第十四話
勇者は私の肩に置いた手を二の腕に下げ、背中に回そうとする。
私は勇者の胸に手を置いて、それを止めた。
今の状況を読んでほしい。
勇者の顔は不満げだ。
なぜ、不満?
何が不満?
なおも手を伸ばそうとする勇者。
それを阻む私。
勇者の体を押し返す私の手には魔力が込められ、力比べの様相を呈してきた。
勇者との攻防戦の横で、エルヴィラ達がギャーギャー騒いでいたが、ジェラルドや騎士達がエルヴィラ達を宥めているのが見える。
彼女達は納得がいかないながらも下がる事にしたようだ。
彼女達がいなくなるのと、私と勇者の攻防戦の終わりはほとんど同時だった。
珍しく勇者が諦めた。
勝った。
ジェラルドが近寄って来たので、勇者から離れ、そちらを向く。
「申し訳ない、リディアーヌ姫。妹が無礼を働いたようで」
謝罪をするジェラルドは穏やかな笑顔だ。
心の内が見えない社交用の作ったような笑顔。
私も同じような笑顔を向ける。
他国の王子相手だ。慎重に会話をしなくてはならない。
「何のことでございましょう。
わたくし達はただ親睦を深めていただけです。
お話が盛り上がってしまって、騒がしかったでしょうか。
わざわざお越しいただいて、こちらこそ申し訳ございません」
「そうですか。
妹は少し、思い込みが激しいもので。
何かご不快な思いをされたなら遠慮なく仰って下さい」
「ご心配なさらないで下さいませ。
こちらに滞在中はお心を穏やかに過ごしていただけるよう、お相手を務めさせていただきますわ」
私が滞在中の世話をしていたら、心穏やかどころか、四六時中爆発しそうだけれど、それは黙っておく。
ジェラルドは笑みを深めた。
「失礼ながら、あなたはお噂とは大分違う方のようだ」
「まあ、どんな噂でしょう。
どんな噂か存じませんが、噂は当てにはなりませんわ」
「そのようですね。
本当のあなたはどんな方なのでしょうね。実に興味深い」
「あら。本当のわたくしを知ったら、きっとがっかりしますわ」
「そうでしょうか。
あなたの魅力に心奪われ、あなたを求める哀れな男が増えるかもしれませんよ」
「まあ、お上手ですのね」
笑顔でジェラルドと舌戦を繰り広げていると、ぐいっと腕を引かれた。
「っ、どうなさったの、セルジュ様」
勇者は無言で腕を引くと、ジェラルドから私を隠すように立ち塞がった。
両肩に手を置き、固い表情で私を見下ろす。
怒っているようだ。冷気が漏れている。
「リディアーヌ、昼間は我慢した。晩餐会でも我慢した。
さっきも始めは社交だろうと我慢した」
勇者が何を怒っているのか分からず首を傾げると、勇者は眉間に皺を寄せた。
「俺との約束はどうなった?」
「約束、ですか?」
「そうだ。
俺と約束しただろう。
誰の求婚も受けない。どこにも行かない。誰にも着いていかない。
必ず俺に所在を告げる。他の男に近寄らない。 他の男と話さない。
他の男と目を合わさない。他の男を視界に入れない。入れさせない」
一息で言い切る勇者。すごい肺活量。
感心してしまうが、今はそれは置いておく。
勇者が言ったのは、勇者との婚約解消の条件だ。
勇者との婚約を解消したいと言ったら、条件としてその八カ条を守るように言われた。
どう考えても無理な条件だから、半ば冗談だと思っていた。
それにーー
「婚約を解消していないのですから、それは無効では?」
私と勇者の婚約解消はまだ議会に認められていない。
聖女一行滞在中はその話は頓挫するから、婚約解消するのはまだ先だ。
条件も無効だと思うのだが。
勇者の眉間の皺がぐっと深くなった。
まずい。
こんなところでまたあれをやられたら堪らない。
私がどれだけ無防備で、男の注意を引くのか責められる。
勇者の思い過ごしだと反論すれば、その倍言葉が返ってきて、ぎゅーっと抱きしめ離さなくなるという理不尽さ。
あれ? 勇者、心変わりはどうしたの?
