第二十六話
ヴィクトルと共に広間に入ろうと近づくと、広間から女性が一人出てきた。
何気なくそちらを見て、内心で「げ」と呻く。
女性ではなく聖女だった。
聖女は私を見つけると早足で近付いた。
「リディアーヌ様!」
「聖女様、今晩は」
ヴィクトルの後ろに隠れたい衝動を抑えて挨拶すると、聖女は微笑みを浮かべた。
「今晩は、リディアーヌ様。
今日は来られないのかと思って、心配していました。
来られて良かったです」
あれ? 聖女がまともだ。
良かった。人前では昨日や今朝のような言動はしないらしい。
「ご心配をおかけして申し訳ございません」
「いえ、ただ私があなたに会いたかっただけですから。
リディアーヌ様、そのドレス、とてもお似合いです。
いつも綺麗ですけど、今日は特に綺麗で見惚れてしまいます」
聖女の言い方はさっぱりしている。
とても昨日と同じ人だとは思えない。
「ありがとうございます。
お美しい聖女様にそのように言われますと、少し気後れしてしまいますわ」
「何を言うのですか、リディアーヌ様の方が全然綺麗ですから。
ただ、本音を言えば、私は昨日のリディアーヌ様の方が好みというか。
化粧してない顔はあどけなくて、無防備な白い寝間着から覗く鎖骨と白い腕が・・」
「聖女様」
強い口調で聖女を呼び、言葉を止める。
同じ人だった。昨日と同じ人だ。
聖女の顔は先ほどの凛とした美しい顔から締まりのないにやけ顏に変わっている。
うん。人前だろうと無闇に聖女に近付くのは止めよう。
危険だ。
私の精神と聖女の評判が危険だ。
「申し訳ございません。わたくし、陛下にご挨拶をまだ致しておりませんので」
「そうですね、引き止めてしまってすみません」
聖女はすっと顔を戻し、引いてくれた。
ずっとこうだったらいいのに。
「リディアーヌ様、後でお話をしましょう?」
微笑み、伺うように視線を送る聖女。
「皆様にご挨拶がございますので、機会がございましたら、いつか」
微笑み返し、ヴィクトルを促して広間に入る。
後ろから嫌な視線を感じるのは気のせいだろうか。
「リディ、お前、本当に凄いな」
しばらく歩いた後、ヴィクトルが口を開く。
「何の事?」
「オルガから話は聞いたが、本当に聖女様はお前を気に入っているのだな。
お前はさっさと聖女様から顔を逸らしたから見ていないだろうが、最後にお前を見ていた聖女様の顔には少し引いたぞ。
舌舐めずりして、どう獲物をいたぶってやろうかと考える野獣の顔だったな。
とても楽しそうだった」
「・・・・」
そんな事、聞きたくなかったし。
「まさか聖女様があんな顔をするなんてな。
少しショックだ。リディ、男も女も見境なく落とすのはやめろよ。
もっとこう、節度を持て」
広間には楽団の演奏が流れ、優雅にダンスが繰り広げられている。
グラス片手に談笑している人も多く、その人達と目が合うと笑顔で会釈する。
その為、馬鹿な事を言っているヴィクトルを罵れないし、足を踏みつける事も出来ない。
誰が見境なく落としているか。なぜ私が節度を注意されなくてはならないの。
「ヴィクトル、言っておくけれど、聖女様はわたくしの所為で女性をお好きになられたのではないわよ。
元々女性がお好きなの」
なぜってそれは聖女は男だから。
「そうか、それはまあ、なんというか。
女性同士の事に男が出しゃばるのは無粋だからな。程々に頑張れ」
「何を呑気に言っているの。
聖女様は女性がお好きなのよ。
アンジェだって危ないじゃない」
「いやー、アンジェは平気だろう。
あの様子では聖女様が狙っているのはお前みたいだから」
ヴィクトルは呆れたように言う。
ヴィクトルは聖女の危なさを全然理解していない。
「ヴィクトル、真面目に聞いてちょうだい。
聖女様がお好きなのはわたくしだけって言い切れるの?
女性なら誰でもいいのかもそれないじゃない。
それに、聖女様は女性だからって特に警戒されずに部屋にだって招き入れられるのよ」
昨夜の私がまさにそれ。
聖女が男だって知っていたら、絶対に入れなかった。
「まあ、そうだろうな。女性同士だからいいのではないか。
話をするぐらいだろう」
あー、聖女が男だって言ってやりたい。
昨日の様子を事細かに伝えてやりたい。
そうすればヴィクトルだって真剣に聖女をアンジェリーヌに近付けなくなるのに。
しかしそれは言っては駄目だ。
実際がどうだろうと、女神様が聖女として選ばれたのだから、聖女として扱わなくてはならない。
アンジェリーヌが襲われたらどうしよう。
アンジェリーヌは魔力なんてないし、か弱いのだから襲われたらひとたまりもない。
私は立ち止まり、ヴィクトルを見上げる。
「どうした?」
「ヴィクトル、先程聖女様がしていたという目をアンジェに向けたらどうする?」
ヴィクトルは少し頬を引きつらせた。
分かってくれたようで何よりだ。
「アンジェには聖女様に気をつけるように言っておく」
「そうしておいて」
「お前も気を付けろ」
「分かっています」
聖女には極力関わりません。
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陛下に挨拶に伺うと、陛下から何とも言えない視線をいただいた。
勇者がいなくなった事に対して何か言いたいのだろうけれど、今は説明は出来ない。
後で呼ばれたら説明しよう。
ヴィクトルに促され、アンジェリーヌがいる方に向かう。
すると、広間の入り口の方がざわめいた。
見れば勇者がいた。
勇者は焦った様子できょろきょろと広間を見渡す。
令嬢方が歓声を上げ、突進していく。
勇者は背が高いので、令嬢方の向こうに突き出た顔が見える。
目が合うと、勇者は令嬢方を掻き分けて、こちらに来た。
「リディアーヌ」
「セルジュ様、まずは陛下にご挨拶をなさってくださいませ」
勇者が何か言う前にそう言えば、勇者はハッとした様子で陛下の元に向かった。
普段、礼儀を忘れない勇者が陛下に挨拶をするより先にこちらに来たのは珍しい事だ。
勇者はそういう所はきちんとした人だから。
先ほど見た勇者は余裕のない様子だった。
服装は出て行った時と同じくピシッとしているのだけれど、疲れているだし、よく見れば、髪が少し濡れている。
何をして来たのだろう?
