第六回 歓乎として 和湛は英士を励まし 嗟乎として 支乾は事局を知る
残賊を撃退してから二日後、復興と防衛のめどが立ったころ、支乾らは和氏の屋敷に招かれていた。
口々に賛辞が浴びせられ、道の両脇からは酒や干物、布地、さらには遠く南国から運ばれてきたという香木、西のかなたから齎された琉璃玉まで、次々と贈り物が運び込まれる。
支乾はその熱烈な歓待ぶりに面食らい、隣に立つ寅耽と目を見合わせるばかりで、ただ深く頭を下げて応えるのが精一杯だった。
一方、句雲はといえば、最初の大勢の人々の熱気にはさすがに目を丸くして仰天していたものの、次々と差し出される種々の宝品や珍しい食べ物を前にすると、その表情には大きな感動も驚きも浮かばなかった。都の高級官僚の屋敷で育ったせいか、慣れた手つきで品を受け取り、指先で軽くなぞってみたり、まなざしで品定めをするように眺めたりするだけである。
支乾の方はといえば、これらの品々が何であるかを知らないわけではなかった。しかし、これらはただ船の荷台に積まれ、重さを量り、通関手続きをするだけの商品に過ぎなかった。こうして太陽の下で輝きを放ち、あまつさえ自分の手元に贈られるなど、想像だにしていなかったのである。
奥の広間へと案内されると、床の間の前にはすでに一人の老人が座って待っているのが見えた。
胸まで届く白髯を蓄え、腰は曲がっているが、眼光だけは鋭い。左右を若い従者に支えられ、ゆっくりと上体を起こそうとしている様子だ。
支乾はその姿を見るや、慌てて前へ進み出る。
「和老!」
声を上げると同時に、急ぎ足で駆け寄り、自ら手を差し伸べて老人の体を支えた。
この洽浦の湊老・和湛であった。
和湛はかすかに笑みを浮かべ、皺だらけの手で支乾の腕を軽く叩いた。
「支津の倅よ。よくぞ、よくぞ参った」
声は嗄れているが、その奥には港一帯を束ねてきた者特有の重みがあった。支乾は老人の肩を支えながら、深く頭を下げる。
「和老がお待ちと聞いて、急いで参りました。しかし、このような大仰な歓待は分不相応でございます。まるで貴人か英雄を迎えるようではありませんか」
「なにをいうのだ。間違いないではないか」
和湛は従者の手を離し、支乾の力だけを頼りにゆっくりと席に腰を下ろす。
「都より讒毀に遭いて流竄せる忠臣の遺両児。その遺児を危難より救いし勇士。これを貴人と英雄と言わずして、何と言おうか」
過大な評価である。支乾は思わず眉をひそめた。英雄などと言われる覚えはない。まして「忠臣」とは何のことだ。話しぶりからみるに、句雲の父のことなのだろうが、知る由もない。
隣にいた寅耽は感心したように頷き、「英雄」という言葉を口の中で呟いた。句雲は黙ったまま、少し遠慮がちに二人の話を見守っている。
和湛は支乾の顔をまっすぐに見つめ、声を落として続けた。
「だが、これからが本番じゃ。句氏の生き残りを始末し損ねたと知れば、都から本格的に刺客が送られてこよう。あやつらは自分たちの罪を蔽すためならば、ことをこととも思わぬ。そなた一人の力では、いくら武勇があっても、朝廷の権威を笠に着られれば押し切られてしまう」
一息にそこまで言ってから、和湛は激しく咽る。従者がとっさにその背を撫ぜるが、休まらない。
やや落ち着いてから、支乾は両手の拳を膝にのせて言う。
「知りたいことは、船一山もありますが、ひとまずはお尋ね申し上げたい。和老は白面の若輩にどうされよとおっしゃりたいのか」
「老いぼれの口から言ったところで、陳腐にしか聞こえぬ。おのずとわかることじゃ」
そういって、老人は左手をあげる。
珍品が二台の車いっぱいに山と積まれているのが目に入った。
