前編
街を見下ろすように建つ校舎。
渡り廊下には風が吹き上がる。
今、私の空は青すぎる。
桜は葉桜になりかけていた。
※
放課後は帰宅部にとって暇すぎる。
中庭の自販機で奏多を見つけた。
グラウンドからは運動部の声。
校舎からは吹奏楽部の音色。
気配を消して忍び寄る。
自販機の購入ボタンが光る。
脇の下から指を伸ばす。
─梅よろし。
ペットボトルが落ちる。
「ああ…」
声になっていない。
そのまま腕を引かれ、首に腕が巻き付く。
「晴香!」
「これしか金持ってきてないのに」
「奏多いつも奢ってくれるよ?」
「奢るのと、奪われるのは違うだろ」
巻き付いた手に、さらに力が入る。
「ごめん、じゃあ私が買ってあげるから」
奏多の腕をバンバンと叩く。
少し汗の匂いがする。
「その梅よろしも俺のだ」
「これ?」
取出口を指さす。
「これはもう私のだよ」
自販機の隅にダンゴムシがいた。
顔が熱い。
「ごめん、ごめん」
視線が刺さる。
「ご…ごめんなさい」
腕の力が一気に緩む。
膝からコンクリートにへたり込む。
小さな砂利が膝に刺さる。
「もういいよ、一緒に飲もう」
見上げると笑っていた。
「これは私のだから、分けてあげないよ」
─梅よろしを抱える。
走って逃げる、私。
それを追う、奏多。
二人の笑い声が、吹奏楽部の邪魔をした。
※
校舎を繋ぐ渡り廊下。
奏多は最近ここに来たがる。
むき出しのコンクリート。
室外機の回る音。
そこから吐き出される熱気。
でも、ここから見る街は桜色一色だった。
二人で腰丈ほどの壁に手をかける。
制服の袖口に白い粉がつく。
左を見ると奏多の首筋が見える。
新しい小さなホクロを見つけた。
「最近ここ好きだね」
「別にそんなことないよ」
奏多は飲み口が唇につかないよう、
梅よろしを飲む。
桜が綺麗だったので写真を撮った。
「何かあったの?」
梅よろしを受け取る。
私は思いっきり口をつけた。
「カフェオレが飲みたかった」
視線は街に向いている。
「梅よろしこんなに美味しいよ?」
見せつけるように横に振る。
「梅よろしも好きだよ」
「今度カフェオレ買ってあげるから」
「楽しみにしてる」
視線はまだ遠い。
奏多が梅よろしを取り返す。
「そういえば!梨花に彼氏ができたんだよ」
「梨花って晴香のクラスの子だよね」
「何度も会ったことあるよ」
「あー、あの美人な子ね」
「彼氏は何組なの?」
「うちの学校じゃなくて隣町の学校の子」
「野球部で忙しくて、なかなか会えないんだって」
奏多は飲み口を避ける。
「会えない時間が愛を育てるって言うし」
「えー、私は無理だな」
「私の世界の主役でいて欲しいもん」
「じゃあ、脇役じゃダメか」
「奏多は主役だよ」
聞こえない声で、
「ずっと」
赤橙に染まった桜が、
夜の黒に飲まれていく。
「もう暗いよ?飽きない?」
風が冷たい。
「うん、綺麗だなって」
視線は街に向いたまま。
「私のこと?」
奏多は何も言わずにブレザーを脱ぐ。
私を包む。
目線が合う。
「うん」
優しい顔。
私は視線を街に逃がす。
頬が緩む。
「また、明日も見れるよ」
室外機に並ぶ二つのスクールバッグ。
それを一つずつ手に持つ。
室外機の音は止んでいた。
校舎には人の気配がなかった。
※
駅まで並んで歩いた。
街灯に桜が照らされる。
そこに並んだふたつの影。
駅前は焼き鳥の匂いがした。
定期券を改札口にかざす。
奏多と逆方向のホームへ向かう。
振り返る。
「奏多、また明日ね」
「晴香、またね」
大きく手を振る。
階段で少し足がもつれた。
向かいのホームに奏多が見える。
─間もなく三番ホームに電車が参ります。
目線が合う。
風がブレザーを揺らす。
「奏多!ブレザー!」
電車が滑り込む。
─スマホが震える。
奏多
『今日は遅くまでありがと』
晴香
『スタンプ送信』
猫がハートマークを作る。
奏多
『ごめん』
スマホの画面が滲む。
『きっともう会えない』
呼吸が早い。
─読むより先に走り出す。
鞄を落とす。
階段を登る。
改札を横目に走り抜ける。
階段を下る。
電車が発車する。
崩れる。
電車の振動より震える。
ブレザーを抱きしめる。
『なんで…』
桜は見えない。




