⑧~籠城~ 名も無き結末
合図と共にキャラバンは内側から眩い光を放ち、
レンガのような木製の直方体がバラバラと転がるように四方へ広がる。
――ノアズ・アーク、籠城形態《フォームキャッスル》。
移動力を捨て耐久性と迎撃性能にステータスを振ったような背水の陣だ。
すなわち、俺たちはここで迎撃戦に出る。
あるいは奴らの体内に毒が回り、
救助がやって来るその日まで、
この場所で耐え忍ぶ。
「さて、この地でアンタらの身体も何時間持つんだろうな。」
フォームキャッスルで拡張された空間は、
方舟が初めから内在していた亜空間から取り出されたものだ。
つまり俺たちを含め生存している13人と一匹を持ってしても、
充分過ぎる程に正常な酸素が満ちている。
場所も良好だ。
上下三段を含めおおよそ30畳程の床面積を誇るこの巨体を、
魔鍾石のつららやら岩石の柱やらで潰されるようなことは無さそうな立地。
いや、例え隕石が落ちようとも、
この形態が崩される想像はできない。
それ程までに底知れない守備力を秘めていることが、
最大にして”唯一”の強みだからだ。
『そんな木の城で、何が出来るというのだ。』
「お前らを凌ぐくらい造作も無いさ。」
最上階からは首巻で口と鼻を覆ったテツが、
狙撃銃を持って顔を出した。
「……あんま無理すんなよ。」
俺がそう声を掛けると、テツはただ親指を上げて答えた。
『虚勢は不要だ、F級の無魔ども。……もしもそれが真実ならば、貴様らは何故相対する!』
――痛い所を突くじゃないか。
事実、強力な攻撃を防ぐにはエルノアの魔力操作が肝となる。
三方向から猛攻を受ければ一匹の黒猫に掛かる負担は甚大なものになってしまうからだ。
それもA級ダンジョンにいるような怪物三匹。
奴らの体力を削る為にも、エルノアの体力を持たせる為にも、
俺は奴らの攻撃を分散させなければならない。
「自宅に群がる宗教勧誘は、撃退するのがマナーだろ?」
俺は短剣を抜き、手の甲の皮を裂いた。
互いに臨戦態勢。
俺の構えを見るのと同時に魔女帽はグロテスクに頭部を変形さえ、
今にも激しく暴れ出しそうな竜頭へと姿を変えた。
圧倒的な殺気と触れただけで鮮肉が腐りそうな禍々しい瘴気が、
三方向から立ち込める。
「そんな怖い顔しなさんさ、隣人さん。それともアレですか。引っ越しの挨拶がまだだって?」
右手では短剣を握り、
交差させた左手は流血した甲を正面へ見せるように。
体制は少々前傾で左脚は前に、
「それではどうぞ。」
踏み込む。
「粗品ですが。」
同時にテツが魔女帽だった怪物へ、
――ダァンと、轟音を響かせ一撃を放つ。
『ヴィア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!!!!』
首元への直撃。しかし、足りない。
――死なねぇか。
『ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!――二度は、無いッ!!』
「知ってるよ」
俺は手の甲から垂れる鮮血を散らしながら、
絶賛再生中の竜のキメラへ斬りかかる。
短剣は順手から逆手へ、持ち変えた後に斬り裂いて逃げる。
前陣速攻のヒット&アウェイ。
射程はネックだが身軽さのある素早い戦型。
『小賢しいッ!!』
刹那に振り回された鞭のような触手が、俺の死角から胴を襲った。
衝撃、浮遊、不快感、そして軋むような背中と腰の痛みを受けて、
背中で衝突した岩壁がパラパラと崩れていく。
「ガッハ……!!――ゲホッ、ゲホッ……」
――なんだそれ……ッ!!
「スゥー...ハァー...、スゥー..、ハァーッ。――スゥー、ゲホッ!!」
いくら呼吸をしても酸素が足りず、咳が止まらない。
肺が圧迫されたか、身体がパニックを起こしただけか。
如何せん重すぎる一撃。
どうやったらそんな力が出せる。
悪魔にでも魂を売ったのか。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ!!」
休んでいる暇はない。
砂塵は晴れ、キメラの鋭利な触手が眼前に現れる。
――ズザァッ!!