「これは、わが一党から不届きものを出してしまった、詫びの印と思ってくれてよい」
寅耽は思わず目を輝かせ、口を開けて見入っている。だが支乾には、それがただの謝礼ではないことがすぐに察せられた。口止め料、あるいは今後の動きを封じるための手の内 —— そんな風にしか見えない。
和湛はそんな支乾の心の内を見透かしたように、薄く笑みを浮かべるだけで、それ以上は何も語らなかった。やがて従者に向かって静かに指示を下した。
「帰りの船はもう用意させてある。潮の加減を見れば、明日の昼までには支津の港に着けるはずだ」
そういって、左右の従者の手を借りて立ち上がる和湛。
ちょっといったところで、「おお、そうじゃった」と声を上げるや、半身をそらして、
「句嬢、あと弟ぎみは、わが邸宅におられよ」
と言うではないか。
寅耽はさっと顔色を変えて進み出た。
「ご老公、それは承服しかねる。是挙などという小悪党に、大事な大事なご遺児とやらを預けた眼力が頼りになるとは思えない」
「ほう、孺子、わしを老眼とするか」
「そうではないとでも?」
支乾は一拍おいてから、あわてて両者の間に割って入る。しかし、内心寅耽の言葉には同調せざるを得なかった。
「…… さすがに耳が痛い。青年、そなたのいう通りじゃ」
そう言うなり、和湛は従者の手を離れ、その場に静かにひざまずいた。
周囲は一斉に息を呑み、仰天の色を浮かべる。洽浦一帯を束ね、誰もが頭を垂れて敬うべきこの長老が、自ら膝をつく姿など、見た者はかつて一人もいなかったからだ。慌てて目を伏せ、その拝跪の姿を直視することを憚り、皆そっと視線をそらした。
支乾も寅耽も言葉を失い、ただ立ち尽くすばかり。先ほどまで勢い込んでいた寅耽は、かえって恐縮の念に駆られ、顔を赤らめる。
和湛は皺深い顔をわずかに伏せ、低く落ち着いた声で続けた。
「お主らはこの洽浦を残賊の手から救ってくれただけではない。わが氏の膿を掻き出し、和氏の恥を雪いでくださった。そのご恩をすっかり忘れ、自分の立場ばかりを口にしておった。ここに深く謝罪し、改めて感謝を申し上げる。まことに、助かり申した」
一呼吸置き、ゆっくりと顔を上げる。眼光は相変わらず鋭いが、そこに虚勢も誇りもなく、ただ真実だけを語る静けさが宿っていた。
「是挙の悪行は、その上に立つわしの責。なればこそ、句雲さまを護り奉り、その父君の志を絶やさぬよう、私財を擲ち、この残された命を尽くす所存じゃ。どうか老いぼれに、最後のはたらきをさせてはもらえぬか」
支乾ははっと我に返り、慌てて一歩前に進み出て、両腕を抱いて頭を上げさせる。
「和老、そのようなことをなさらないでください。我らはただ目の前の道理に従い、悪を退けたに過ぎません」
寅耽は茫然として迫力に屈し、顔を真っ赤にしてひざまずいた。
和湛はなお膝をついたまま、静かに首を振る。
「立場など、時に過ちを覆い隠すための飾りに過ぎぬ。わしが頭を下げるのは、人を見る目を誤ったからではない。これからの誓いを立てるためじゃ」
そう言って、再び二人をまっすぐに見据える。
「句雲様と弟君は、この邸の最も奥深い、わずかな者しか知らぬ一室に隠す。そなたらに倣い、いかなる追っ手も力を尽して退けよう」
支乾はしばらく黙って聞き、やがて深く頷いた。
「承知いたしました。どうかお立ちください。このような場で、洽浦の長が膝をついたままでは、後に続く者たちの心も定まりません」
和湛はようやく柔らかな笑みを浮かべ、従者の手を借りてゆっくりと立ち上がる。腰を伸ばす仕種には老いの痛みが見え隠れするが、その眼差しには新たな決意が宿っていた。
