78・特別顧問
ルシャのもとへ封筒が来たのでそれを読んだ彼女はルートを家に呼んで会議を開いた。
「あいつなら参加する資格があると思うんだがどうだろう」
「問題ないと思う。だがまずは運営に相談するべきじゃないか?」
「じゃあ今回は私とお前だけで行く?」
この会話に至るまでの説明をしよう。ルシャとルートの家に届けられた封筒はエアレース”リーグ・ドゥ・ヴァンフィールド”の運営からで、毎週末に開催されるリーグ戦の救護班のことではなく、新たに選手として参加することを考えている希望者の選考会の救護班として参加してほしいということが書いてあった。飛行の得意な2人はこの前の特訓で飛行能力を示したリリアを加えることを考えていたのだった。
救護班が増えることも実力のある人が参加することも運営にとって利益であるためリリアさえよければ是非とも参加してもらいたいと思っている2人は、明日の選考会のときに運営に相談することを決めた。
「にしてもエアレースの参加希望者は思ったより多かったみたいだね」
「ああ。最初の年度どころかたった1回でかなりの反響があったみたいだ。参加者に有名人でもいたのかな」
政府が強力に推進しているエアレースはルシャの参加もあって人気が沸騰し、主に王都で大々的な広告が展開されていた。世界最強の魔法使いに憧れる者も新たなエンターテインメントに心酔したい者も入り乱れて実に40人以上が選手として参加することを希望するに至った。運営はよりハイレベルな戦いをさせることや選手間の競争を激しくして向上心を煽るために優れた選手のみのリーグを作る考えだという。
「ただし具体的なことは選手のバテを考えて周回数を減らしたことしか書いてなかったね」
「新しい会場については前回から今までの短い時間じゃ整備できないよな…まあ、それが整ったらリーグ戦が始まるんだろう」
サッカーとは違って1つの会場にリーグ参加者全員が集まれるため会場を複数用意する必要がない。そのため現在の会場を発展させて観客動員を増やすことや、選手がより快適にレースを行えるような設備に投資する。人数が増えてもさほど金はかからないのではないかと考えられるため、スポンサーやスポーツ省は気楽だろう。
選考会の前日に王都入りして前回同様にフランの家に泊まる。スポーツ大臣ではないフランでもこの大会には注目していてある程度のことを知っているので質問した。
「1リーグ何人が最適なの?」
「今のところ10人ってなってる。人が多すぎて格差がありすぎると最下位の人の意欲がなくなるし、少なすぎるとリーグの数が多くなっちゃう。時間と会場の都合を合わせると10がいいってことになったわ」
「理に適ってると思う。けどまだ選考会の参加者の実力は分かってないんでしょ?」
「うん」
「上位20人がメチャメチャ競ってたら20人でもいいと思えないかな」
リーグ戦の大会規定は確定されていない。この選考会の結果を受けて再び会議を行い、開催に最も適した数やルールを確定するという。
「リーグ開催は8月を想定しているわ。それまでにちゃんと考えを整理して決めたい…私は第3者として意見を言うだけなんだけどね」
これまでのレースの参加選手と大会運営委員会、スポーツ省、そして第3者委員会から複数の担当者が参加する。フランは重要な意思決定に関与しないため、あまり深く考えてはいないという。
「むしろあんたらの見て感じたことのほうが貴重な意見になるわよ」
「じゃあ真面目に見ることにするよ」
楽しければポテチを食べてばかりにはならないし、ルシャとルートに参加意欲が湧くかもしれない。しっかり観戦するために今日は目を休ませておく。
会場には既に多くの参加者やエアレースファンが集まっていてルシャとルートは王都での人気に驚いた。ジャージを着ているため運営の仲間がすぐに気付いて委員長のところへ案内してくれた。
「すごい数だろう。君らに案内を送ったときは43人だったのに昨日の締め切りのときには58人になった。10人を1リーグに入れるというのなら6リーグ、あるいは5リーグになってしまうな。会場が足りないよ」
「時間をずらして開催するのは?」
「そうだね。それがいいと思うけど今のところはみんなアマチュアだから仕事との都合が合わないかもしれないってことを考えなきゃいけない」
上位リーグの参加者であれば賞金だけで食べていけるかもしれないが、下位リーグの選手には僅かな報酬しか入らない。平日を仕事に、休日をレースに費やせば、休む時間は不足しがちになる。
「平日の就業時間が短けりゃいいけど…」
「でも1週間のうち6日外出ってけっこうしんどくない?」
「世の中生きるためにやりたくない仕事を渋々やってる人だっているのにね…」
どんな立場の人であっても兼業は認められているが、兼業したからといって食っていけるわけではない。このエアレース大会の運営委員会の下っ端メンバーにも他の仕事と掛け持ちしている人がいるという。
「出資者がもっと増えて額も増えてくれればみんなが専業でやっていけると思う。まあ、これから規模が増すだろうから未来は明るいけどね」
「あ、じゃあ知り合いに相談してみます」
ルシャの強みは元特強や救世主や美少女ということのみならず、あのキルシュを味方につけていることにもある。ピエールをその気にさせれば莫大な―依頼者の度肝を抜くような―額がエアレースに投じられることだろう。
