2-009 そこは犯罪が隣にある街のようで
聞こえてくる音楽が気になるので、そわそわしたまま宿屋の手配をして、すぐに併設の酒場へ向かった。
宿代がプラホヴァに比べて、少し高かったような気がするし、注意事項を言われたような気がするけど、些細なことだったと思う。
騒がしい酒場へ足を踏み入れて、音の発生源を探す。
視線を巡らせればすぐに見つかった。
酒場の奥の方、壁際に積まれた木箱の一つに腰掛けている女性が、奏でているようだった。
スヴェトラーナと同い年ぐらいの若い女の子だ。
少し長めの髪の毛を背中でひとつ括りにして、飾り気のないギターのような楽器を懸命に弾いているのが見える。
見た目にはおかしなところはない。
ただ、奏でる音には違和感があった。
その違和感の正体を確かめるより先に、店員に声を掛けられた。
「何ぼさっと立ってるの? 空いてるところ座ったら?」
不思議そうにそう促されて、僕たちは空いているテーブルに着いた。
「ボーグ、あの楽師が気になるの?」
流石にミレルは、僕の気にしていることに気付いたようで、彼女の視線も楽士の女の子をフォーカスしていた。
ミレルは平坦な口調で、純粋に僕の興味が気になるようで、他意はなさそうだった。
「珍しいなって思ってね。あと、なんとなく、この曲が気になって」
「うん、わたしもあんまり楽師って見たこと無いわ。キャラバンに乗って村に来たのを見たぐらいで。村に来た楽師が弾いてた曲とも全然雰囲気が違うわ」
ミレルはそう言いながら、首を傾げて曲を確かめていた。
酒場の喧騒の中、聴き取りにくいけど、この地域の音楽ではないよう気がすると続けてくれた。
「わたしも聞いたことが無い曲調です。と言っても、わたしは音楽なんて故郷でも聞いたこと無かったですけど」
スヴェトラーナも、ちょっと残念そうに答えてくれた。
この世界では、音楽というのはあまり一般的ではないみたいだね。
地球でも、楽器を使う音楽は、庶民に広がるまで時間が掛かったって話だったような。
楽器って高価な物だったと思うし。
ということは、演劇も一般的ではないのだろうね。
「注文は?」
いつの間にか、不機嫌そうな顔の店員が、注文を聞きに来ていた。
何も頼まずに座ってられても、商売の邪魔だし、結構繁盛しているお店みたいで、忙しそうだから不機嫌になるのも分かる。
「適当に食事がしたいんだけど、何がある?」
「まともな食事なら、パンとウルス肉とゆで野菜が準備できる。一人大銅貨1枚先払いだよ?」
店員さんが説明した後、品定めするような視線で僕たちを見て聞いてきた。
本当にお金を持っているのか?って疑われているんだろうね。
なので、僕はカバンから大銅貨4枚を取り出して、机に置いた。
「飲み物も3人分頼みます」
「ウルス肉は焼き、飲み物はプルーナで良いか?」
ちらりとスヴェトラーナを見てから、店員が確認してきた。
プルーナが何か分からないけど、子どもにも飲める物を選んでくれたってことかな?
「うん、それで良いよ」
そう言うと、店員は大銅貨を受け取って下がっていった。
そんなやり取りをしている間に、曲調は変わっていて、祭りの時に聞いた曲と似た雰囲気になっていた。
ミレルとスヴェトラーナは、この曲の方が耳馴染みが良いのか、曲に合わせて微妙に身体を揺らしていた。
あの懐かしい感じがする曲は、どこか違う国の民族音楽だったのかな?
楽師としてのバリエーションの一つ、と言うだけなのかも知れないね。
まだ少し気になるけど、まずは腹ごしらえをしてしまおう。
そう思って運ばれてきた食事を食べ、プルーナと言う飲み物を口にしたとき、気にすべきことが他にあったことに気が付いた。
「これ、お酒?」
それなりにアルコール分を感じた。
というか、僕はお酒をあまり飲まないので、強く感じるだけかもしれないけど……
隣を見れば、ミレルは普通に飲んでるし、スヴェトラーナも別に気にしていないように見える。
あれ? みんなお酒飲むの?