「そなた、そなたは誤ってはおらぬぞ」
そういいながら、寅耽のほうに顔を向ける。羞恥か怒りか、真っ赤な顔をしていた。
「そうでしょうか」
「そうじゃ。雷のように率直なそなたの真心が、わしに廉恥の心を思い出させ、目の曇りを拭い去ったのじゃ。誇れよ」
戸口の方を向き、従者に合図する。
「明日の朝一番に船を出す。河目に乗れば、日暮れまえには支津の港に着くだろう。家人とよくよく相談せよ。時間はさほどないぞ」
支乾と寅耽は同時に深く一礼し、応えた。
「心得ました。すべては時と機を待ち、最善を尽くすことといたします」
広間に漂っていた緊迫感は消え、代わりに共通の目的を前にした、静かで重みのある覚悟だけが残った。
翌朝、夜明け前から港は活気づいていた。用意された船の貨物室には昨夜の贈り物の数々が丁寧に梱包され、目立たぬように積み込まれていた。
支乾たちが乗り込むと、すぐに錨が上げられ、水をかく櫂の音が静かに響き始める。岸辺には和湛の手の者たちが一列に並び、無言で見送っている。その中に句雲と弟の姿はない。
船が川面を滑るように進み、洽浦の町並みが遠く霞み始めたころ、支乾は舷にもたれ、深く息を吐いた。
「どう転んでも、面白くなりそうだ。『英雄』と呼ばれた男なら、何とか切り抜けるだろ」
支乾は苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
「そうかな」
「おや、少し嬉しそうな顔」
「そりゃあ、悪い気分はしないさ」
だがすぐに表情を引き締め、貨物室に積まれた箱々の方へ視線を落とす。
「だが、これだけの品々…… ただの謝礼や報酬というより、何か裏の意図が込められているように感じる」
寅耽もそちらに目を向け、あごに手を当てて頷く。
「そうか? 盗賊討伐の謝礼の相場はわからんが、こんなもんじゃないか?」
支乾には、それらがただの謝礼ではないように思えてならなかった。「前金」――そんな言葉が頭に浮かぶ。
あるいは今後の結びつきを定めるための印なのかもしれない。だが、すでに受け取ってしまった以上、和湛との間には否応なく義理の綱が結ばれてしまったのだ。
支津の港に着くと、いつものように役人や荷運びの者たちが集まってきたが、支乾の顔を見ると、皆が少しばかり遠慮がちに道を開ける。残賊討伐の話はすでに伝わっており、彼が英雄視されていることを、支乾はこのとき改めて知った。
自邸の門前に着くと、老婢女のかわりに父支巽が出て迎えた。さすがに湯桶をもって、というわけにはいかないが。
後ろには白い髭を長く伸ばした祖父支紇撻も、杖をつきながら姿を見せていた。
「若さま、よくぞご無事に」
そうつぶやくのは老婢女。父は言葉こそすぐには発さないが、じっと支乾の姿を見つめる目には、深い愛情と安堵の色がにじみ出ていた。
「話は断片的に耳に入っている。残賊を退けたとか、洽浦の和湛どのと会ったとか、さらに句氏の遺児を預かったとか――いったい何が起きたのか、最初から余すところなく説明してもらおう」
その声には怒りも喜びもなく、ただ事の真相を正確に知りたいという、家長としての冷静な重みが込められている。
客間において茶菓子を囲みながら、支乾は応える。
「はい。和老からは謝罪と贈り物を受け、句嬢たちは当面、和氏の屋敷に留め置くことになりました」
支乾は一つ息を整え、これまでの出来事を順を追って説明する。盗賊の襲撃、是挙の裏切りとその始末、句雲姉弟を守った経緯、そして和湛が自ら膝をついて謝罪し、庇護を申し出たこと、贈り物を受け取ったことまで、隠さずに語った。
