2.交渉と戦争
「ひさしぶりだな。お前、クラインリッシュに捕まったんじゃなかったのか」
「あなたも相変わらずのようですが、まさか弟子を取っているなんて」
部屋へ案内するなり、師匠とレナーはまるで旧友に再会したかのような気安さであいさつを交わした。
「お前こそ、その子供はなんだよ。お前も弟子とったなんて言うつもりか?」
「いいえ。彼はわたしの主人であり、蒼月城の主でもあるイーラですよ」
「はあ?」
「え?」
師匠は少し無礼な態度でイーラを顎で指し示した。
レナーがそんな師匠に気を悪くしたようすもなく慇懃に返すと、師匠とイーラ自身が驚きに声を漏らした。
「――おい、本当かよ」
「もちろん。イーラは蒼月城の唯一の人間であり、わたしたちをまとめる旗頭でもあるのですから」
唖然とする師匠に、レナーがにっこりと笑った。
「それはともかくとして、シーロン、今日はあなたにお願いがあって参りました」
「ああ」
どことなく胡散臭い笑顔を崩さず、早々に本題に入るレナーに、師匠は諦めたように小さく息を吐く。
「クラインリッシュを掻き回してるのはお前たちだろう? お願いの中身は、なんとなく想像がつくな」
「もちろん、タダとは言いません。あなたたちなら喉から手が出るほど欲しいだろうと考えるものも用意しました」
「それは、こいつだな?」
師匠がつまみ上げた羊皮紙には、つい最近まで師匠を悩ませていた“陣”が書かれている。レナーはその羊皮紙を目にすると、笑みを深めるようにさらに目を細めた。
「さすがシーロン。すでに写しを持っていましたか」
「まあな」
「でしたら話が早い。こちらには、その写しの他にも“陣”があります」
「なに?」
「もちろん、わたし自身もある程度までを解析済です」
師匠の表情が変わる。
ひたすら面倒くさそうな態度こそそのままだけど、表情――いや、目の光が真剣なものに変わる。
「だが、そうは言っても俺の一存だけじゃ何も確約はできないが?」
「ええ、わかってます。ですから、あなたにはヴァルツフート王国国王陛下への繋ぎをお願いしたいのですよ」
「俺をパシリに使おうっていうのか?」
「何を言いますか。あなたでなければ、国王陛下へ謁見を願い出て、直接この書簡を渡すなどできないでしょう。だから、あなたに頼むのです。
要求はここに。こちらが用意できるものも一緒にありますから、どうぞ確認を」
レナーが師匠の古い知己だというのは本当なのだろう。
でなければ、こうも師匠の食い付きを想定した準備なんてできないはずだ。
「細々としたものはそこに書いてあるとおりですが、大きくはふたつです。
ひとつは、蒼月城の主をイーラと認めること。もうひとつは、クラインリッシュの魔法設備を破壊するにあたり、わたしたちの後ろ盾となること」
「ずいぶん簡単そうに言うが、あれを壊すのは相当な骨だぞ。それとも、噂は真実で、お前たちにはたいした手間じゃないとでも?」
「ええ、もちろん。だからこそ、こうしてあなたを訪ねたのですから」
信じがたい話に、師匠はフンと鼻を鳴らす。それはぼくにも少し大袈裟なのではないかと思えて、つい胡乱な目でレナーを見つめてしまう。
「――あれを、襲撃のほんの数刻で壊して逃げたというのは、本当か?」
「はい」
「どうやった」
「それをすべて明かすのは、ヴァルツフートが私たちの要求を呑んでくれてからです。国王陛下の確約さえ貰えたなら、必ずすべてを明かすとお約束します」
「あの陛下が、ほいほい呑んでくれると思うか?」
「あなたの口添えがあるならきっと」
しばしじっと見合って、師匠ははあっと大きく息を吐いて、ぐしゃぐしゃと乱暴に髪を掻き混ぜた。
「では、もうひとつだけ、あなたが口添えしたくなる話をしましょうか」
ん? と師匠が眉を顰める。
これ以上、何がと訝しむような表情だ。
「あなたもあの“陣”を見たのでしょう? そして解析しようとして、結局何もわからなかった。違いありませんか?」
