7.自覚と自負と自信
おかあさんが動かない。
ぴくりとも動かず、目も開けないし、身体もぞっとするほどに冷たく固くなったままだった。
そうなって、まる1日呼び続けて、ようやく子供にも理解できた。
……世界に、おかあさんを返さなきゃ。
やっとそう考えて、1日かけて大きな穴を掘って、シーツに包んだおかあさんをどうにか引きずって、掘った穴に埋めた。
汗だくになって、埋めた後に大きな丸石を転がし置いて、そばに咲いていた花を植え終えた頃には、日はとっぷりと暮れて夜空には星が瞬いていた。
これでおかあさんは世界に還るのだ。風と大地にとけて、おかあさんはまた世界の一部になる。
ほっと息を吐いて、それからまた考えた。
けれど、ぼくは?
ぼくは、これからどうすればいい?
* * *
ごたごたを避けるように、慎重に次に向かう先を決めながらふた月も旅を続けているのに、まだ南方を抜けられない。このままでは冬が来てしまう。
「これは、つい最近入った情報なんですが、どうやらシェアーネスが戦奴隷を解放する方法を見つけたらしいのですよ」
「本当に?」
「北の国境付近の戦いで、軍の半分を構成してた戦奴隷がすべて解放されたという情報が伝わってます。裏付けはまだですが」
傭兵組合で聞いた話は、にわかには信じ難いことだった。これが本当ならパワーバランスは決定的に崩れて先が読めなくなるし、何より、戦力補充に躍起になったクラインリッシュが、なりふり構わず獣人や妖精、魔族を狩ろうとするかもしれない。
組合を出て歩きながら、ヴァリは眉を寄せたままの顔で、ターシスを見上げた。
「──困ったわ」
「どう困ったって?」
「ちょっとだけ内陸を回るように東側を抜ければいいかなって考えてたんだけど、クラインリッシュが崩れると、東側もごたごたしそう……いえ、間違いなくごたごたするわね」
南方はともかく、クラインリッシュに直接接しているという東方の幾つかの小国群までが、これを機に攻め込むことを考えるのではないかということは、ターシスにも容易に想像できた。
「……もう、覚悟を決めて、なるべく急いで突っ切るしかないんじゃないか?」
「そうだけど、だからって注意は必要よ」
溜息混じりにそんなことを言い出すターシスに、魔族狩りって怖いんだから、とヴァリは顔を顰めてみせる。
「けれど、いつまでもここに留まるわけにもいかないだろう?」
ここは南方と東方を隔てている山地の手前だが、その山を東回りで越えるとなると、ひと月かふた月か……どうしたって余計に時間がかかってしまう。だが、西回りは問題のクラインリッシュとの国境ぎりぎりを通ることになり、現在の情勢を考えれば危険のほうが遥かに大きい。
「……山越えってわけには」
「超えてるうちに冬が来るわよ。時間だってかかるわ。それに私、デルトみたいにあなたに付き合って冬に山越えできる自信なんて、まったくないからね」
これからどんどん寒くなる季節だというのに、山越えを考えだすターシスに釘をさす。
「それに、この時期に山越えなんて、目立って仕方ないと思うの」
「そうか……」
「だから、順当に考えて東回りね」
きっぱりとそう告げたものの、やっぱり時間がかかってしまうんだなと嘆息するターシスに、ヴァリは少し申し訳なくなって眉尻を下げる。
「──遠回りでごめんなさい。そうは言ったって、早くデルトのところに行きたいわよね」
けれど、ヴァリの言葉に頷くとばかりに思えたターシスは、何かを考えるかのように少し遠くを見ていて……ヴァリは小さく首を傾げた。
「ターシス?」
「僕は、もしかしたら本当はどうでもいいと思っているのに、誓いの義務感だけで息子を迎えに行こうとしてるのかな」
「え?」
少し困ったように小さく笑い、予想もしなかった言葉をぽつりと吐き出すターシスに、いきなり何を言い出すのかと、ヴァリは唖然とする。
「だって、デルトはあなたの子でしょう?」
何を今更か。ここまで来る間、あんなにひとを急かしておいて、何を考え始めているのか。
「デルトが独り立ちできるようになるまで、あなたが一人前に育てるんでしょう? あの子はまだ15だって言ってたじゃない。独り立ちできるまで、最低でもあと10年はかかるのに、何を言い出してるの? ちゃんとお父さんをやるんじゃないの?」
「君に、リーゼのことを聞かれてから、ずっと考えてたんだ。僕はリーゼが息子をどう扱うか、簡単に想像できるくせにそんなこと考えようともせず、置き去りにしたんだよ。なのに、今更のように戻ってきたあげく、偉そうに父親面までするなんて、いったいどういうつもりなのかって」
「ターシス?」
「あの子に酷いものを押し付けたまま放っておいたくせに、エディトに無責任はしないと約束したから、名にかけてあの子をひとりにしないと誓ったから……それ以外に何も理由が思いつかないのに、父親みたいな顔をしていていいんだろうか」
