第1話:別府地獄巡りと、湯気の中の赤面
別府駅に降り立った瞬間、僕たちの鼻腔を突いたのは、どこか懐かしい硫黄の匂いと、街のいたる所から白く立ち上る温かな湯煙だった。長野の突き刺すような冬の寒さとは違う、肌を優しく湿らせるような空気。
「ねえ、エド。最初に行きたい場所があるの」
駅のロータリーで、あやのが僕の袖をきゅっと引っ張った。ひらがなのように柔らかくなった彼女の笑顔が、僕の胸を優しく締め付ける。彼女が指差したのは、別府名物の『地獄巡り』のパンフレットだった。
最初に向かったのは、コバルトブルーの美しいお湯が沸き立つ『海地獄』だった。まるで南国の海のような鮮やかさだけど、そこから立ち上る熱い湯気は、ここが本物の温泉地であることを物語っている。
「すごい……本当に海みたいに青いんだね」
あやのは柵に手をかけ、子供のように目を輝かせて液晶画面(僕たちのデジカメ)を覗き込んでいた。その時だった。
ゴゴゴゴ……っ!
突如として、間欠泉が激しい音を立てて熱い湯気を噴き上げた。
「きゃっ!?」
驚いたあやのは、反射的に僕の腕にしがみつき、僕の胸元に顔を埋めてきた。小さな身体が、僕の腕の中で微かに震えている。あの槍ヶ岳の垂直のハシゴで凍えそうになっていた彼女が、今はこんなにも近くにいる。
数秒後、自分の行動に気づいたあやのが、慌てて僕の身体から離れた。
「あ……ご、ごめんなさい。驚いちゃって……」
うつむいた彼女の耳たぶまでが、一瞬にして真っ赤に染まっていくのが分かった。照れ隠しのように、白い湯気の中に顔を半分うずめ、自分の指先をそわそわと動かしている。その姿があまりにも愛おしくて、僕は胸が高鳴るのを抑えきれなかった。
僕は一歩踏み出し、あやのの右手をそっと包み込んだ。そして、指と指を絡ませるようにして、深く恋人繋ぎをした。
「もう、離さないから」
「……っ」
あやのは小さく息を呑み、さらに顔を真っ赤にした。だけど、僕の手を拒絶することはせず、むしろ壊れ物を扱うように優しく握り返してくれた。
「ほら、あっちで地獄蒸しのプリンが売ってるよ。食べよう」
「うん……食べたい」
あやのは僕と繋いだ手を少しだけ揺らしながら、嬉しそうに微笑んだ。
温泉の蒸気で作られた名物のプリンを一口食べたあやのは、「ん〜! すごく美味しい!」と、今日一番の幸せそうな笑顔を見せた。そして、スプーンで小さくすくったプリンを、恥ずかしそうに僕の口元へと差し出してきた。
「エドも……食べる?」
湯気の中で少し上目遣いになりながら、顔を赤らめるあやの。
三年前の白い闇は、もう僕たちの間には存在しない。僕の生まれ故郷、南カリマンタンの太陽のように温かな恋が、この湯煙の街で、少しずつ二人の距離を溶かしていくのを感じていた。




