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沖島教諭がとある生徒の学力に絶望した理由

中間テスト後の話になっています。

作中に平安時代の文化や特定の人物を馬鹿にする表現があります。

ご注意ください。

「あのさー、浅倉はさ。理数はそこそこなのに、なんで文系は壊滅的なわけ?」


 1-Aの担当教諭、沖島秀世(おきしまひでよ)は数枚の答案用紙を机に並べ、それを見ながら大きなそれは大きなため息を吐いた。どれも点数は芳しくなく、こんなものを見ていたら溜息の一つや二つ漏らしてしまっても仕方がない。

 沖島の向かいに座る浅倉は自分のことだというのにも拘らず、我関せずといった態度で他人事のようにさあと首を傾げた。


「知らん。理解出来ないんだからしょうがない」


「せめて現国は日本人なんだから赤点取るなよ。特に俺の古典はなんなの? 2点って嫌がらせ?」


 0点を取ることも難しいが、2点を取るのはさらに難しいだろうに。何をどうやったらこんな点数になるのだろうか。ああ、偏頭痛がしてきた。

 沖島は左のこめかみをぐりぐりと抑えながら、再度溜息を吐いた。今の彼は普段のやる気のない印象からは、考えられないくらいに真剣で険しい表情をしていた。


「あ、ラッキーだ。適当に選んだ記号問題が当たってた」


 ラッキーとはなんだ、ラッキーとは。試験はロトくじの様に運任せでやるもんじゃないんですけど。

 沖島は両手で顔を覆い、いやいやとかぶりを振った。彼は今回が初めての担任だというのに、何故にこんなにも問題児がいるクラスに充てられたのだろうかと嘆き、それから彼をこのクラスの担任にすると決めた校長と学年主任を殺したいほど呪った。

 ヅラの校長は全校生徒の前でそれが取れてしまえばいいし、学年主任はバーコード禿げにでもなってしまえばいい。


「あー、もう浅倉はいいや。ところで三春はもっと酷いんだけど。お前は古典以外超良いのに、俺の古典が0点とかないわー。これ本当に嫌がらせだろ?」


 浅倉に関わっていては疲れる。そう判断した沖島は、彼女の横にいる男子生徒の三春良行(みはるよしゆき)に話し掛けた。彼はトップクラスの成績だというのに、見た目は完全不良で喧嘩っ早い浅倉とどっこいどっこいの問題児だった。この二人に共通して言えることは、古典の成績が地を這うくらいに酷いということだ。まあ浅倉は古典のみならず、現国、英語、倫理、政経と一年生が習う文系科目の全てが最悪なのだけれども。

 せめて同じ問題児でも武東を見習って欲しい。奴は全教科文句無しのトップだ。


「ちげえよ。つうか古典ってなんなのあれ? 日本語じゃねえし。暗号だよ暗号」


 なら古典の教諭である俺は何だ。あれか、実はその暗号を解く数学者だとでもいうのだろうか。全くもって馬鹿馬鹿しい。

 嫌そうに古典のことを語る三春に沖島は、大学を出てまで専門的に古典を学んだ自分を否定されたと感じ静かに憤った。

 古典なめてんじゃねえぞ。現代文には無いあの趣の深さが分からないなんて、お前ら人生の八割損してんだかんな。


「そんなわけないし。ちゃんとした文学ですー。同じ日本人なんだしさー、ちょっと平安時代の人の気持ちになればいけるって」


 古典で扱う文章も日本語である。その登場人物の気持ちに寄り添えば、少なくとも0点や2点という点数にはならないだろう。沖島は最初こそこの問題児たちに古典の素晴らしさを教え説き、次こそいい点数を取ってもらおうと考えていたが、もう赤点さえ取ってくれなければ何でもいいとやと諦め始めた。あれやこれやと言い返され、面談は始まったばかりだというのに彼は既に面倒くさくなっていた。


「悪いが分からん。私には普通の高さの塀から落ちて尻を打ったくらいで、ああ俺もう死ぬんだとか悲観して本当に死ぬような人種の気持ちは分からん」


「俺も占いに頼りきった生活して、家を出るときも余所の家に入るときも左足からじゃないとダメとか言って、そこで歩数調整すりゃあいいのに馬鹿だから普通に歩いて、あ右足で入っちゃうからダメじゃねって言って家まで引き返して何回もやり直す人種の気持ちは分かんねえ」


 確かに彼らが言う部分だけ切り取って考えると、愚かとしか思えない。しかしそれだけが平安時代ではなく、それはちょっと馬鹿な人がやっちゃっただけで大部分の人はまともに生きていたはずだし、だからその時代の文学も素晴らしかったはずだ。


「……悔しいけど、そこは否定できないかも。でもそんな人ばっかじゃないし、それ貴族限定だしさー」


「でも文学になってるのは、主に貴族ばっかりだろ?」


「そうそう。幼女を大人の男が覗いて興奮してるような、変態を書いた文学には興味ないから」


 三春はもしかして、某光っている人を言っているのだろうか。熱狂的なかの物語のファンにそんなことを言えば、彼はタコ殴りにされることだろう。

 確かに沖島も初めてそれを読んだ時には、いい歳こいたおっさんが幼女を自分好みに育てるってどうなの。変態じゃね、と思いはした。けれどもその時代の文学としては最高峰で、素晴らしいもののはずだ。