「最近はボーグが美味しい飲み物をくれるから飲んでなかったけど、普段飲む物ってこんなものよ?」
「わたしも故郷では、もっと熱くなる飲み物が普通でしたよ?」
ミレルの話では、シエナ村はキレイな水源が村の中を流れているから、比較的水も飲んでいるけど、水を直接飲むのは一般的ではないらしい。
スヴェトラーナの故郷では、ミルクや果汁以外、アルコールを含んだ飲み物しかなかったとか。
あれ? じゃあさっきの店員さんの視線は??
ただのロリコンなの??
「苦味のあるベレアじゃなくって、甘い飲み物を選んでくれたってだけじゃないかな?」
「え!? わたし、そんなに子どもっぽいですか??」
ベレアって何だ? 麦から作る飲み物? ああ、ビールのことか。
スヴェトラーナは子どもっぽいことを気にしているのか? 女の子だなぁ……
……って、僕酔ってきてる!?
お酒は嫌いじゃないんだよ?
味は好きなんだよ?
あんまり飲まないだけで。
すぐ酔うから。
というか、こういうときは自動発動魔法さんの出番じゃないの?
「プルーナは水みたいな物だから」
そうですか、悪影響はないってことね。
じゃあ、気にしても仕方がないし、子供でもお酒を飲む世界なら、気にせず酔えば良いんだろう。
え? 待って、それって普通は酔わないってこと?
何となく生温かい視線がミレルから返されるけど……
あっさりと僕は酔ってしまって、食事をした後すぐに、部屋へ上がることとなってしまった。
部屋に入って鍵が掛からなかったから、魔法で鍵まで掛けたのは覚えているけど、そのあとはすぐに寝てしまった。
◇◆
物音がしたと思って、僕は少し目を覚ました。
誰かがトイレにでも行ったのかな??
トイレは共用だし、廊下は他の人も通るだろう。
確か魔法鍵に認証は付与したから大丈夫。
そこまで考えて安心した僕は、酔いも少し残っていたので、また夢の中へと落ちていった。
◇◆
バタバタと足音が聞こえて、今度はしっかりと目を覚ました。
部屋の中を見回せば、ミレルとスヴェトラーナも起きて周りを見回している。
明かり取りから光が入ってきていないことから、まだ真夜中のようだ。
足音は階下へと遠ざかっていって、そしてすぐに消えた。
複数人が急いで外に出て行ったようだった。
宿に泊まっていた他の客だろうか?
こんな夜中に、慌てて外へ出て行くような、何か大きな問題が起きたのかな?
部屋の扉を開いて、廊下の様子を窺う。
そのままでは暗くてよく見えないので、『光量調整』を使ってある。
向かいの部屋から同じように、ろうそく片手に廊下を覗いている人がいたけど、僕と目が合うと部屋に戻ってしまった。
それ以外は──
階段に一番近い部屋の扉は開いていたけど、近くに人影は窺えなかった。
他の部屋は、人が泊まっていないのか、寝ているのか、危険だから出て来ていないか、既に確認を終えたのか、とにかく扉は開いていなかった。
そして、宿屋の主が階下から上がってくる様子はない。
普通に考えると、階段に一番近い部屋から誰かが出て行ったことが予想できる。
でも、なんとなくきな臭い気がしてならない。
ミレルとスヴェトラーナは、何か他に気付いたことがないかな?
「夜中に一度、わたしたちの部屋を外から開けようとした音が、聞こえた気がするの」
まずミレルが答えてくれた。
僕が一度目を覚ましたときかな?
