後編
父は会社員、母は専業主婦。
平凡な家庭だ。
父と母が話しているのを、
ほぼ見たことがない。
仲が悪いとかでなく、無関心。
それが普通と思って育った。
歳を重ねて、異常だと知った。
離婚すると聞いた時、あー、そうだよね。
それくらいの感情だった。
自然と母親について行くことになった。
収入のない母は実家に帰るという。
ここから新幹線で二時間。
近いのに、遠い。
平凡な二人から生まれた、
平凡な俺には何も出来ない。
※
「失礼します」
何人かの視線がこちらに向く。
職員室の机は無機質で硬い。
担任の体育教師が親身になってくれた。
隣の席から椅子を引いて用意する。
椅子に座れと促される。
グレーの回転椅子は安定が悪い。
「本当にクラスで言わなくていいのか?」
足を組み、ジャージ越しに腿を掻いている。
隣に座る理科教師の体臭が強かった。
「はい」
「みんなに挨拶した方が気持ちよくないか?」
分かってる。
「理由も理由ですし、送られるのも辛いので」
「今はそういうご家庭も多い、気に─」
遮るように口を開く。
「寄せ書きとか、貰っても困りますし」
小さく笑う。
「先生も貰ったことあるけど、まだ残ってるぞ」
「そんなもの見ると、耐えられないので」
─短い沈黙。
「先生は奏多の味方だからな」
そう言って、緑色の横に長い付箋に殴り書きする。
「他のやつには内緒だぞ」
俺の肩をポンポンと叩く。
回転椅子ごと、少し後ろに下がる。
少しは加減して欲しい。
「なにか無くても気軽に連絡してこい」
この人が人気なのも分かる。
「ありがとうございます」
貰った付箋に視線を向ける。
「この数字は0ですか、6ですか?」
「そんなに字汚かったか」
恥ずかしそうに丁寧に書き直してくれた。
少しだけ暖かくなった。
なんとか、春は続いている。
※
中庭の自販機。
小銭入れを開く。
銀色が1枚、銅色が5枚。
小さく息を吐く。
投入口に丁寧に入れる。
大きなあくびが出た。
昨晩は最後の荷造りが長引いた。
結局誰にも言えなかった。
でも、それで良かった。
これからは、小遣いも期待できない。
まずは節約、落ち着いたらバイトかな。
コンビニくらいなら、俺でも出来るかな。
自販機の購入ボタンが光る。
カフェオレに視線を向ける。
ボタンを押してないのに商品が出てきた。
「ああ…」
最後のカフェオレ。
細い首元を腕でホールドする。
汗の奥から、嗅ぎなれたシャンプーの匂い。
もう、会えないと思ってた。
できるだけ、いつも通りを装う。
「これはもう私のだよ」
腕に力が入る。
「ごめん、ごめん」
腕が離れない。
「ご…ごめんなさい」
謝るな。
腕の力が抜ける。
一瞬だけ上を見る。
「いいよ、一緒に飲もう」
笑う。
「これは私のだから、分けてあげないよ」
晴香を追いかける。
晴香なら…。
※
視線の先に目的はない。
建築中の住宅。
廃業した商店。
風が強くて瞳が乾く。
「最近ここ好きだね」
「別にそんなことないよ」
梅よろしが遠い。
「すっごい桜が綺麗」
嬉しそうに晴香は写真を撮る。
「奏多も撮りなよ」
小さく首を振る。
持っていくのは、
記録より記憶がいい。
「何かあったの?」
「カフェオレが飲みたかった」
「まだ根に持ってるの?」
「梅よろしこんなに美味しいよ?」
「梅よろしも好きだよ」
梅よろしは、もう飲まない。
「そんなに言うなら、今度カフェオレ買ってあげる」
カフェオレは、もう飲めない。
「うん、楽しみにしてる」
遠くの山に雪が残っていた。
せめて、あの山が見れたら。
晴香の友達に彼氏が出来た。
その子を覚えていないフリをした。
「─なかなか会えないんだって」
「会えない時間が愛を育てるって言うし」
「あのさ─」
届かない。
「えー、私は無理だな」
「私の世界の主役でいて欲しいもん」
─短い沈黙。
「じゃあ、脇役じゃダメだね」
震える。
「奏多は主役だよ」
桜の木が大きく揺れる。
「もう暗いよ?飽きない?」
「うん、綺麗だなって」
ブレザーを脱ぐ。
晴香の肩にかける。
「私のこと?」
目線が合う。
「うん」
晴香の視線が逃げる。
「また、明日も見れるよ」
※
駅まで十五分ほど。
今日はやけに景色が遅い。
改札をくぐる。
消える背中を視線で追う。
晴香が振り返る。
「奏多、また明日ね」
「晴香、またね」
空は見えない。
─間もなく三番ホームに電車が参ります。
向かいのホームから声がする。
「奏多!ブレザー!」
こんなに、近くに居る。
「大丈夫!」
もう、必要ないから。
─電車に乗り込む。
奏多
『今日は遅くまでありがと』
晴香
『スタンプ送信』
猫がハートマークを手で作る。
反対側の扉に倒れ込む。
音だけが消える。
奏多
『ごめん』
『きっともう会えない』
『晴香の世界に居られない』
膝から下の感覚が無くなる。
『ずっと好きだよ』
─深く息を吐く。
画面を長くタップする。
『送信取消』
たった四文字を入力ミスする。
右親指に左手を添えて打ち切る。
『さよなら』
─晴香をブロックしますか?




