後編:「旗色が悪くなったからって逃げるなんて許さないからね?」
本編補足◆
法制科…法学科のこと
法制士…弁護士のこと
「ニコラウス・シャルル第一王子殿下」
ジゼルは現れた人物の名を呼ぶ。
ニコラウス・シャルル第一王子。年齢は29歳、緩く波打つ癖のある金髪に、深い緑の瞳。
この国の王族の血を誰より色濃く継いだ彼は最も次期国王に近いとされ、性格も温厚で寛大であり、民にもすこぶる人気がある。
そんな彼がここにいるのは、おそらく多忙な王に代わって祝賀会に出席するためだろう。だがしかし、最高の瞬間の登場すぎやしないだろうか。
カツカツと、こちらに近づいてくる彼の姿はただ歩いているだけなのに品がある。
「伯爵夫人は金髪で、よくよく思い出すと君によく似た女だったなぁ。彼女は最初に地方の男爵をたぶらかして結婚、すぐに毒殺。たんまり遺産をせしめて未亡人の男爵夫人になったあとは子爵、その次は伯爵。恐ろしいことするものだよね。でも、同じ手はずが3度もうまくいった彼女は調子に乗った。今度は王族に取り入ろうとした。まあ、さすがに王族は毒殺しないだろうけど……でも、曲がりなりにも王族相手に、足が着かないと思ってるほうがおばかさんだよねぇ」
くすくすと笑うニコラウス。ルイスの顔は紙のように真っ白になっている。それもそのはず、この事件を尻拭いしたのはジゼルと、他ならぬニコラウスなのだ。
「次はジゼル嬢と愚弟が学院の2回生のとき。愚弟が下町にお忍びで遊びにいったとき、やっぱり君と似たような金髪の女の子と恋に落ちて、彼女と結婚するから婚約破棄だなんだのと騒いだ。……と思ったら、愚弟が誘拐された。これは下町の女の子は実は盗賊団の一員で、気弱な少女を装って王族に近づきましたってオチなんだけど。で、くだんの3回目は半年前だよ。これまた君と似たような金髪の女の子を、また愚弟は下町で見つけてきた。今度こそ真実の愛を見つけたとかで婚約破棄だなんだと言い始めたんだけど、調べてみたら隣国の間者だったってわけ。詐欺師に盗賊団に間者、フルコースの料理みたい。よくもまあこんなにたくさん引っかかったよね。愚弟には風紀を乱すから学院卒業までは大人しく、エミンリーズナー領に入ったら一生出てくるなって随分言い聞かせたのに、たった半年でまた婚約破棄騒ぎとは……今度ばかりはジゼル嬢もミュンスター家も許してくれないよ?」
「ニコラウス殿下、そのことですが、わたくしはルイスさまとは婚約破棄いたしますわ。さすがにもう、王家とは関わりのなくなる方ですし、引き止めはしませんよね?」
「そうだね。国王陛下もいくら一番下の息子が可愛くて仕方ないからって、これ以上引き止めるほど厚顔無恥じゃないよね」
「ちょ、ちょっと待ってください兄上。ジゼルとの婚約はミュンスター家の、ジゼル本人からのたっての希望ではないのですか?」
はぁ?
ルイスの言葉に、ジゼルはつい品の悪い表情になりそうなのをぐっとこらえた。今日何度目かになる、なにを言っているんだこのおばかさんは、状態だ。
ニコラウスも同じことを思ったらしく、ぽかん、としたあと、いつもの柔和な笑みのなかに怒りと蔑みの色を浮かべて、
「……ジゼル嬢とお前の婚約は、父上がおまえかわいさに無理やりミュンスター家にこじつけたものだよ。彼女は次女だし、ミュンスター家を継ぐ跡取りのアルブレヒト様は優秀な方で、ジゼル嬢も同じく同世代の女の子と比べて頭2つ賢かった。おまえは高齢の王妃にとっては最後の息子で、おばあ様にも使用人にも甘やかされすぎて、頭も落ち着きもまるで足りなかった。だからこちらからぜひにと頼み込んでジゼル嬢をお前の婚約者にしたのに……。ジゼル嬢は幼いながらもこの政略結婚の意味をよぉく分かっていて、お前を立てて助力して、台無しになりそうな婚約を何度もお支えくださったんだぞ?」
「そんな……兄上、オレ、そんなこと一言も」
「聞いただろう? 少なくとも半年前に1度、わたしはお前と一緒に聞いた。他ならぬ王の口からな」
「いえ、でも……あれはいつもの、脅しと冗談なのでは……?」
おずおずと長兄の顔色をうかがう元第五王子。
なんと、このおばかさんは、いままでの王の話も長兄の話も脅しと冗談だと思っていたらしい。どんなことをやらかしても、最終的に周囲の人間は自分を許し、また甘やかしてくれるのだろうと。
ニコラウスはその言葉に、とうとうルイスを見捨てたようだった。ハッ、と吐き捨てるように失笑する。
「たとえ父上や母上、おばあ様が許しても、わたしはお前を許さないよ。お前のエミンリーズナー領への更迭は決定。二度と王都へ立ち寄るな。死んでも帰ってくることは許さない」
「そ、そんな、兄上!!」
「あと、そこでこそこそ立ち去ろうとしてるマリアナ・ジクシー男爵令嬢? 旗色が悪くなったからって逃げるなんて許さないからね?」