「それ垣間見だよね。やっぱお前ら古典理解してんじゃないの? ねえ、嫌がらせ? そんでもって、お前たち何なの。この枕草子の現代訳は」


 沖島は彼らの解答をもう一度見直し、やっぱり溜息を吐いた。彼はこれまで大学時代にしていた家庭教師の頃を合わせても、こんなにぶっ飛んだ解答を見た事が無かった。本当にふざけているとしか思えないような酷いものなのだから。


「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際が、どうやったら春場所はやっぱりあけ○の関だ。最近は歳のせいかM字ハゲの部分に白髪が混じってきたが、彼ならきっと復帰できるに違いないになるの? 浅倉ふざけてる?」


 沖島はサービス問題でほぼ現代文に近い表現を選んだはずだった。だって何となくでも古典の授業を受けていれば、これは絶対にわかる問題だ。それがどこをどうやれば、引退した関取の復帰を願う文章になるのだろうか。そもそもその関取は、平安時代には存在しないということに気付かなかったのだろうか。


「ふざけてない。本気でやってそれだ」


「嘘吐くなよ。三春もなんなの? どうやったら、春になってあ○ぼの関は、自分の生え際に白髪が増えていることに気付いてしまったになるの? ていうか関取から離れろよ。お前らやっぱ二人で俺を馬鹿にしようって話してたんだろ?」


「俺も本気でやったって」


 沖島はもう疲れたと天井を仰いだ。本気で解答した人間が、こんな愉快な文章を書くだろうか。仮にこれが彼らの本気だったとしたら、それはそれで心配過ぎる。特に浅倉は文系が全滅なので、下手をしなくても留年コースまっしぐらである。

 初担任でそれは勘弁して欲しいんですけど。

 沖島はもう何度目か分からない溜息を吐き出した。


「なんだお前もあけ○のか?」


「おう、お前もか。ていうかそれしか思いつかねえよなあ?」


「だってそう書いてあるしさあ。そうなれば山際なんて、M字ハゲのことかなってなるし」


「そうだよなあ。生え際じゃねって思うよなあ」


 グロッキーな沖島を余所に、問題児二人はアホ丸出しの会話を楽しげに交わしていた。もう沖島はそれを否定することも面倒くさくなったが、仮にも彼は教師なのでそういう訳にもいかなかった。


「違うし。春は明け方。次第に白くなっていく山際が正解だし。明け方は曙でも正解です」


「分からんものは、分からん。ついでに言うとその答えはつまらん」


 浅倉は沖島の言うことをバッサリと切り捨てた。テストの答案に面白いとか、面白くないとかなんて必要ないのだけれど、彼女にとってはそれが重要であるらしい。それには三春も同意見らしく、うんうんと頷いていた。


「じゃあ浅倉はともかく、現国が高得点の三春はなんなの? 現国の問題と答案を見たけど全然、面白くもなんともなかったんですけどー」


「ああ? 現国面白いし。小説とか論文とか読み解くのって楽しいだろ?」


 それ、古典も同じだから。むしろ古典の方が読み解くもの多くない?

 沖島が堪らず三春にそう言うと、彼は古典は文章じゃないから無理だと失礼なことをのたまった。


「ああ、もう。本当にお前ら嫌だ。それで浅倉はなんで、カ行変格活用が妖怪人間クルクレコヨになんの? 三春はなんで垂乳根(たらちね)が垂れ乳のババアになんの?」


 沖島は頭を抱えながら俯いた。もう開放して欲しい。彼らといると沖島は頭がおかしくなりそうだった。


「それ力作なんだぞ。いい感じでそれっぽいだろ?」


「乳が垂れてんだから、垂れ乳のババアだろうが」


「カ行変格活用はタ○ノコプロではありません。垂乳根は母親、父親、両親とかを表す枕詞です。乳が垂れたばあさんじゃありません」


 誤った解答を恥じるどころか、むしろ自信たっぷりにどうだと言う浅倉と三春を見た沖島は、もうこいつらは放っておこうとそう思った。

 もういいや。留年でも何でも好きにすればいい。仕方がないから追試はしてやるし、チャンスは与えてやってるんだから沖島が悪いことは何一つない。


「……もういいや。取り敢えず一週間後に追試だから。それ合格しなかったら、浅倉は多分留年決定だから」


 沖島はそれだけ言うと腰かけていた席から立ち上がり、さっさと教室を後にした。何か浅倉が叫んでいた気がするけれど、きっと気のせいだと彼は聞かないふりをした。

 でも仕方がないから、明日は追試の勉強用プリントでも渡してやろう。やっぱ初担任で受け持ちの生徒に留年されたら、うざったい学年主任に何を言われるか分からないし。

 沖島は今日、百回目かもしれない溜息を長く長く吐きだした。

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