「御主人様が魔法を掛けておいて下さったお陰で、扉はビクともしませんでしたけど、確かに開けようとしていたと思います」
スヴェトラーナも同じ印象を持ったみたいだ。
もしかして、僕は扉が壊されないように『物理防御』も軽く張ってから寝たのかな……
ということは、誰かが入ろうとしたんだろう。
部屋を間違えたのなら良いんだけど……僕の部屋は鍵が壊れていて、ロックできなかった。
その部屋に人が泊まっているときに、誰かが来たってことは、それを知っていたからだと思う。
つまり宿側が犯人か、もしくは犯人の仲間だろう。
他に理由があったとしても、犯罪幇助なのは間違いないと思う。
そうなると、階段に一番近い部屋も、同じようにターゲットにされる部屋で、鍵が掛からなかったのかも?
そう思って、僕はその部屋に行って、扉を調べてみることにした。
予想したとおり、確かに鍵が掛けられないようになっている。
つまり、この部屋の宿泊者は、恐らく犯罪のターゲットとなり、それに巻き込まれたと言うこと。
連れ去られたと見るのが正解かな?
確証を得るだけの証拠が足りないけど……
部屋の中で争った形跡は無い。
ただ、寝ているところを襲われて連れ去られたなら、争うことも出来なかった可能性は高い。
荷物はこれといって何も残っていなさそうだ。
机も椅子もない狭い部屋だ。
床には薄っぺらい掛け布団が落ちているぐらい。
掛け布団を持ち上げてベッドに戻すと、ぽとりと何かが床に落ちた。
絡まった紐の様に見える。
拾い上げて、手の中で解こうとすると、それは白い輪っか状に広がった。
この動き……輪ゴムだな。
それ以外にも、長い髪の毛が一本、掌に載っていた。
輪ゴムに髪の毛が絡まっていたのだろう。
「なあに、それ?」
「髪留め用の輪ゴムだよ」
いつの間にか、後ろに着いてきていたミレルの質問に、僕は端的に答えた。
すると、不思議そうな顔で首を傾げている。
隣にいるスヴェトラーナも同様だ。
輪ゴムを知らない??
この世界の下着には、ゴムが使われているのに……?
そういえば、下着以外でまともなゴムを見ていない気がする。
ミレルとスヴェトラーナに、詳しくゴムの説明をしてみたけど、あまりピンと来こないようだ。
他の衣服に比べて、下着は工場生産品みたいに品質が均一だから、何か特別な方法で──例えば魔法とかで生産されているのかも知れない。
だから、素材が何か?なんて知らないのかも。
だったとしたら、そのゴムが流通していないこの世界で、輪ゴムを持っているって……よっぽどの天才か、はたまた異世界の知識を持った人──例えば転生者とか。
昨日の懐かしさを感じる曲が脳裏をよぎる。
あの曲は、日本で聴いた曲だったのでは……?
昨日酒場にいた楽師は転生者で、この部屋に泊まっていた?
そして、連れ去られた??
理由は不明だし、この推論が正しいかも分からないけど、まずい事態な気がする。
連れ去られたのが転生者なら、にのかみの探している白鶴その人以外にいない。
その可能性があるなら探しに行かないと!
「この部屋に宿泊していた人が攫われたと思う。だから僕はその人を探しに行ってくる」
ミレルにそう告げて、僕は階下へと降りようとすると、彼女に止められた。
「待ってボーグ。武器と荷物を持って行きましょう。それと、わたしもついていくわ」
「ここに一人で残るのはイヤです。わたしもついていきます」
荷物の件は賛成だけど、2人とも着いてくるのは……危険なところに行くかも知れないんだよ?
「わたしたちも狙われたんだとしたら、ここに残っていても安心だとは言えないわ。それに、ボーグのそばにいることが一番安心できるのよ?」
信頼されていて嬉しい限りだね。
スヴェトラーナもはげしく頷いている。
基本的に魔石フル武装にしてもらったら、危険はないと思うんだけど。
「2人とも、僕から離れないようにね?」
『はいっ!!』
元気よく返事をして、それぞれ僕の腕に抱き付いてきた。
いや、くっ付けとは言ってないんだけど……
悪い気分じゃない……というか、良い気分だからまあ良いか?