ニコラウスは首を少しだけ動かして、今まさに会場から出て行こうとしていたマリアナ・ジクシーを呼び止める。
ぎくり、ブリキ人形のように体を堅くする金髪の美少女。おほほ、だとか、うふふ、だとか、わざとらしい笑い声。
「あの、ニコラウス殿下さま。わたくし実は急用を思い出して……」
「この国の第一王子相手に背を向けるなんて、恐ろしいことをするんだねぇ。男爵風情が王族を愚弄するだなんて、いい度胸だ」
「ひぃっ」
いまニコラウスと直接顔を合わせているのはジクシー男爵令嬢だけで、その彼女が小さな悲鳴と共にガタガタと震えはじめる。まるで化け物でも見たように怯えている彼女を見ながら、ジゼルは密かに同情した。
ニコラウスは世間では大らかだとか寛大だとか誰に対しても分け隔てないとか言われていて、もちろんそれも事実なのだけど、次期国王にもっとも近い男がただそれだけのはずがないのである。
たしかに彼は、大らかで寛大だ。
しかしひとたび沸点に達すると、恐ろしいほど冷酷になるのだ。第五王子の婚約者であったジゼルは必然的に彼とも接点が多かったので、そのことをよくよく知っている。
「そうだジクシー男爵令嬢。君の望みを叶えてあげよう」
唐突に、ニコラウス殿下はそんなことを言う。脈絡のないその言葉が、返って恐怖心を煽る。
「わ、わたくしの望みですか?? それは……」
「ああ、君の望みだよ。君は常々、ジゼル嬢と愚弟の婚約破棄が成ったあかつきには、愚弟と結婚すると話していたそうじゃないか」
「あ、あ、あの、それは!! その話どこから!!」
目に見えて慌て始めるマリアナ・ジクシー。ああ、なるほど、とジゼルは合点がいった。ニコラウス殿下も、なかなかどうしてひどいお方だ。
「君の父上には、僕から、よぉくお話しておくね。はじめは身分の差のために別たれかけた男女が二人、手と手を取って不毛の土地で愛と生活をはぐくむ。ああ、なんて素敵なロマンスだろう。ね、君もそう思うよね?」
「あ、あの、そのっ! ニコラウスさま、わたくしルイスのことなんか、愛してなーー」
「連れていけ」
ニコラウスの短い言葉により、彼のそばに侍っていた兵士二人がルイスとマリアナ・ジクシーを拘束し、連れて行く。
残されたのはジゼルと、ニコラウス、それから成り行きを見守っていた式典の出席者たちだ。来賓客には身分の高い方もそれなりにいたが、この場で一番高かったのはニコラウス、次がルイス元第五王子だったから、だれも手出し出来なかったのだろう。祝賀会を始めることが出来ず、余計な時間を使わせてしまって申し訳ないことをした。
さあ、気を取り直してわたくしもお友達や後輩に最後の挨拶を――
と、一歩足を踏み出そうとしたところを遮ったのはニコラウス。
彼はニコニコと、なぜか上機嫌に笑っている。いや、
(殿下、緊張していらっしゃる?)
いつもの柔和な笑顔のなかに、かすかな違和感を覚えた。その正体をつかみ切る前に、ニコラウスが口火を切る。
「さて、ジゼル嬢、この度は愚弟が誠に申し訳ないことをした。もう王族には関係のない人間とはいえ、君に対しての礼を欠く行いがなくなるわけではない。ルイスはもう王都には戻ってこれないから愚弟本人から賠償金や謝罪がされるわけではないけれど、代わりにわたしから何か詫びをしよう」
「そんな、ニコラウス殿下が謝ることではございませんわ。ルイスさまのことはもとからなんとも思ってなかったので、自身に火の粉が掛からなければ良いと放置していたわたくしにも問題が」
「ところでジゼル嬢、君はもう婚約者がいない。妙齢の貴族の令嬢としてこれ以上面倒なことはないだろう、しかも曲がりなりにも王族の婚約者だったんだ、相手があの愚弟でなかったらこれ以上ない縁談だったわけだし公爵夫妻にも本当に申し訳ないことをしたでも王族以上の縁談なんてなかなかないよね結婚適齢期なのに婚約者不在で身分も釣り合って見目も悪くなくてこの際多少年上でも問題ないと思うんだけど、そのあたりはどう思うかなジゼル嬢」
「あ、あの? わたく」
「君の次の婚約者は、わたしなんてどうかな?」
――ざわっ。
王子からの突然の告白に、周囲が再びどよめく。
ニコラウス・シャルルは大らかで寛大で民にも人気があるのに、なぜか30を目前とした年齢になっても結婚していなかった。それどころか、婚約者すら定まっていなかった。彼が結婚を決めさえすれば即王太子になるという噂すらあり、それがまた若い女性に人気がある理由のひとつであった。そこへきて急に、ジゼル・ミュンスター公爵令嬢への実質的な結婚の申し込み。これは大スキャンダルに――
「お断りします」
きっぱり。
しーーーん……。
ジゼルのたったひとことに、会場に重たい沈黙が落ちる。
いまなんて? あのニコラウス・シャルル第一王子の求婚を断ると聞こえたのだけど? 聞き間違いでなく?
