表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/21

第6話:玉座の影に落ちる青

 燕雀えんじゃくのさえずりも届かぬほど、朝露は重たかった。


 城内、瑠璃るりの間——。玉座のある謁見の間の隅に、黒衣の女が跪いていた。誰よりも静かに、だが誰よりも気高く。


 「小蘭しゃおらん、どうして、そなたがここに?」


 天子の問いに、女は顔を上げず、ただ唇だけを動かした。


 「陛下をお守りするためでございます」


 その声は、紙のように薄く、だが剣のように鋭かった。


 前話にて露見した「甘露の壺」に仕掛けられた毒。その余波で、側妃・芙蓉ふようは発作を起こし、謁見の席で倒れた。壺の毒と彼女の発作に因果があるかを調べるため、小蘭は再び動き出した。


 謁見の間の外、東庭。折り鶴の池のそばで、彼女は沈黙する宦官の言葉に耳を澄ませていた。


 「……毒は、あの壺に仕込まれていたのではなく、すでに芙蓉様の体内に……」


 「それを確かめるには、壺の中身に触れた者の反応を比較する必要があります」


 小蘭は、女官たちに命じて同じ「甘露の湯」を口に含ませた。結果、何の異常も起きなかった。


 ならば、毒は壺にあらず——。


 彼女は考える。甘露の壺は、あくまで「誘導装置」に過ぎなかったのではないかと。


 その夜、小蘭は芙蓉の部屋に忍び込んだ。


 香炉から立ちのぼる煙の色に、彼女の眉がわずかに動いた。


 「麝香じゃこうではない。これは……鈍香どんこうか」


 鈍香——心拍を下げ、体温を落とし、呼吸を弱めるが、香を焚き続けていると逆に一時的に交感神経を刺激し、痙攣や発作を引き起こす。


 壺の毒など、最初から“無かった”のだ。毒は「香」に仕込まれていた。そして香の存在に注意を逸らすための“目くらまし”こそが「甘露の壺」だった。


 翌日。小蘭はある試みを行う。


 壺の中身を空にした上で、芙蓉に同じ部屋で眠らせる。香炉には無臭の香を焚くようすり替えた。


 ——発作は起きなかった。


 さらに念を入れて、鈍香を再び灯し、他の女官を一晩部屋に寝かせてみる。彼女は深夜、同じく痙攣を起こしていた。


 答えは出た。毒は香——。


 それを報告に上がった際、天子は目を細めた。


 「ならば、小蘭。壺は一体、何のために?」


 「誘導でございます」


 「誘導?」


 「毒が壺にあると“思わせる”ために、芙蓉様は自らの発作の時間を調整なされたのです」


 小蘭の言葉に、文官たちがざわついた。


 芙蓉の病は演技ではない。だが、香の強弱によって発作を「ある時刻」に集中させることはできる。そしてそれを「甘露を飲んだ直後」に合わせれば、毒は壺にあると見せかけることができる。


 では、なぜ芙蓉はそんな手間を?


 小蘭は、そっと天子の耳元で囁いた。


 「芙蓉様は、“己が愛されていない”ことに、気づいてしまったのです」


 「……」


 「寵愛されるふりをするために、自ら毒を演出し、心配させ、注目を得ようとされた。孤独の妃が、唯一手にした芝居の脚本。それが——“毒の壺”だったのです」


 天子は深く、息を吐いた。


 そして、帰り際。


 東庭の池の前、小蘭は独り佇む芙蓉に声をかけた。


 「貴女の“笑顔”は美しい。だからこそ、毒を仕込んではいけなかった」


 芙蓉は笑った。どこまでも静かに、透き通るように。


 「貴女にだけは、見抜かれたくなかったのです」


 小蘭は、何も答えなかった。


 池に揺れる月が、二人の間にそっと落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