チ、と舌打ちしそうな顔で、「ああ」と師匠は答える。
「――異界の魔法なのですよ」
「はあ?」
「あなたにわからないのも当然です。異界の、この世界にとって未知の魔法なのですから。わたしたちの知る常識とは、まったく異なる理論で編み出された、強力な魔法――女神の齎した奇跡です」
師匠はますむす眉を顰めて、あからさまに訝しむようにレナーを見つめる。ぼくも、いったい何のことかと寄越された羊皮紙とレナーを交互に見つめてしまう。
「お前……神を見たとでも言い出すつもりか?」
「それに近しいかもしれませんね」
ふと、レナーが何かを思い出すような顔で微笑んだ。
「なにしろ、真名をがんじがらめに縛る支配を完璧に解呪するどころか、あの強力で大掛かりな魔法設備すら瞬く間に壊してしまうほど、強力な力なのですから」
師匠は大きく瞠目する。ぼくも、つられて息を呑む。
そんな魔法があるなんて、義姉さんからもユールさんからも聞いたことはない。
師匠はもう一度大きな舌打ちをして、ぐしゃぐしゃに髪を掻き混ぜた。
「――レナー。お前の解析結果も、もちろんその情報に付けるんだろうな」
「はい、もちろん」
「他のやつらには……」
「教えたと思いますか?」
レナーと羊皮紙をさっと一瞥して、師匠は「わかった」と頷いた。
「俺が働いてやる。絶対に陛下を頷かせてやるから、しばらくここにいろ。
――おい、デルト」
「はい、師匠」
「こいつらを客室に案内してやれ。俺は今から城に行ってくる」
「え、今からですか!?」
「ああ、十日もあれば足りるだろう。その間、ここは任せるから適当にやっとけ」
「あの、領主様へ連絡とかは……」
「それも適当にやっとけ」
師匠! と呼び止めるぼくの声を無視して、師匠はさっさと部屋を出て行ってしまった。レナーはにこにこと笑って、イーラは呆気に取られた顔で師匠を見送っていた。
「ええと――」
「シーロンの弟子だなんて、大変ですね」
「いえ、その、まあ……」
「では、シーロンが戻るまでこちらでお世話になりますね」
「はい」
レナーは蒼月城に向けて伝言を送ると、長椅子に座り直して冷めてしまったお茶をごくりと飲んだ。
「部屋を用意するので、ここで待ってください」
「はい、ゆっくりさせていただきます」
ふたりを残して部屋を出たぼくは、二階で待機している父さんたちのところへすぐに向かった。
「どうだった?」
「師匠は、使者の申し出を受けて国王陛下に会うって行ってしまいました」
開口一番尋ねたアドルファスさんは、「待ってくれ」と呟いて黙り込んでしまった。ヴァリも唖然としている。
父さんは肩を竦めただけだった。
「なら、もう俺が顔出しても問題ないな」
レヒターは興味津々で部屋の扉から顔を出す。
「問題あるかわからないけど……領主様には適当に報告しろって師匠が言ってたし、アドルファスさんは会いますか?」
「ああそうだね、顔合わせくらいはしよう。それから姉に話をして、改めて場を設けてこれからのことも考えないと……」
領主様に報告しなきゃならないことをあれこれと考え込むアドルファスさんをちらりと見て、ヴァリが軽く首を傾げた。
「それで、シーロンはいつ戻ってくるの?」
「十日もあれば足りるだろうって――」
「十日もか!」
ぼくの言葉に、アドルファスさんは本格的に頭を抱えてしまう。
レナーの書簡は師匠が持っていってしまった。つまり、もう一度あれこれ確認しなきゃならないことを考えると、二度手間だ。
「ともかく……陛下と国のことは置いといて、今はオスロスはオスロスでどうするかを詰めなきゃならないな。
デルト、まずは私を使者のところへ連れて行ってくれ」
「はい」
「俺も行くぜ」
レヒターもすかさずぼくの背中に貼り付いた。
「いいけど、邪魔するなよ」
「わかってるって」
――蒼月城に関われば、必然的に戦争に関わることにもなる。山を隔ててどこか他人事でしかなかった“戦争”が、ぼくのことになってしまうのか。