先ほどから私達の様子を見る野次馬が何人かいる。
その中に勇者の友人で仲間であるヴィクトルもいる。
止めてと言いたいが、ヴィクトルは傍観に徹するらしい。動いてくれない。
とにかく衆人環視の中、あれをやられるのはよろしくない。
私は勇者の目を真っ直ぐ見つめた。
「セルジュ様、わたくしはあなたの婚約者ですよ?」
今はね、と心の中で付け加える。
「誰と話そうと、どこに居ようとそれは変わりません」
「だが・・」
反論しようとする勇者の口を手でそっと塞ぐ。
「わたくしを信じて下さい。離れませんと言ったでしょう?」
「っ、リディアーヌ!」
勇者は感極まったように私を呼び、私をかき抱いた。
・・・・あれ?
結局変わらない。衆人環視の中、抱きしめられている。
待って、見ている人が多い!
野次馬から「おお〜」という声が上がる。
「若いっていいねえ」という暢気な声も聞こえるし、「娘には諦めさせるか」という落胆の声も聞こえた。
パチパチと拍手も聞こえる。
見世物ですか!?
「セルジュ様、離して」
「嫌だ」
わあ、いつもの『嫌だ』が始まった。
こうなると、気が済むまで離さないが、今はそれに黙って従っていられない。
「セルジュ様、皆様、見ていらっしゃいます。離して下さい」
「見せつけてやればいい」
そんなわけにいくか。
ここは宮中だ。社交の場であり、駆け引きの場だ。
何がどんな火種になるか分からない。
「セルジュ様」
「絶対嫌だ。人がいるのが嫌なら部屋に転移しよう。
俺はその方がいい」
「何を言っているの!? だめです!」
私は慌てて言った。
抱き合ったまま消えたら、それはそれで格好のネタだ。
「セルジュ様」
「もう少しだけ」
「だめです。離して」
「・・・・」
また聞こえないフリ!?
くすぐってやろうか。
でも、そんな事をしたらじゃれあっているだけに見えて、ますますこいつらなにやっているんだと思われてしまう。
再度勇者に声をかけようとしたところで、私の顔が向く先にいる聖女とジェラルドが目に止まった。
二人は、何か話し合いをした後、変な動きを始めた。
互いに向き合い、合図を出して、手を出している。
二人とも手を開いて出し、引っ込めて唸っている。
なんだろう。
真剣な様子から何かの勝負だろうか。
また手を出した二人。
ジェラルドは手を広げて、聖女は手を握って。
勝負がついたらしい。
ジェラルドは口の端を上げてニヤリと笑った。
あれ? 爽やかさどこに行った?
聖女は手を突き上げて悔しがっている。
背を仰け反らせて悔しがる様は随分雄々しい。
自分の目を疑いつつ二人を見ていると、勇者が体を離した。
気が済んだようだ。
「リディアーヌ、少し庭を散歩しないか?」
「・・・・」
何を言っているの、勇者。
あなたは聖女一行との交流の真っ最中でしょうに。
「いえ、わたくしは部屋に戻ります」
「送っていく」
「わたくしは一人で戻ります。
セルジュ様も皆様の元にお戻り下さい」
勇者は不満そうな顔をした。
反論に構えるが、勇者が口を開くより先に横から人が割り込む。
「勇者様〜」
勇者の腕に抱きついたのは聖女だ。
甘えるように肩に頭を寄せている。
あれ? さっきと同じ人? 人格変わった?
「私、さっきの部屋に戻りたいのです。でも迷ってしまいそう。送ってくれます?」
上目遣いに勇者を見上げる聖女。
おお、見事な媚の売り方。でも若干、聖女の顔が引きつって見えるのは気のせいだろうか。
勇者を見れば、それはそれは冷たい目で聖女を見下ろしていた。
なぜ?
今まで、令嬢達にこういう事をされてもそこまで冷たい目をしたことはないのに。
「申し訳ないが、俺は婚約者を送って行くので、あなたの案内は出来ない。
そちらにいる方々に頼んでくれ」
野次馬の方に顔を向ける勇者。
聖女は抗議の声を上げた。
「えー、私、勇者に送ってもらいたいんですぅ。
勇者は私が嫌いですか?