1グループあたり10人で構成されるAからEまでのグループと8人からなるFグループに58人の参加者が振り分けられた。グループ分けは順位を決めるためではなく10人でリーグ戦を行うことの是非を検証するためだ。全員のタイムを計って速い順に上位のリーグへ割り当ててゆくのだが、この選考会で10人制が否定された場合はリーグの参加人数が変動する。もし順位が低くても上位リーグに入れるかもしれない。
参加者が開始位置に1列に並ぶと、不正などを確認する審判員がスタート位置から外れている者がいないか確かめて合図の魔法を打ち上げた。するとすべての参加者から見える位置でホバリングしている審判員が思い切り笛を吹いた。これがレース開始の合図だ。参加者は一斉にスタートしてファーストコーナーの内側を取るべく加速した。カーブは衝突のリスクが最も高いとされる場所で、運営は集団を凝視して事故に迅速に対応できるように構えた。
「…」
ルシャもこの時ばかりはポテチの袋を持ったまま空を飛ぶ人たちを見守っていた。リタイアした参加者はその順番に応じて下位に割り当てられるため、最下位リーグを避けるためにはここで衝突事故を起こせない。集団の誰もが減速して接触の衝撃を弱くしながらカーブを曲がっていった。その一方で接触を嫌う者が敢えてアウトコースを通って直線へと差し掛かったのも見えた。このような判断を何度も強いるコースになっている。
「…ふう」
ルシャはビルの屋上に置いたパイプ椅子に座ってポテチを食べた。その隣のルートがルシャの傍に掌を差し出したのでルシャはポテチの油のついた手で握ってやった。
「うわぁ」
「あれ?不安だから手を繋いでてってことじゃないの?」
「違ぇよ!ポテチだよ!」
「あぁ…なんだ」
ルートはレースを見ながらポテチを食べたかったのだがルシャに意図が通じていなかったため右手が油っぽくなった。
設定周回数は5、後半はどの選手も疲労によってペースを落としている。空を飛ぶことの好きなだけの凡人の奮闘を嘲笑うような悪趣味を持たない2人は良好な視力で捉えた参加者の苦しそうな表情に心を動かされた。
「がんばれ…」
「あれは応援したくなるな。負けたくないからって少し加速するのってランニングでもやるよな」
「私抜かれ慣れてるから…」
「あぁ…」
同意できることの少ない2人の見守る中、参加者は先頭に遅れをとりながらもリタイアすることなくゴールへ到達した。
「うん、確かに燃えるものがあった。贔屓の選手がいればもっと強くなるんだろうな」
「ああ。今回良くなかった人もリーグ戦じゃ活躍するかもしれない。これから楽しみだな」
怪我人の出なかったことが何よりの幸運で、2人は委員長のところへ戻った。
「10人は丁度良かったな。おそらくこのまま10人でリーグを戦うことになる。ここで頼みがあるんだが、ルシャにはちょっと1周だけ飛んでほしい。最もエアレースの上手な人の手本はみんなを奮起させるだろうからね」
「ええ、いいですよ」
1周くらいなら全く問題ないと言ったルシャが参加者の見上げる先でスタート位置についた。
(大げさにやっちまうか。どうせ私はリーグには参戦しないんだから)
調子に乗りたくなったルシャは魔法を使って黄金の翼を展開すると、開始の笛とともに凄まじい勢いで加速した。
「なんだあれ…」
「次元が違う。そもそも翼出したら魔力が尽きるぞ」
「バカだなぁ、魔王を殺した人と俺らとじゃ比較になんねぇよ。あれを目指すってのは特強のやることだ」
「1位の奴は特強だったんだってな。そりゃ速いわけだ」
いろいろと喋っているのを聞いたルートは特強とはエアレースでも魔法でも勝負してみたいと思った。学校でルシャに次ぐ実力を持ちながら特強にはなれなかった彼の複雑な心境はいつか晴れるだろうか。
「ふー…」
この選考レース全体の1位のラップタイムは2分18秒。彼だけぶっちぎりで1位だったので驚かれたし1部リーグでもおそらく優勝するだろうという予想が立てられたほどの突出ぶりだったが、ルシャのタイムはそれすらぶっちぎる48秒というものだった。カーブでのスピード制御や方向転換の速さ、直線での加速やトップスピード、そして持久力。すべてが最高レベルのルシャを見た誰もが思わず苦笑していた。
このあと運営は人数について確定を行った後で今回の結果に応じた振り分けを参加者に通知する。それから日程について話し合って開催日を決定する。
「それまでは公式戦はなしだ。けどこの場所はファン獲得や選手の強化のために開かれているから土日の昼間に利用できる。君たちも気が向いたらやるといい」
「分かりました。救護の仕事は開催までないってことでいいですか?」
「ああ。ただし運営の一員…特別顧問として検証に参加してもらったり意見を述べてもらったりするかもしれない。その時は必ず通知を出す」
承知したルシャとルートは今日の報酬を受け取って会場を後にした。これからは週末を好きなことに使える。
「よーし、帰ったらミーナにスポンサーのことを話そう」
「キルシュが本気になれば会場のそこかしこにキルシュの名前が出そうだな」
「間違いないね」
4ヶ月でどのような盛り上がりを見せるだろうか。特別顧問になったルシャとルートは趨勢を見守ることにした。
「あ、リリアのこと話すの忘れた」
この話ではこの作品で最も大事と言っても過言ではないシーンがありました。ルシャがどう思っているかは知りませんが、ルートにとっては大きなポイントだったでしょう。