いやいや、周りから見たらむしろ良い身分だなって思われるし、そんな暢気なことを言ってられる場合でもないよね。
かといって、僕には彼女らの気持ちを否定するようなことはしたくないので……うん、少しこのまま動こう。
結局、動きにくいことを彼女たちもすぐに理解したので、離れてしまった。
ちょっと残念だけど、今は急ごう。
荷物を取りに部屋へ戻って、すぐに1階へと降りて宿屋の外に出る。
そして、当然のことなんだけど、困った問題に直面することになる。
「どっちに行ったんだろうね……」
光量が調整された視界なので、真夜中でも周りはよく見えるんだけど……宿屋兼酒場の前には判別できないほど足跡がたくさんある。
利用客を考えれば、当然だよね。
新しい足跡だから、分かるかと思ったんだけど、そんなに易しくは無いみたい。
こんな時は神頼みならぬ、魔法さんにお願い!!
今までの経験上、犯罪の色が濃いなら、便利な魔法が使えるはずだ。
ということで、『辞書さん』を発動して、魔法を検索する。
幾つか候補は上がったけど、時間が無いので最初に引っ掛かったそれっぽい魔法を使ってみる。
魔法の名前は、統術『失せ物探し』。
落とし物を捜すための魔法で、関係のある2つの距離と方向を示してくれるらしい。
説明を読む限り、物の所有者がその物を落とした場合に使うのだと思うけど……関係のある2つという制限しかないので、持ち主捜しにも使えるっぽい。
そして、捜索対象物の保護機能もあって、破損や無断使用を防ぐことが出来るみたい。
どこかのスマホの便利機能みたいだね。
どんな作用が働くのかは分からないけど、安全を確保できるなら使っておいて損は無いと思う。
部屋で拾った輪ゴムを対象にして、早速魔法を発動させると、視界にAR表示で矢印と数字が表示された。
何とも分かり易い。
幸いなことにそれほど距離も離れていない。
位置が分かれば簡単なものだ。
音を立てたてずに、今のところ最速で動ける手段──『物体浮上』で3人まとめて空へと飛びあがり、捜索を開始する。
左右で少し悲鳴が聞こえるけど、すぐに済むのでそのままにして、矢印の方向へ一直線に向かう。
さすがぶっ壊れ性能の魔法だけあって、一瞬で目的の場所まで到達する。
どこか道をまだ走っているかと思ったんだけど、意外にも近くの建物に居るらしい。
これで、繰り返し行われている犯行の線が濃くなったかな。
僕たちは、被害者が連れ込まれたと覚しきアジトの前に降り立った。
すると、矢印は思ったより下を向いていて、建物の中というより、下を指していた。
地下室かな?
防音性能も高く、出入りの制限もしやすいから、捕らえた者を地下に入れるのは合理的と言えるかな。
ただ、そこに犯人も一緒にいる場合、彼らにも逃げ場所がなくなるのだけど。
まずは、人数と状況の把握だね。
僕は『赤外線診断』を発動して、外からアジトの中の様子を窺った。
地上に見える人影は2つ。
地下は……狭い場所に影が幾つも重なっているため、何人居るのか分からない。
少なくとも、地上の2人は見張りだろうから、簡単に入れさせてもらえるわけではなさそうだ。
逆に言えば、そこまでして、人を中に入れたくないようなことをしているらしい。
中にいるのが僕の推測する人ではなかったとしても、さっさと助けに入った方が良さそうだ。
誰も彼も関係なく、とにかく安全に、そして平和的にこの場を解決するために、一番良い方法は──眠らせることかな? 良く使ってきた魔法だし、問題が起これば目を覚ますし。
決めればすぐに実行。
さくっと終わらせるために、『睡眠導入』を発動させた。
『赤外線診断』を発動したままの視界に映る、2つの人影が膝を突いた。
問題なく効いているようだ。
後ろにぴったりとくっ付いている二人に声を掛けてから、僕たちはアジトへと突入した。