勇者が陛下に挨拶している間、楽団は一瞬途切れた演奏を再開しているが、踊っている人はあまりいない。
それぞれ話をしていたり、こちらを窺っていたり。
広間に着いたばかりの勇者に殺到した令嬢方の中に、エルヴィラもイヴォンヌもいなかった。
陛下への挨拶を第一にと弁えている彼女らは、勇者が挨拶を終えるのを待ち構えている。
挨拶が終わった勇者は彼女らーー特にエルヴィラに捕まるだろう。
さすがの勇者も他国の王女を邪険には出来ない。
何となく勇者達に視線を送っていると、近づいてくる影があった。
そちらを見ると、ジェラルドと聖女が連れ立ってやってきた所だった。
苦手な組み合わせ。
顔が引きつりそうになるが、笑顔で迎える。
「今晩は、リディアーヌ姫。
ご機嫌はいかがですか」
ジェラルドに手を取られ、甲にキスを受ける。
「今夜はあなたにお会いできないかと思い、寂しく思っていました」
「申し訳ございません、遅れてしまいまして」
「いいえ、お会いできただけで充分。
今宵のあなたもまたお美しい。
「ありがとうございます」
ジェラルドに微笑み返していると、聖女に手を取られた。
「・・・聖女様、女性は女性の手にキスはしません」
聖女は私の手を握り、口を近付けようとしたので、手を奪い返す。
「では、私の国の挨拶を」
聖女が近付いてこようとしたので、少し下がる。
聖女の国の挨拶とは初めて会った時にした、抱き締めて頬にキスをする事だろうが、多分挨拶というのは嘘だ。
思い返せばあの時、聖女は私にだけあの挨拶をしたもの。
「リディアーヌ様、挨拶です」
聖女は手をわきわきと動かしながら言う。
その手の動き、すごく嫌だ。
「でしたらそのご挨拶は他の方にもされたのですよね」
背後にいるヴィクトルを引っ張り出す。
「どうぞ、先にヴィクトル様になさって下さい」
「おい、リディ」
小声のヴィクトルの抗議は無視する。
どうだ、男にキスなど嫌だろうと悠長に構えていたら、聖女はヴィクトルの頬にキスをした。
えええ〜!
聖女、男でしょ。男にキスを抵抗なく出来るの!?
「ヴィクトル様、祝福のキスです。
あなたとアンジェリーヌ様が末長くお幸せになれますよう」
聖女はそう言って、微笑んだ。
聖女にとって、キスはそれ程大した事ではないらしい。
「さあ、リディアーヌ様。次はあなたです」
「・・・」
だから、その手の動きが嫌なんだってば。その変な笑みもやめて。
しかし、聖女はヴィクトルにもしてしまったし、挨拶と言われれば断れない。
仕方なく一歩聖女に近寄れば、聖女と私の間にさっと何かが割り入った。
目の前には紫の上着を羽織った背中と金糸のような髪。
勇者だ。
先程まで陛下に挨拶をしていたのに、いつの間に。
「ジェラルド様、聖女殿。
遅れてしまい申し訳ございません」
勇者はジェラルドと聖女に礼を取る。
聖女のキスが阻止された事に、私はほっと胸を撫で下ろした。
「いや、構わない。何か重要な用件があったと聞いている」
「寛大なお心に感謝致します」
勇者の斜め後ろに移動し、ジェラルド達と対峙する。
聖女は不満そうに頬を膨らませていた。
「勇者様、今私はリディアーヌ様に祝福を与えようとしていたのです。
邪魔をしないでいただけますか?」
「いえ、それには及びません。
リディアーヌには俺が毎日祝福をしていますから。
聖女殿の祝福は他の誰かにどうぞ」
「! 毎日キスをしているんですか!?」
聖女が叫ぶ。
今の言葉が聞こえたのか、周りは静まり、その後女性の悲鳴が聞こえた。
あ、デスタン家のご令嬢が倒れた。あ、他にも女性が倒れた。
違う違う違う。
キスなんてしてないから!
誤解を解こうと口を開くが、周りが煩くて声が届かない。
すると、ヴィクトルが耳元で囁いた。
「お前、毎日セルジュとキスをしているのか?」
「していません。何を言っているの」
ヴィクトルを睨み付けると、ヴィクトルは肩を竦めて下がった。
「セルジュ様、なぜ誤解を与えるような事を言ったのですか?」
勇者の腕を引っ張ってこちらに意識を向けさせる。
聖女に向かって勝ち誇った笑みを浮かべていた勇者は、私の顔を見ると、顔を強張らせて向こうを向いてしまった。
その反応に思い出す。
勇者を怒らせたまま、まだ謝っていなかった。
でも今は謝っている状況ではない。
令嬢達は怒っているし泣いているし。
どうしよう。
お読みいただきありがとうございます。