傾けた首の左頬を掠めて壁を穿った触手を掴み、
刹那に俺はそれを短剣で斬り落としてから距離を取る。
『キェェェェェッ!!!!!!』
キメラはそれを引っこめると、
失った右腕を不思議そうに眺めた。
「再生しないだろ。……俺の血が付いたもんな。」
『―――!!?』
そう。通常では有り得ない"後天的な無魔"である俺には、
言わば呪いが掛かっている。
それはこの身体に魔法を使えなくさせる呪い。
それは例えどんな状況であり、どんなに場所にいようとも、
俺の身体を制限し続ける忌まわしきもの。
しかしこの身体の内側に流れるその瘴気が、
出血という形で強制的に外界に発露した時。
すなわち強制的に物理的に、
他者に”干渉させた”時。
この呪いは武器となる。
「所詮お前らは人間だ。ハァッ……、どんな契約をかわし、どんな力を手に入れようとも、ハァッ……、魔法で得た力であれば、俺はてめぇらをぶっ倒せる。」
――虚勢で虚言だ。だが、これで良い。
『笑止!』
触手から魔法陣が展開される。
――竜炎系円型魔法陣、火炎の放出、火力大、単発射出、連続使用可。
俺は必死に目で追いながら蛇行して走る。
横切る火球の熱波に肌を焼きながら、
適所を探しつつ、
地に足を付けステップを刻む。
『グォオオオォォォッ・・・!!!』
急速に迫る本物の「死」を前に、
鼓動の高鳴りを感じながら、
火球の合間に突き刺してくるような触手の槍をかわし続ける。
――右、左、右、右、上、斜め右、下、上、上、上、下、左、左、斜め左、右、左、斜め上から右、下・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『ア”ァ”避けるだけかッ!!』
――下、右、左、斜め右から上、下、左、右、右、左、左と見せかけて右、下、左、上・・・・・・
「回避が俺の仕事なんでな!!」
『ハエがッ――!!』
見る。
相手の傾向を、戦い方を、その隙を、粗を、癖を。
観察して観察して戦いながら分析し、また避ける、避ける。
俺はひたすら回避する。
そこに僅かな、活路が見えるまで。
――右、左、右、上から右・・・・
触手の動きを目で追いながら、
意識は足元から身体へ。
今自分が必要最小限のステップを踏めてるか、
身体の動きに無駄は無いか精査していく。
――左下から右上、右上から左下、直線が減って、右、右、左、左、また増えた。
相手が何をしたいか、どう考えてるのか、
あるいはそろそろイライラしてくる頃か、
そして次第に、身体は戦いに順応する。
「はぁっ、魔法は良いよなッ・・!!空も飛べる。」
瞬間的に極少量、短剣の魔力を借りて刃先で火球をいなす。
「盾も出せるッ、炎も放てるッ・・!!」
身体の動きで斬撃のフェイクを入れる。
これは牽制。
キメラはそれに間合いをはかり微妙な前進と後退を繰り返す。
「水も出せる、花も咲かせられる。美しいこの世界をもっと鮮やかに照らしてくれる。いつかの本の世界の英雄みたいに、誰かを笑わせ、救い、助けてあげられる。その点”俺は”不出来で不能なF級ノイマだ。魔法なんて全くもって使えやしない!!」
闇と触手に目を慣らし、炎がそれを阻害する。
見えると見えないが交互に襲い来る。
酷使した目が縺れる様に霞みゆく。
しかし縦には一本、確かな線が視えていた。
「それでも迷宮では、仲間を護れる魔法で在りたい。」
ココが定位置である。
俺は腰を屈めて短剣を鞘へ戻し、
キメラの後方、キャラバンの上から二体相手に奮闘するテツへ限界まで叫んだ。
「今だ、撃てッ!!」
瞬間キメラは振り返り、テツは冷静に返答する。
『 無 理 』
――だろうな…
「じゃあ、いいや。」
俺は短剣を鞘から抜き去り、屈めた膝をバネにして、
キメラの肩へ飛びこんで首を斬り裂いた。
『一 閃』
【一閃】
系統:剣術・居合技
属性:物理
詳細:(斬撃系統の初歩的な抜刀術であり、
あらゆる魔法との親和性が高い基本的な近接攻撃術。
身体に内在する力をバネのように溜めることで、
瞬発的に高い速度と優れた威力の斬撃を繰り出す。
ナナシは魔法が使えないのでただの力技。)
――ドサラッ!!と、馬が倒れたような乾いた音が響く。
即死へ誘えば、断末魔は出ないものだ。
手に残るのは、肉を裂いた圧倒的な感触。
――ヒュゥッ...…
短剣らしく軽い血振りの音を立て、剣を納める。
