⑨人殺し
「みなさん!」
――ギルドの救助隊が到着したのは、それから二日後のことであった。
・・・・・・・・
「……空だ。」
「おぉ。」
漏れ出る声は歓喜そのもの。
そこに詰まる溜息は疲労だとか安堵だとかを内包した、
ある種の幸せであるはずだ。
「……夢じゃない、助かった。」
「あぁ。あぁ。」
久方ぶりの新鮮な空気に、
肺から身体が満たされていく。
救助された全員が、
安堵を吐き出すように感嘆する声をあげた。
{ジマ岩窟・大入口}
「結局救助したのは私たちですけどね!」
不服そうな顔をしながら渡されていく小銭袋について、
恨み節を吐くのはギルドの受付嬢だ。
渡されたのは合計で792,000イェル。
この街周辺で流通している特別な大金貨がきっちり七枚分の入った袋。
簡素な見た目に反して中々に重々しい。
「うおー。」
俺は地味な驚きの声をあげているプーカの頭を撫でる。
今回の功労者だ。旨いものでも食べさせてやろう。
――というか……。
「持ってきてたのか。」
変なギルドだ。
やっぱり杜撰だし。
歩く金庫じゃないか。
「えぇ。でも半分は願掛けですよ。……なんせ、貴方たちの事など誰も期待してはいなかった。それでも本当に生きていれば直ぐにでも渡してやろうと、マスターが。」
通信石は乱れた魔素の影響か、
途中から完全に壊れてしまっていた。
「なるほど。」
救助者の容態は良好らしい。
流石はプーカ様と言ったところか。
二日ぶりの家族や友人を前にして、
クランエドガーの団員たちは飛びつくようにハグをしていく。
中には涙を流す者もいた。
それは安堵の体現でもあり、同時に死者への追悼でもあるはずだ。
「――イーライ、良く戻った!! あれが噂のキャラバン隊という奴か……?」
誰だよイーライ。
「本当にあんな奴らが? 信じられない・・・・。」
視線が集まる。
「――無事でよかった。本当に良かった!」
聴覚過敏とでも言い表そうか。
ダンジョン帰還後の感覚が過剰になる副作用。
耳に入る声が煩わしい。
戦いを終えると、この身体は感覚が研ぎ澄まされ五感が過剰に働いてしまう。
まるでズキズキと脈打つ偏頭痛のそれ。
興奮が冷めやらぬまま、何処となく気分が悪い。
晴れ渡った空を見上げながら、
眩しすぎる陽光に嫌気がさす。
――不快。
「……ユーヴサテラ様。」
群衆の中から唐突に、俺たちを呼ぶ声がした。
声の主を辿り、人中から姿を現したのは感動を分かち合っていたウィリアム夫妻だった。
みんなは何気なく一同に会し、静けさが広がる。
「ウィリアム婦人。」
この一時。
街の象徴的な存在である彼らと、
本件の英雄である俺たちとの対面を
群衆は見届けるようにして口を紡いだのだ。
そうか。
言わばここは凱旋門なのだろう。
ともすれば、そういう役回りだ。
いつもいつも。
「ユーヴサテラ様、有難うございました。」
三人家族。
頭を深々と下げて、佇んでいる。
「これは残りの金貨九枚と銀貨二枚でございます。この一人分の報酬だけは、私たち個人で負担したいと申し出ました。本当に、何とお礼を申し上げればいいか……」
婦人は硬貨の入った袋を前に差し出し、
もう一度深々と頭を下げる。
「顔を上げて下さい。」
俺は婦人の肩を撫で顔を上げさせ、目と目を合わせた。
婦人はボロボロと涙をこぼしながら泣いている。
テツは、戸惑ったような泣き出したいような顔をしている
ウィリアム家の一人息子と顔を合わせ、
大幅に減った非常食の在庫のクッキーをチラつかせ、静かに笑って手招いた。
「ほら、こっち。」
「え..?」
「あげるよ。おいで。」
「――うん。」
群衆からは掻き分けるようにしてスキンヘッドの冒険者が出てくる。
受付嬢はそれを制止しようとするが、
真に受けない様子だった。
「ちょっと、ロイダルさん……!!」
「……大丈夫だって、別に殴ったりしねぇよ。」
そしてロイダルと呼ばれた男は俺の前に立つと、
鋭い眼光で俺を睨んだ。
「ぐぅえ。」
俺はつい嫌そうな声を漏らし、