「ニコラウス殿下。あなたはご存知かと思いましたが、あえてお伝えさせていただきます。わたくしは法政士になり、この国の女性たちの支えになることが夢であり、目標です。さいわい学院在学中に現役で資格取得することが出来ました。卒業後は王都内の法制士事務所への内定がすでに決まっております。政治的になんの価値もなかったルイス第五王子殿下ならいざしらず、次期国王候補筆頭のニコラウス第一王子殿下の婚約者になるなど、もってのほかですわ」
ニコラウスの婚約者になる=未来の王妃候補筆頭、である。そんな立場になればジゼルは法制士になれないではないか。
そもそもジゼルは公爵令嬢としての教育は受けているけれど、王妃教育など受けていない。さらに王妃といえばこの国の顔であり民の憧れだ。ジゼルのような黒髪地味顔メガネで作法までイマイチな女がニコラウスの隣にいては、民から顰蹙を買うだろう。それはほぼ完璧なニコラウス・シャルルの人生のキズになる。
「それにわたくし、結婚願望はございませんの。我がミュンスター家は跡継ぎにも困っていませんし、わたくし一人結婚しないのは……外聞は悪いと思いますが……両親は許してくださいますわ」
むしろ両親に許されたいがために、ジゼルはルイスの尻拭いに奔走していたといっても過言ではない。
ルイスは初対面のときから偉そうで傲慢で失礼で、自然体で他人を見下すところがあり、本当に、初対面のときからジゼルは『この男いつか、絶対に、なにかやらかす』と思っていた。
むしろ彼との出会いが、ジゼルの結婚への幻想をぶち壊したと言えるだろう――彼に初めて向けられた言葉は『こんな黒髪地味顔女はイヤだ。別のに代えろ』である――。
1度目の婚約破棄騒ぎのときは両親も甘さがあった。
まだ王子は幼いから、これは出来心だろうと。
2度目のときは厳しい顔をして王に苦言を呈しながら、ジゼルには耐えてくれと言った。
そして3度目の婚約破棄と降下騒ぎのとき、ジゼルに謝りながら破棄だけはもう1度だけ耐えてくれという両親に、ジゼルはここぞとばかりに2つ条件を出した。
1つ目、次に同じようなことがあれば絶対に婚約破棄をして、侯爵となったルイスを訴える。それはジゼルの名誉のためだ。
そして2つ目に、侯爵夫人になってもならなくても彼と共にエミンリーズナー領には行かず、王都に残って女性法政士になることを認めてほしい――と。
この国の女性の地位はまだまだ低い。法政士になれた女性も、過去にまだたった2人だけ。ジゼルは3人目の女性法政士として、この国の女性の地位を押し上げていきたいのである。
ジゼルは呆然とするニコラウスに再び臣下の礼を取った。
「それではニコラウス・シャルル第一王子殿下、ごきげんよう。本日の祝賀会、どうぞ楽しんでいってくださいまし」
「あっ、まっ、まって、ジゼル」
ニコラウスの前を去ろうとするジゼル、その背を追いかけて手をつかむニコラウス。
「わたしが王配になって君を支えるから、君が女王になるのはどうかな!?」
ざわっざわっ。
何度目かのどよめきが会場に巻き起こる。
「それは、ちょっといいかもしれませんわね」
ざわっざわっざわっ!
とうとう何人かの教職員や来賓が倒れ始め、会場は地獄絵図と化したのだった。
……このあとジゼルは、本当にニコラウスと結婚して女王になってしまうのか。
それとも、自らで作り上げた道をゆき、女性法政士となって歴史に名を残すのか。
それはまた、別の話。
2018/06/19 誤字の訂正をいたしました。ご指摘いただいてからの対応がかなり遅くなり申し訳ございません。
また、文字が詰まっていて読みにくいと感じたので、改行を大幅に加えました。