短剣の魔力も底を着いていたので、ただの物理斬撃だった。
しかし再生能力を失い喉を切断されたキメラは、
自然の摂理に沿う様に、その場で膝から崩れ落ちた。
「覚えときな頭でっかち。格上相手にも偶には勝てる。これが俺の魔法ってやつだよ。」
ドヤ顔で息を整えながら想い更ける。
泥臭い。
が、無魔でもやれることはそれなりにあるのだ。
磨いてきた技達はそう簡単には腐らない、……はずだ。
というか疲れた。
「終わったなら手伝って。」
「無理。」
俺は這うようにして岩壁をへたれこみ、
襲われ続けるキャラバンを見守った。
恐らくは、一番強いキメラを倒した。
これ以上が居られたら困る。
2体くらいなら大丈夫だよな、エルノア。
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しばらくして目を開く。
瞬間。
キャラバンの二段目に備えられた二つの迎撃窓が開き、
片方はアルクの弓矢が、
もう片方からはエドガーの右手が飛び出しては、
『氷の礫』と『毒の矢』を同時に放った。
『研磨されし速氷塊ッ――!!』
【研磨されし速氷塊】
系統:自然魔法系・固有魔法
等級:B級
属性:①氷魔
②物理
詳細:(氷魔法系の戦式魔術にはバルグと呼ばれる代表的な技が有る。
そのバルグをより細く、更に弾丸のような横回転を加え、
狭いダンジョンでも命中精度を上げられるように研究されたのが、
エドガーの固有魔法〈ルースバルグ〉。
磨き上げた歴戦の技術は鋭く尖り、狙った敵だけを穿つ。
被害を最小に留め、毒の砂塵への配慮を要する
ジマ岩窟に適した戦式魔術である。
バルグと同級のレヴィ(炎)、
ケラン(雷)がC級であるのに対し、
ルースバルグは固有魔法として
一段階難易度の高いB級に設定されている。
「おっさん……。」
時間の感覚はおぼろげだったが、
致命的で決定的な瞬間を目に移す。
三段目から放たれるテツのライフル攻撃に耐えられなくなった二体が、
堪え切れず飛び上がった所を狙い撃ったのだ。
俺はやがて静かになった戦場にゆっくりと近づいていく。
結果的に喰らったのは一撃だけだ。しかしそれがジワジワと軋むような腰の痛みを誘発し続ける。
「いててて……」
全くもって困ったものだ。
俺は呆然と消し飛びそうな意識を保ち、鞘に納めた短剣で毒矢を射止めたキメラを突いた。
「死んでっかな?」
――ツンツン。
次の瞬間である。
『――グワァァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!』
強烈な咆哮を上げて飛び上がったキメラの鉤爪が、
ガチガチに凝り固まった俺の頭上で振り上げられた。
「――危ないっ!!!」
しかし、それを制止するように氷塊の魔法がキメラの腹を穿った。
「気を抜くな、初級冒険者。いいや、命の恩人。」
俺は顔を見上げる。
「エドガー、さん。……元気になったようで、良かった。」
靡く白髭に大きな体躯。
彼の身体には元来、ここらの毒に対する「耐性」というか、
強い「回復力」が培われていたのだろう。
それは長年の開拓活動で得た適応力。
俺はゆっくりと、広々空間へと変わったキャラバンの中へ身体を倒した。
「……アルク、扉閉めて。」
「言われなくても分かってるよ、こんな所。」
彼はキャラバンの扉を閉め、空気が漏れないよう完全にロックする。
――何やかんや有ったが、後は救助を待つだけらしい。
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頭の内側がガンガンと痛む。
「ありがとう名も知らぬ冒険者、君の”部下の薬”が良く効いたようだ。誰か、彼に水を――」
「……エドガー。」
エドガーは倒れ込む俺の頭を手繰り寄せ、優しく抱擁した。
偉大なる調停士エドガー・ウィリアム。
その身体は歴戦の氷魔術師らしく、ひんやりとしていた。
微かに香る煙の臭いはこの地で作られた葉巻のものだろう。
「貴方を目指してここまで来ました……。救助という意味でも、探索士としても。……覚えていますか?ウェスティリア魔術学院に貴方が来て下さったこと。」
「ウェスティリア...。あぁ、そうか。君はあそこの生徒だったんだね。……それに、良い手下も抱えているようだ。」
エドガーは俺の頭を優しく撫で、にこやかに肩を叩いた。
見れば外傷はほとんど完治しかけている。
