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Well-being for Life!  作者: chai
2章 新しい生活
29/29

忍耐力

サブタイトル変えました。

文章も一部28話に移して、そのぶん、こちらも加筆しました。


 

 芦田はこれまで、全くといっていいくらい、上総の言動や行動に興味を示してこなかった。

 息子が何をしようと、彼がそれを気に止めることは一切なかったのだ。

 上総を引き取ることになってからもその考えが変わることはなかったが、同時期から雇い始めたベビーシッターは芦田に対し、事あるごとに息子の存在を主張してきた。

 どうも彼女は、2人を仲良し親子に仕立て上げようと画策しているようなのだ。

 芦田にとっては何とも迷惑な話であったが、そんな彼女のお節介が、時には自分に大きなプラスをもたらしてくれるということを、彼は事実として認めていた。

 それだけに、彼の里緒に対する評価は悪くなかったし、表面上は高慢な態度をとっていたものの、心の底では自身で思っている以上に彼女のことを頼りにしていた。

 息子との距離が以前よりも少し近くなったのも、“上総は心の中で何を思っているのだろうか”だなんてことを近頃考えたりするようになったのも、間違いなくこの優秀なベビーシッターの影響であった。


 上総との関わりが増えたことにより、たかだか4年しか生きていないこの小さな生き物が一丁前に、大人並みに複雑な感情を持ち合わせているということを、芦田は最近になって知った。

 子どもとの意思疎通は自分には不可能だと決めつけていたが、4歳という年齢は――無論、理解に苦しむことも多分にあるが――芦田が思っていたよりもはるかに会話が通じるのだということにも、初めて気が付いた。

 これらの発見は芦田にとって、上総に対する認識を大きく変えるものとなり、息子への対応にあぐねいていた彼にとっては、大きくプラスになるものだった。

 けれども、何もいいことづくしというわけではない。

 その発見のうちの幾つかは、芦田を不愉快にさせるものも含まれていた。というよりも、どちらかといえばそういった類のほうが多かったのである。


 手始めに芦田を苛つかせた出来事は、上総が食後に食器を運びたいと言い出したことだった。

 芦田は上総たちの夕食時間に間に合うことは滅多にないため、一人で食事を取ることが多い。

 準備は里緒がしてくれるのだが、彼女はそこで業務終了となるため、食後の後始末は芦田が自分で行っていた。

 上総はその手伝いがしたいと申し出てきたのだ。

 しかし、自分で片づければものの数分で洗いものまで済ませられるものが、上総に任せるとなると、運ぶ作業だけでその何倍もの時間を要する。

 大人のように、椅子に腰かけたまま直接カウンターに皿をのせることは出来やしないし、食器を重ねて運ぶのは危なっかしくて見ていられない。

 そんな理由で初めのうちは相手にもしていなかったのだが、上総にしてはめずらしく食い下がってきたものだから、試しに一度やらせてみることにした。

 ところがこれが、思っていた以上に時間がかかる。テーブルとキッチンを何度もゆっくり往復する息子の姿を見守ることも、非常にやきもきさせられた。

 結局最後まで見ていられなくなり、「後はこっちでやるから、もういい」と言って、上総を追い払ってしまった。

 そんなことが連夜続き、芦田はいい加減辛抱ならず、手伝いは不要だと強い口調で息子に告げた。

 上総はその場では、目に見えるほど、しょんぼりとしていたものだったが、後々里緒が上手いことを言ってくれたらしい。翌晩になると「自分のお皿は自分でだもんね」と言ったきり、もう手を出してくることはなかった。

 一夜明け、そのことで彼女に礼を述べたところ、「お仕事でお疲れのところ、毎回あれでは大変ですよね」との気遣いの言葉をかけられた。

 ようやく彼女も大人の事情を察することができるようになったかと、芦田は溜飲が下がる思いだったが、それにはまだ続きがあったのだ。


「最近自立心が芽生えてきて、何でも自分でやりたがるんです。ですので、私もできるだけ見守って手を出さないようにしています。上総くんも張り切っているので、お休みの日は食後のお皿運び、許してあげて下さいね」


 結局それか。彼女はやはり、上総第一主義のベビーシッターに変わりなかった。

 芦田が鼻白んで里緒を見遣ると、その視線に気付いた彼女がくすりと笑った。 


「子どものすることって何においても時間がかかってしまって、それに耐えきれなくなって、ついつい手が出てしまうんですけどね」


 その言葉に、彼女は前夜の自分の行動を知り得ており、釘を刺してきたのではと思え、芦田の顔は気色ばんだ。

 けれどもその直後、里緒が「かくいう私も――」と陽気な調子で語り始めると、彼の怒気はすぐさま収められた。

 彼女は己の保育失敗談を、さも可笑しそうに話し聞かせてきたのだ。

 それは、靴の着脱に奮闘する子どもに手を貸したところ「自分でやるの!」と怒鳴られて、その後しばらく口を聞いてもらえなかったのだとか、製作活動の時間、いつまで経っても画用紙を眺めていた男児に「この色にしたら?」と声かけをしたら、「考え中なんだからほっといて!」とへそを曲げられてしまったのだとか、そんな内容だった。