交流を深めましょう。
ともに魔王を倒す仲間として。
それとも私とは協力したくないですか?」
顔に似合わない甘えた声を出す聖女。
さっきまで赤い顔で慌てていた人と同一人物とは思えない。
聖女の変わり様が気になるが、それよりここは勇者に折れてもらわなくては。
「セルジュ様、聖女様を送って差し上げて。
わたくしは一人で大丈夫です」
「だが」
私は勇者に近付き、声を顰めた。
「お願い、セルジュ様。
皆様が見ています。
他国の外交官の方もいらっしゃるわ。
勇者様と聖女様の仲が良いと、各国に知らしめたいの。
聖女様を送って差し上げて」
「・・・・分かった。
リディアーヌ、くれぐれも寄り道しないで、すぐに部屋に戻ってくれ」
勇者は不承不承という様子で聖女とともに去っていく。
その背中を見ながら私は首を傾げる。
勇者はどうしてそんなに嫌がっているのだろう。
聖女に心を奪われたというのはどうなったの?
「気になりますか?」
勇者と聖女の背中を見送っていると、ジェラルドに話しかけられた。
「え?」
「なぜ、聖女が勇者殿を強引に誘ったのか」
「そう、ですね。無理をしていたように見えましたが」
考えていた事とは違う質問だったが、それも気になるところだ。
ジェラルドはクスッと笑った。
「聖女と勝負をしましてね。
負けた方が勇者殿をどこかに連れていくということにしたのです」
「先ほど手を出し合っていたものが勝負ですか?」
「おや、ご覧になられていたのですね。
勇者殿との抱擁の最中ですから、気がつかれないかと思いました」
「・・・」
私は自分の顔が赤くなるのを自覚した。
今まで何度か人前で勇者に抱きしめられた事はあるが、今日初めて会った人に直球で指摘されるとものすごく恥ずかしい。
だから人前で抱きしめないでって言っているのに!
心の中で勇者に注意し、私は外面を被り直した。
相手は他国の王子だ。
弱みを見せてはいけない。
「申し訳ございません。
勇者様は悪ふざけがお好きなもので」
「悪ふざけ、ですか?
どう見ても勇者殿は真剣でしたよ」
「悪ふざけですわ」
私はにっこり笑って誤魔化した。
その件についてこれ以上追求されるのは堪らない。
恥ずかしいというのもあるが、勇者と私の関係は外交の駒でもある。
仲が悪ければ駒にならないが、仲が良すぎるーー勇者の私への執着が強い事は、敵が付け入る隙にもなるとヴィクトルに注意されている。
付かず離れず、程々仲がいいというように見せたい。
まあ、婚約を解消したいと言っている自分がこんな事を考えるのは矛盾しているが。
「よく、解らないな」
ジェラルドは目を細め、独り言のように呟いた。
「あなたという方がよく解らない。
噂ではあなたは派手で我儘な女性だ。だが一方で慎み深いとも聞く。
実際にお目にかかれば、落ち着いていて聡明な方だと思うが、噂通り、勇者を虜にしているように見える。
本当のあなたはどのような方なのですか?」
「随分はっきりとお尋ねになるのですね」
「気になることはそのままに出来ないタチでして」
ジェラルドはにっこりと微笑む。
メイユールの第三王子は城に寄り付かず、好き勝手にしていると聞いていたが、思っていた人物と違う。
洗練された物腰と穏やかな笑みは貴公子然としている。
それにとんだ食わせ者のようだ。
爽やかで穏やかな好青年と思ったが、やはり王子。
表と裏を使い分けているらしい。
「どのようなと言われても、困りますわ。
わたくしはわたくしです。
説明は出来ません」
はぐらかした私に、ジェラルドはすっと目を細めた。
「そうですか。
では接するうちに人となりを知っていく他はないですね。
滞在中に少しでもあなたの事が解ればいいのですが」
ジェラルドはそう言って去って行った。
お読みいただきありがとうございます。
他国の王子がリディアーヌを呼ぶ時になんと敬称をつけるか悩み、姫にしてみました。嬢、殿、様、どれも違う気がして。
勇者がそのうち言いそうなセリフ。
「仕事と私、どっちが大事なの!?」
的な。




