる。
「砕けた話し方で呼び捨てにしてくれたら、スカートでもいい」
少し目を細めて口の端をもたげたその表情に、思わず一瞬息を呑んだ。
なんだその言い方は。ちょっと拗ねている。聖歌とは正反対の低い声音は、私が一番心揺さぶられる音。この至近距離で囁かれて、否と言えるわけがない。
なんとか思考を振り切って言葉を探す。というか何だその取引。
この体勢の意味は分からないけど、これは詩苑さんにスカートを穿いてもらう好機だと思うことにする。
「……ありがとう、詩苑!スカートで意匠案を固めるわね!」
掴まれた手首を多少強引に振り払って、すぐさま床に置いていたクロッキー帳を拾い上げると、籠るフリをしてペンを走らせた。
「……あっさり呼びやがる」
残念そうな詩苑の声は聞こえない。
〈おまけ〉
山「何あれ、めっちゃ面白いんですけど」
縹「随分簡単にあしらわれてるな」
詩「おい聞こえてるぞ」
山「ふふ…詩苑がこんなにぞんざいに扱われてるの珍しすぎてお腹痛い」
詩「……」




