もはや是非も無し
「女狐殿と仲が悪い連中も、態々他領で騒動を起こすとは思い難いが……」
「陛下、護衛は常に万一を想定して動くものです」
「“後悔先に立たず” とも言いますからね」
相変わらず何処で聞き齧ってくるのか知らないが、鎌倉時代の書に含まれる故事を口にして、ふんわりとイザナが隻眼の魔術師に微笑む。
僅かに場の雰囲気が柔らかくなったのを機に、促されるまま頭数及び積荷を変更して人の歩速に調整した馬車へ乗り込む間際、臨機応変な判断のため宿営地に残る副騎士団長へと振り返った。
「すまない、留守は任せる」
「宜しくお願い致しますね、ライゼス卿」
「善処しよう。二人とも偶には羽を伸ばしてくると良い」
柄にも無い台詞を吐いた壮年の騎士に見送られつつ、寄り添うイザナと一緒に車内へ乗り込み、音楽祭の期間は開放されている中核都市の南門に向かう。
なお、付近は人々で混雑していたものの、緩りと進む馬車に随行しているサリエルや近衛兵らを警戒して散り始めた。
ごく普通の感覚を持つなら、貴族などややこしい連中に関わるのは面倒なのだろう。
自身も他人事では無く、胸裏で自戒している内にも馬車は進み…… 南門を潜り抜けて騎体運用を想定した幅広い大通りに至れば、商機に乗じた露店や行き交う者達の姿が視界に飛び込んでくる。
「賑わっていて、結構なことだな」
「えぇ、見ているだけで少し浮かれた気持ちになります」
機嫌良さげなイザナが見つめる先の街角では、chinrestに乗せた顎と鎖骨でバイオリンを固定した男が深みのある音色を奏でている。
それを路上で聞き入る民衆の外側、素知らぬ顔で準備していた別の奏者が徐に同じ楽器を弾き始め、隣の男に合わせて即興の協奏曲を響かせていった。
「ん~、こうなるとチェンバロも欲しいですね」
「…… 流石に無理があるだろう」
仮にも “グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”、通称ピアノの原型となった鍵盤楽器は持ち運びが困難なことに加え、手作りの工芸品なので値段が日本円に換算して数百万もする。
おいそれと野外に持ち出すなんて不可能だと思いきや…… 人混みとなっている中央広場に鎮座していた。
そこでは十数名ほどの集団が横笛やリュートなども交えて管弦楽器の類を演奏しており、傍目に見ても活気づいている。
「通り抜け難いのは仕方ないか……」
「私たちも大人しく “音色に耳を傾けろ” という事ですよ」
そっと翡翠色の瞳を閉じて傾注したイザナに倣い、俺も聞こえてくる音楽に意識を向けながら、外縁部を馬車が移動できるように聴衆へ声掛けする衛兵らを見遣った。
暫時の後、ある種の野外音楽堂と化した都市レイダスの中央広場を抜け、ようやく領主の屋敷に辿り着けば、招き入れられた玄関室で御婦人を伴った筋骨隆々な伯爵ラドグリフ・アイゼンが出迎えてくれる。
「久しいな騎士王殿、リヒティア公国での活躍は聞いている!」
「“滅びの刻楷” の将たる上位種族を撃退なされたとか、素晴らしい事です」
濃紺のシックなドレスに白いショールを羽織った嫣然な御婦人が微笑み、首都ヴェルン近郊の戦いを賞讃してくれたが、同盟側にも被害は出ているので謙虚な言葉を返す。
「勝負は時の運だ…… 余り褒めそやさないで欲しい、二人とも」
「ふむ、謙遜は美徳だが、状況次第では反感を買うぞ?」
短い挨拶代わりの会話を済ませ、適度な距離まで近づくと伯爵の無骨な右掌が差し出された。
もはや是非も無ないため、潔く握手の体裁を繕った誘いに応じ、俺の右掌を本気で握り潰そうとしてくる相手に抗う。
「ッ、ぐぬぅ、さらに筋肉を磨き上げてきたか!」
「俺もッ、日々鍛錬、しているからなッ」
「…… 貴女も苦労していそうですね、イザナ王妃」
「ふふっ、雄々しくて可愛らしいではありませんか♪」
幼さを残した少女の意外な反応に御婦人が押し黙った直後、傍に控えているフィーネの小さな溜息が聞こえてきた。
「エルゼ婦人、普段の陛下は思慮深い方です。脳筋だと誤解しないでくださいね」
「御免なさい、一瞬だけ此処にいる殿方全てが筋肉の信奉者かと……」
言葉を濁した御夫人が何処か安心したような態度で頷いたものの、何やらゼノス団長が不満げな声を漏らす。
日頃から “鍛え抜いた筋肉は裏切らない” という信念の下、ディノを含む弟子達に高負荷の筋トレを課している立場として、言われっぱなしでは気が済まなかったようだ。
「淑女には理解できないだろうが、最後に笑うのは筋肉だ」
「意味が分かりません、えぇ、本当に……」
「すみません、うちの義父は適当に無視してください」
恥ずかしそうに俯いた幼馴染の姿を見て、思わずイザナが零した微かな笑い声が途切れるのを待ち、随分前に握手など終えていたラドグリフが場を仕切り直す。
どうやら今夜は市街地の劇場で行われる演奏会に出掛ける予定だったらしく、此方の護衛含めて一角の席を確保しているとの事で……
彼の侍従で奥方公認の愛人リーディが焼いた菓子や香草茶を頂きつつ、騎士団長の父娘も交えて暫く談笑してから、アイゼン家の馬車を含む三台に分乗して西区へと向かった。
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