プロローグ:白い闇から、温かな湯煙へ
前作『槍と白い闇』をお読みいただき、本当にありがとうございました!本作は、あの極限の惨劇を生き延びたエドとあやのの「その後」を描く、大分県を舞台にした温泉ヒーリング・ロマンスです。
前作の重厚な雰囲気から一転、今回は傷ついた二人が温もりを見つけていく甘く切ない物語をお届けします。名前の表記をひらがなの「あやの」に変え、彼女の柔らかい変化も表現していけたらと思います。
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標高三千メートルの凍てつく風も、僕の指先を狂わせたあの冷たい雨も、ここにはない。
二〇〇九年、二月。高校の卒業式を間近に控えた僕――エドと宮越あやのは、長野の諏訪を離れ、九州の大分県へと向かう特急列車の中にいた。車窓から見える景色は、雪の残る険しい山々から、穏やかな湯煙がそこかしこから立ち上る別府の街並みへと移り変わっていく。
ふと隣を見ると、あやのが僕の肩に頭を預けて小さく寝息を立てていた。黒髪から、ほんのりとシャンプーのいい匂いが漂う。あの槍ヶ岳の頂で、絶望に満ちた目で僕を見上げていた少女の面影は、今の彼女にはない。
僕はそっと、自分の右手を見つめた。
あの激しい嵐の夜、死に物狂いで掴み取った彼女の右手。僕の脳が作った偽物の記憶、そして拓海と柊斗を襲った悲劇。すべてが白い闇の彼方へと消え去ったけれど、僕の手のひらには、あのとき彼女を引き上げた確かな感触が残っている。
インドネシアの南カリマンタン州で生まれた僕にとって、日本の冬はいつもどこか冷たく、異邦人としての孤独を感じさせるものだった。だけど、今、僕の肩にかかる彼女の体温は、僕の故郷の太陽よりもずっと温かい。
「ん……、エド?」
列車が大きく揺れ、あやのがゆっくりと目を覚ました。少し眠たそうに瞬きを繰り返すその瞳が、まっすぐに僕を捉える。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫。……ねえ、もうすぐ別府に着く?」
「うん。ほら、窓の外を見て」
案内すると、あやのは窓の外に広がる湯煙の景色を見て、子供のように目を輝かせた。その純粋な笑顔を見た瞬間、僕の胸の奥に残っていた最後の心の棘が、すっと溶けていくような気がした。
「綺麗……。本当に街中から湯気が出てるんだね」
「おんせん県って言うくらいだからね。ここで、ゆっくり傷を癒やそう。二人で」
あやのは一瞬だけ驚いたように目を見張ったあと、僕の右手を両手でぎゅっと包み込んだ。
「うん。ありがとう、エド。私を、ここに連れてきてくれて」
あの呪われた山の上での『告白』から数ヶ月。僕たちは今、新しい約束の場所に立っている。立ち上る温かな湯煙のなかで、僕たちの本当の恋が、今ここから始まるんだ。
プロローグをお読みいただき、ありがとうございました!
サスペンスの白い霧から抜け出し、温かな湯煙の街へとやってきたエドとあやの。二人の新しい恋の始まりを温かく見守っていただけると嬉しいです。
次回、第1話「別府温泉、地獄巡りと二人の距離(仮)」。
いよいよ別府に到着した二人の、甘々な温泉街デートが始まります! 少しでも「続きが気になる!」「ひらがなのあやのちゃん可愛い!」と思ってくださった方は、ぜひブックマーク登録や評価での応援をお願いいたします。執筆の大きな励みになります!