耳に入れたロイダルは舌打ちをして眉をひろめるが、
しかしそれから深々と頭を下げた。
「すまねぇ。殴って悪かった。……有難う、旅人さん。」
――ほぉう。
ロイダルの頭は燦々と煌めく陽光を跳ね返し、光を放つ。
なるほど、酔いが無ければ下げれる頭も持ち合わせているのか。
しかし、その謝意は過大評価だ。
「あんたのお陰だ。エドガーはこの街に居なくちゃならねぇ。あんたが救ってくれたんだ、旅人さん。無魔だとか何とか、俺は自分が恥ずかしい。すまねぇ。そしてありがとう……。」
腰は90度。
何とも辛い仕打ち。
ただ、そこに感情は要らない。
俺はいつも通り、落ち着いていた。
「いえいえ、頭を上げて下さいよ。」
俺たちは元来、感謝されるような人間ではない。
今回もしかりと対等な報酬を得ている。
それ故にただのクエストと同じなのだ。
依頼を受けて達成して報酬を得て。
それならただの取引だ。
それ故に感謝なんて要らない。
感謝なんて、されたくない。
今は。
「僕らはただ、全力を尽くしたまでですよ。ギルドの皆さんがいなければ、生きて帰れはしなかった。」
俺は笑いながら謙遜したように言いくるめ、
小銭袋に触れた。
しかし婦人は差し出した小銭袋を見つめながら、
それを渡さないようにガッチリと握っていた。
「え?」
俺は袋を少し引っ張てみる。
しかし婦人はそれを引き戻し、
その押引きを三回ほど繰り返して、
やがて婦人は腹を割った。
そして俺は同時に腹を”括った”のだ。
「そ、その!……変な話かもしれませんが。」
視線が気になる。
群衆の向ける一人二つのぎょろりとした目玉が。眼光が。
「なんですか?」
俺はにこやかな表情を崩さないまま耳を傾ける。
「受け取らないで……、欲しいんです。」
その言葉を受けて困惑した表情を浮かべたのはロイダルだった。
「キャシー、お金が無いならそう言え――」
「違うんですッ!!……そうじゃないんです。」
この時点で、"盤面"を把握していた人間は、
俺たち五人と一匹だけだったであろう。
世界が俯瞰で映る。
神経が研ぎ澄まされる。
視野が狭まる。
やがて五感は全覚醒する。
不愉快な脱力を命令しながら。
実に、本当はもう少し待ちたかった。
最高の瞬間を。
『私の夫は、何処ですか!?』
緊張が波及する。
相手もそうだ。
ウィリアム婦人の瞳孔が狂ったようにかっ開く。
だから違う、もうワンテンポ。
沈黙が広がった今。
俺は笑って茶化す様に口に出す。
「ははっ、何を言っているんですかぁ!?まったく~。」
その時、キャシー・ウィリアムのぐずぐずに泣き崩れた顔が、眼に飛び込んだ。
「可笑しな人だぁッ――」
刹那。
余りにも永い、刹那の白刃。
『な。』
『な。』
『な。』
『な。』
『な。』
・
・
・
・
『な。』
世界が止まる。
記憶を辿る。
手に掛かるこの圧力を何度も確かめる。
そして、
――ゴッ!!と低くて鈍い落下音が跳ね、コロコロと回って止まった。
そこにある圧倒的な感触。
エドガーに生まれた絶対的な隙。
その一瞬に感情は無い。
俺は短剣を抜き去り持てる限りの速度を尽くして、
エドガーの喉を捌いた。
自分を殺し。
自我を殺し。
今、悪魔のように命を刎ねた。
正真正銘、人を殺した。
「えっ・・・?」
血飛沫がゆっくりと舞うように、時間が伸びる。
・
・
・
・
『エドガァァァアアアアア!!!!!!』
野太い声ながらに耳を裂くような声量で誰かが叫んだ。
婦人の右側にのっぺりと立っていたエドガーは、
喉から血を噴き出しながら膝から崩れ落ち、
一転俺は右足を踏ん張って、
有無を言わさずに横から飛びつかんとしたロイダルの顔面を思いっきり殴った。
「かはッ――」
ロイダルはピューッと鼻血を空へ散らしながら、
白目で倒れていく。
沈黙。
そして唖然。
力無く崩れ落ちた街の英雄を前にして、
同調するように何人かが肩を落とし、
そのまま膝から崩れ落ちる。
現実を理解できないとする感情たちの蟠り。
痺れるような、張り裂ける様な、嫌悪と疑念と憤怒の眼差し。