途方に暮れたような顔でそんなことを言い出すターシスに、ヴァリは顔を顰めて──両手でターシスの顔を挟み込み、自分へと向かせた。
この後に及んでふざけるな、と思う。
「……していていいか、とかじゃなくて、してなきゃいけないんじゃないの?」
「してなきゃ、いけない?」
怪訝そうな表情を浮かべるターシスを、ヴァリは睨むように見つめて、強く頷く。
「普通の親なら……なんてことは、考えるだけナンセンスよ。
でも、私がこれまで見てた限り、デルトはお父さんと一緒ですごく嬉しそうだったわ。デルトは、絶対、お父さんを求めてた。それに、あなた自身がどう思ったところで、デルトにとってのお父さんはあなたひとりよ」
目を合わせていられず、視線を彷徨わせるターシスを、ヴァリはじっと観察する。
「もっと言うとね、理由がどうこうなんて、この際どうでもいいのよ。あなたはいったいどうしたいの。息子の父親でいたいと思うの、思わないの、どっち?」
ターシスはわずかに目を見開いて、それから、目を伏せた。
「……ごめん、変なことを言ってしまった」
まったくもって手の掛かる親子だと考えて、ひとつ溜息を吐く。
それに、このひとは、本当にどうして親になってしまったんだろう。200年も生きてるくせに、私の4倍は生きてるくせに、いったいその間何をしてたのか……だからシャスに“大きな子供”だの“すぐに逃げる”だのと言われるんじゃないか。
ヴァリは目を眇め、なおもじっとターシスを見つめた。
「……あの子と一緒に暮らし始めて、2年あまりだったわね。まだお父さんの自覚とか自負とか、それに自信とかが薄いのよ。だからそんな詰まらないことが気になるんだわ」
「自信……」
「子供の頃、母が言ってたの。私の父も、父親らしくなるまでずいぶんかかったって。男のひとは女と違って自分のお腹を痛めないから、ちゃんと父親らしくなるまですごく時間がかかって困るってね。子供の世話をしていた私の父でもそうなんだから、10年さぼってたあなたは余計そうなのよ」
「そういうものなんだろうか」
挟んだ手で、ヴァリは、目を伏せたままのターシスの両頬を軽くパンと叩いて喝を入れた。
「西に帰ったらシャスさんにも聞いてみなさいよ。アロイスさんだって、今でこそお父さんらしいお父さんだけど、最初は違ったはずよ」
確かに、戻ってきた当初、自分はお父さん見習いだからとデルトに言ったけれど……自分はそもそも未だに父親にはなれていなかったのかと、ターシスは愕然と肩を落とす。
「父親らしいっていうのは、どういうことなんだろう」
「そんなの、私にわかるわけないわ」
ヴァリは呆れたように、指先でぐりぐりとターシスの額を押した。少し俯いたターシスの顔を、上向かせるように。
「私、さすがに父親になんかなったことないもの。それに、これが父親だなんて決まりがあるわけじゃないわ。そんなの、デルトがターシスを“お父さん”て呼んでくれてればいいってことにしときなさいよ」
「乱暴な意見だね」
「だって、ここにはまだあなたの息子がいないのよ。考えたって答えが出ないものを考え続けるなんて時間の無駄だわ。そんなことより、一歩でも先に、北に向かって進んだほうがいいと思わない? 早く迎えに行きたいんでしょう? どうなの?」
今度こそ、ターシスは頷いた。それから、何か少し吹っ切ったようにくすりと笑う。
「ヴァリと話をしていたら、悩むのは馬鹿のすることなんじゃないかと思えてきたよ」
「なんだか失礼ね。でも、今のことなら、たぶん悩むほうが馬鹿なんじゃないかって思うわ」
ターシスを見上げて、ヴァリは腰に手を当ててひとつ息を吐く。
「ねえ、これは余計なお節介だけど、デルトに会ったらきちんと話をするのよ。リーゼさんのことも、あなたの思うところも含めて、全部を。デルトだってもう15で、何もわからない子供じゃないわ。事情があってのことなら尚更話をしないと。
でないと、なんだかあなたもこの先、前に進めなさそうよ」
ターシスは何か見透かされたように感じて、驚いたようにヴァリを見返した。
「……ヴァリはすごいな」
「そう? 実は、こんな風に、つい、わーっと言っちゃうからゆるふわに勝てないのかなって、今思ってたところなんだけど」
眉根を寄せるヴァリに、ターシスはつい吹き出してしまう。
「単に、これまで皆、ヴァリのすごさに気づかなかっただけなんじゃないか? “運命のひと”も含めて」
「ならいいんだけどな」
はぁっと息を吐いて、ヴァリはターシスの背中をひとつ叩き、「じゃ、東回りで行くってことで、東方諸国の情報も集めましょう」と、再び歩き始めた。





