第10話 微妙な空気
「何だ。アンタいたの?」
「何だとは何だ」
見る限り、円は誰かさんの様にぬれねずみになっているわけでもなく、ここにいる俺の様に必要以上に雨に身を晒していたわけでもなさそうだった。
「傘忘れてたのね。最近ふぬけてるわよ。未来おじいちゃんになるにはまだ早いっての。しっかりしなさいよ」
「そんなに頻繁に物忘れしてるつもりはない。お前一人か? 桐谷先輩は見なかったのか」
揶揄するような言葉にむっとしながらも、円と同学年である先輩について尋ねる。
「先生とかクラスメイトの頼み事でちょっと遅くなるって。桐谷は、部活もせずにぐうたらしてるだけのアンタと違って優秀だものねー」
怠けることと頭の良さは関係ないだろ。
「教師に頼られるとか、俺達にはあり得ない事態だな」
「ほんとにね。桐谷と会話してると、たまにアタシ達と本当に同い年なのか疑いたくなっちゃうわ」
会話している内に、いつの間にか茉莉が出てきたようだ。
「未来ー。終わったよー」
「ああ、鞄持ってっただろ。ちゃんと扇風機の前に置いて乾かしておけよ」
「うん、分かったー」
しっとり濡れた髪の毛をリズミカルに揺らしながら、茉莉はやはり持っていってしまったらしい自分の鞄を、扇風機の風にさらしている俺の鞄の隣に置いた。
ついでに、そこから宿題を引っ張り出して、テーブルの所に移動していった。
本日分の宿題にとりかかるらしい。
「……」
ふと、近くからなんとも言えない視線を感じて、俺はそっちの方向へと目を向ける。
視線が合った。
音もなく、俺のすぐ近くまで来ていたらしい円は、じっと俺の顔を見つめていた様だ。
「何だ?」
「アンタ……」
円は俺の顔を凝視しながら、何か憤慨したような様子で言葉を口に仕掛けるが、数秒待っても彼女の方から言葉がかけられる事は無かった。
かと思えば視線をずらし、睨みつける様な様子で茉莉を見つめ始める。
円は最近、茉莉とケンカでもしたようでほとんど口を聞いていないし、顔を合わせてもこうして睨みつけるだけなのだ。
桐谷先輩はそんな二人の空気を察してか、基地にあまり寄り付かなくなってしまった。
「どうしたんだよ、一体」
「……何でも、ないわよ」
問いかけてみるが、どこかやるせなさそうな声音でそう言ったきり、円は口をつぐんでしまう。
基地の中に居心地の悪い空気が満ちていった。
最近はずっとこうだ、話していても、顔を合わせていても、俺達の間にはどこかぎこちない空気がある。今はここにはいない桐谷先輩だって、表面上では普通にしているがふとした瞬間に、いつもとは違う表情になる事がある。基地にいなくとも、学校や町でたまに顔を合わせてもこうだった。
俺達の仲がそんな風になってしまった原因は分からない。
一か月前くらいから、俺達の間にはずっとこんな雰囲気のままだった。
黙ってしまった円は、茉莉の対面に座って、自らの課題に取り掛かり始めている。
無言で部屋を出ていくのもなんだと思い、俺は返事を期待しないまま口を開いた。
「シャワー浴びてくる」
「……女の子の後に、すぐ入るとか変態ね。ロリコン」
予想外だったが、そんな答えが返って来た。
多少ぎこちなさがのこるものの、内容はいつもの通りのやり取りだ。
生まれた会話に、少しだけほっとする。
誰だって、好きで友人とギスギスしてたいワケではない。
「お前は俺に風邪ひけと?」
「別にそうは言ってないわよ。ただ、茉莉ちゃんが可哀想だって思っただけ」
茉莉は、俺が後に入る事をキモイとかいうキャラじゃない。……と思う。
円が、男女のあれこれを忠告のつもりで言ってるつもりなら、その気遣いは見当違いだ。
俺と茉莉は、ずっと兄弟みたいに付き合って来たのに、今更必要以上のことを気にしてどうする。
「ほんと、あんたって色んな意味で鈍感。……さっさと行きなさいよ。風邪ひきそうなそうなくらい寒いんでしょ? 軟弱」
「お前が止めなかったら、とっくに行ってる」
今度は引き留められる事は無かった。
だが、部屋を出る前に……。
「鈍感すぎよ。どうしてアタシ達がこんな事になってるか、全然気づいてないんだから」
そんな円の小さな独り言が、俺の耳にかろうじて聞こえてきた。