これがエドガーウィリアム。
圧倒的な回復力と突出したカリスマ性。
白髭と白髪の特徴的な見た目は、
冒険者らの勇気の象徴であることに違いない。
なればこそ、どうする。
現状は、救助を待っているだけではない。
このダンジョンという極地で俺たちは、
安全を確保しつつ留まってなければならないのだ。
それこそ、フォーム・キャッスルを解くような真似が出来るはずもなく
"ここでの"戦闘はなるだけ避けたい。
「ナナシくん。だったかね?本当にありがとう。帰ったら一緒に美味いもんでもやろう。私の家は妻が作る手料理が本当に美味しくてね、あぁ息子もいるんだがとても元気な8歳なんだ。やんちゃな歳さ。」
エドガーは落ち着いた声色で俺に話しかける。
「ロイダルと言った酒に詳しい奴もいるんだ、きっといい酒が――
「ハァ……、ハァ……。」
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「大丈夫かナナシくん。呼吸が浅い、酷いケガだ。」
「……ナナ?」
酸素を荒く吸い続けゆっくり目を閉じる。
脱力した俺はプーカに担がれて薬剤室へと入った。
彼女の部屋には俺専用の強い薬が有る。
毒が効きにくい為だ。
そしてこの部屋だけは、特別な構造と仕組みを持っている。
このキャラバンの特別な一室。
「どしたんナナ、仮病なんて。」
「ハァ。……いいや、実際疲れてるよ。身体も怠い。」
俺たちは小声で話す。
この部屋はキャラバンの中でもう一段階、外界と遮断できるようになっている。
音も空気も魔法も、そしてそれ以外も。
小声なのは、念の為。
「……きっついな。」
身体は確かにボロボロだ。
俺のアナログな毒耐性もプーカほど万能じゃない。
しかしそれ以上に、この精神が、
泣きたいほどにボロボロに疲弊していた。
「どしたん?」
俺は仰向けの身体に降り注ぐライトの光を、
目に腕を覆って隠し、涙を抑えながら思い出す。
体温は徐々に上がっていく。
今頭に在るは、たかが推理だ。
それでも、この推理が違うことは無いのだろう。
きっと現実とは、性格の悪い何かで出来ている。
「昔、……魔術学院に居た頃。エドガーに逢ったんだ。」
「うん。」
プーカは眠たくなるような声で、
優しく相槌を打つ。
「俺のことなんて覚えて無かっただろうけど。……とても優しくて、……穏やかで、愛されるべき人だった。」
「うん。」
「だから、誰かに憎まれるべき人じゃなかった。……そう感じたんだ。人嫌いのあの時の俺が、少なくとも、そう感じる何かがあった。エドガーは、そういう人なんだ。」
「そっか。」
プーカは俺の額に手を置いて、
淡々と言った。
「ナナが悲しいなら、プーカも悲しいよ?」
俺は自然に泣いていた。
ゆっくりと、溢れ出す様に。
恐らくはこの不甲斐なさに。
あるいは人生の儚さに、
運命という名の煩わしさに、
思想という名の汚らわしさに、
混沌とした感情の何かが、
心の中でもどかしく暴れていた。
そして何よりも自分の無力さがいたたまれなかった。
屈辱を抱えながら何も出来ない現状に、
悔しくて、いたたまれなくて、ずっと僅かに泣いていた。
ゆっくりと何故か溢れ出るそれを拭う。
プーカも俺の額を撫で続ける。
コイツはすでに気付いている。
気付いた上で何もしない。
それが最善だと知っているから。
「お前はスゴイな。」
「せやろ。知ってんねん。」
何が為にそうするのか。
仲間とは何か。
旅とは何か。
人生とは何か。
何が為に産まれて、
何が為に生きて、
何が為に死にゆくのか。
貴方は一体、どんな罪を犯したのか。
いいや少なくとも、こんなはずでは無かったのだ。
とても偉大な人間だったのだから。
しかしそれでも、事実は変わらないのだろう。
Tips
・ノアズアーク=フォームキャッスル
『籠城と名の付くこの形態は、キャラバンでありながらその移動能力の一切を棄てた完全な建物である。車輪であった部分は地に根を張る杭として機能し、ノアズアークの一部として機能する材質の全てが亜空間から引っ張り出される為、ある意味でこれがノアズアークの全容であり、魔法機能の全てが防衛に最優先される。それ故、例えばフォームタイタンで形成される巨腕等々はフォームキャッスルの持つ木材の質量を越えて形成されることが無く、現状では亜空間の収納能力=フォームキャッスルの収容能力というのがリザの見解である。』