その言葉が終わるか終わらぬうちに、祖父の支紇撻が勢いよく身を乗り出し、目を輝かせる。杖で床を軽く叩く音が、客間に響いた。
「それはまったくの好機ではないか! 洽浦一帯を束ねる和湛どのと手を結べば――」
だが支巽はすぐに眉をひそめる。
「待て、父上。そう簡単に考えてはならぬ。そもそも句氏と交際しておったのは和湛どのだ。句氏の一件には、まだわれわれの知らぬ事情が隠されている。都の権力を敵に回すということが、どれほど危うい道か、わかっておられるのか」
父と祖父は、支乾をそっちのけで政治の話をしている。支乾はそれを聞き流せるほど、此度のことに無関心ではいられなかった。
「ご説明なく話を勧めないでいただきたい。ここにいたっては私にも知る権利と義務がありましょう」
支乾は二人を順に見つめ、声には迷いなく、真剣な調子が込められていた。支巽が答える。
「句雲どののお父君、句修克どのは、都太妟で財務を司る役人だった。公正で厳格、不正を決して許さぬ性分のお方で、三年前にこの大陽に赴任なされたとき、はじめてある事実に気が付いたのだ」
一呼吸置き、まなざしが鋭くなる。
「都の権力者たちが帳簿を改竄し、大陽から都へ納める税米や交易品の一部をごまかし、私腹を肥やしていたのだ。それだけではない。地方役人からは常習的に賄賂を巻き上げ、法外な密貿易まで黙認して、途方もない富を築いていることも突き止められた。そして、その証拠を細大漏らさず文書にまとめ上げたのじゃ」
「それで……」
支乾が息を呑んで問い返すと、支巽に代わって祖父の支紇撻が重ねるように言葉を継いだ。
「証拠を添えて朝廷に上奏し、告発しようとした矢先のことだ。汚職官吏どもはなんくせをつけて余事で流罪に刑し、この大陽へと追い出してしまったのじゃ。わしと句修克どのは同門の誼があってな。都を去る前に『何かあったら、妻子と子どもたちを頼む』と、そう密かに依頼を受けておったのだ」
支乾は手のひらを握り締め、指の骨が白く浮かぶほど拳を固める。怒りと疑問が胸の奥から込み上げ、震えるような声で問う。
「では、句雲どのたちを執拗に追っているのは、その連中なのですか?」
「句修克どのは、この大陽について半月も経たぬうち、熱病を発して卒死した。だが、それが自然な死でないことは、この辺りの者なら誰でも薄々感じておる。宰相・楊賓を筆頭とする都の悪党どもの手が及んだのだろう。句雲どのと弟君は、奇跡的にその場を逃れ出した。つまり今、二人は句修克暗殺の事実を知る、いわば『生きた証拠』なのじゃ。追われ、襲われるのも、そういったわけだじゃろうて」
支乾は次の疑問をすぐに口にする。
「では、洽浦の和氏はどういう関係なのです? 和湛どのがあれほどまでに力を尽くして庇おうとするのには、理由があるのでしょう」
支紇撻はあごに手を当て、深く頷きながら答える。
「そこがわしとは違う点だ。わしと句修克どのは友誼はあれど、あくまで私的な付き合い。官界には興味がなかったから、深く関わることは避けておった。
だが和氏は逆だ。港の利権をだしに、都と地方の政治にも積極的に関与してきた。そんな立場から、句修克どのの志に共感し、また都の悪政によって自分たちの賈いも締め付けられていることもあって、次第に親しく交わるようになったのだろう。事実上の同盟関係にある」
支乾は息を呑み、握った拳が震える。
自分が道理に従って悪を退け、弱き者を守ったつもりでいただけだったのに、気づけば都の最高権力者とその一派を敵に回す、とんでもない渦の中心へと足を踏み入れていたというではないか。
背中に冷たい汗が滲み、無意識に両手を固く握り締めた。
指の関節が白く浮かぶまで力が込められている。