どこか息苦しくて、押圧的で閉鎖的な場所にいるかのような感覚。
世界の空気が変わったように、酸素が足りなくなる。
世界の憎悪が、俺という一点に集められている。
・・・・・・
『てん、め"ぇ"え"え"え"ええええ!!!!』
――後悔は無い。
例えそれが卑怯であろうとも。
残酷な結末で有ろうとも。
この時間は流れていく。
さて、何と言おうか。
俺は目の前で唖然とする婦人を前にして、口を開いた。
「憑依呪法《乗っ取り》と言う禁術。それに近しいナニか、です。多分、本人は、最初の崩落で、もう……」
疑念も何も無い。
どれだけの傑物であろうとも偉人であろうとも、
ダンジョンとは平等に、
人が死ぬところなのだから。
「細かいことを長くは話せません。恐らく俺たちは評議会ギルドに拘束されます。ってかその前に、半殺しにされる(笑)。だから今言えることは一つ。」
制限時間を前にして言葉をまくし立て、
もう一度深く頭を下げる。
そして悟った。あぁこれが本来の場所。
「誓ってこれが、最善でした。」
そう。
これがダンジョンに不法侵入を図るならず者を放置し、
大勢の死人を出す結果につなげた張本人の立ち位置。
やはり現実とは、簡単にグッドエンドだけが立ち並ぶほど甘くは無いらしい。
まぁ時の運だ。
俺たちは所詮非力。
選んできた選択肢に誤りはあれど後悔はない。
ただ、それでも。
目の前で涙を流すこの人には、
死人を慕ってきた彼らには、
同情せずにはいられない。
逆に同情して欲しいまである。
今やこの街で俺たちは、
もとい俺は、最高の道化で極悪人だ。
『死ねぇえええええええ・・・えええ!!!!!!』
やがてもう一つ群衆の一カ所から声が上がり、
波及する様に大声は広がって、
救助者を取り囲んでいたギャラリーの輪が息を合わせた様に、
四方から刺す槍の如く俺の元へ走り出す。
ゆっくりと、
ゆっくりと近づく人間の波。
冷静な思考が、この脳の回転が、世界の時間を遅めてゆく。
どうしようか。
どうするべきか。
高鳴る心臓の一拍よりも早く、頭に思考を巡らす。
抵抗しようかと身体に力を込める。
そして次に、
――あぁ...。
全て、
どーでもよくなる。
――覚悟してたさ。私刑くらいは...
『やめてくださいッ!!!』
場を一蹴するように挙がる一声。
迫り来る大衆の荒波を静めたのは、眼前。
エドガーの死体に寄り添うウィリアム婦人だった。
群衆は足を止め、目を丸くする。
「貴方は確かに、夫を、救うと言ってくれました……。その目は、その目は本当に、今朝別れたあの時の、いつものエドガーのように、澄んでいました。」
彼らの驚愕した顔を一瞥し、俺は構わず口を開いた。
「……キャシーさん。こんな俺をまだ信じてくれるのなら。エドガーウィリアムの胃にある卵型の蒼い石をこの短剣で突き刺してください。あの大きさを隠すなら、もうそこにしかない。それがきっと、不幸を呼び続ける。見届けたら俺は、貴女の前から姿を消します。」
愛を誓った人間の死体。
その喉を斬り裂いた人間が、目の前で更に刃を立てろと要求している。
一体どんな気持ちなのだろうか。
きっと誰にも分かるはずが無い。
それから婦人はエドガーの身体をまさぐり、
腹の中に何かを感じ取ったあと、ゆっくりと短剣を振り上げる。
そして、震えた手で言った。
「やらなきゃ、……ダメですか?」
「貴女でなくてもいい。また俺が――」
その言葉で、婦人は振り下ろす。
胃の中に仕込まれた石を服の上から刺し砕いたのだ。
そして流れ出る鮮度の悪い流血と共に婦人はもう一度泣き崩れた。
観衆はその光景に唖然とする。
俺も何故だか分からない、何故彼女は理解できているのか。
血濡られた短剣を返された時、強欲ながら一言だけ彼女に聞いた。
「……何故、分かったのですか?」
キャシー・ウィリアムはその問いに対して「愛してるから……」と俯いたまま答えた。
まったくもって、
まったくもって、
不可解な応え。
あるいはそれはエドガーへの弁明だったのかもしれない。