 

「そうはいっても、子どもの自主性を全て優先していたら、きりがないですけど。大人にだって事情ってもんがありますしね」


 最後になって、こちら側に意見を寄せられても――と、芦田の心に天邪鬼が宿ったが、流石にこの意見に異を唱えるほどまでに、彼は捻くれきってはいなかった。

 それでも素直に同意の意思を示すのも何だか癪で、彼は愛想ひとつ見せることせず口早に「まぁ、そうですかね」と曖昧な返事をしたのだった。


 

 その他にも『何故』『どうして』と質問を繰り返すようになったり、しつこくままごとに誘ってきたりと、そういった類の出来事は、思い出せばきりがない。

 そしてきっと、その苦労は今後も増える一方なのだ。

 育児に一番必要な才能は忍耐力なのだということを、芦田は今頃になって思い知らされる。

 そして、その忍耐力こそが、沸点の低い彼の、唯一苦手としている分野であった。

 とはいえ芦田がこれまで育児に興味を見せなかったのは、忍耐力の有無とは関係ない。それは彼の育った家庭環境に起因していたのだ。



 人は皆、大人になって家庭を築くとき、多かれ少なかれ、自分の育った家庭環境に影響を受ける。

 味噌汁の味から始まり、おかずの数、生活習慣に至ってまで、基準となるのが自分が育ってきた家庭の在り方なのだから、それは当然のことだろう。

 そして子が授かって、初めて自分が親となるとき、これまた手本となるのは己の両親なのだ。

 幼いころの記憶は曖昧のように思えても、頭のどこかに必ず残っている。

 両親の教育に異を唱え、それを反面教師とする者は多いが、彼らのようになりたくないと強く思いながらも気付かぬうちにその跡を辿ってしまう者もまた多い。

 ヒステリーな母親に嫌悪を覚えていた子どもが、いざ母親になった途端、公の場で声高らかに我が子を怒鳴りつける。両親の虐待に怯えて育った子が家庭を持った途端、息子に折檻をはじめる。

 こういったケースが少なくないということは、日頃ニュースを目にしていれば誰でも気付くはずだ。

 芦田の父親としての振る舞いも、彼の父そのものであった。


 息子に厳しかった芦田の父親は、彼が涙を見せることを特に嫌った。

 まだ幼い息子に対し『男たるもの、大した理由なしに涙を流すべからず』という信念を突き付けて、芦田が泣き言をいう度に辛辣な目を向けた。

 身体的な虐待こそなかったが、息子の涙の理由には全く関心を示さず、ただ一方的に叱りつける。

 そのため芦田は滅多なことでは泣かない――いや、泣けない子どもだった。

 稀に泣いているところを父親に見られて不興を買っても、反論することなくグッと我慢した。

 それが当然として育てられてきたわけだから、上総に対してそれを強いることが間違っているとは思わなかったし、泣いている息子と向き合うこととなったとき、間髪いれず怒鳴り散らす自信が彼にはあった。 


 

 芦田の両親はお互いを個として認め合い、余計な干渉をしないさっぱりとした夫婦だった――と、そう言えば聞こえはいいが実際のところ、夫婦というよりはむしろ、向上心を高め合う同志のような関係で、家庭を築くといった面においては残念なことに、どちらもその才がなかった。

 父親は姉には甘い顔をして何でも許すのに、自分に対しては厳しい言葉を投げつけること以外構ってくれることもしない。幼い頃はその理不尽さに抗ったが、何の反応も示されず、芦田が父と距離を縮めることは叶わなかった。

 有名な化粧品会社に勤務していた母親は、会社きっての優秀営業ウーマンで、全国各地から新人教育や講演を任されるなど、家を空けることの多い人だった。

 初めて子どもを授かったときは退職を願い出て家庭に入り、数年ほど母親業に徹していたが、彼女は専業主婦に収まるような性質ではなかった。会社側から復帰を強く求められていたこともあり、ほどなくすると、以前と変わらぬ地位に返り咲いた。

 復帰わずか1年半で、彼女は2度目の妊娠をした。けれども今度は出産直後に社会に戻り、第2子である芦田は、生後2ヵ月から保育園に預けられるようになった。

 家事は全て年老いた家政婦任せで、子どもは朝から晩まで保育園に預けきり。彼女は以前にも増して精力的に仕事に力を注ぐようになった。

 5つ年上の姉は、父親に甘やかされるのが嬉しくもあり、全く構って貰えぬ小さな弟に対して後ろめたさも感じていたようで、よく芦田に同情のこもった視線を向けてきた。何かと自分の世話を焼いてくれようとはしていたが、芦田は彼女の存在が羨ましいとともに、嫉妬心を強く感じ、姉からの優しさを素直に受け入れることが出来ずにいた。

 父親は基本自分に無関心であったが、息子が周囲から『さすが男の子』といった評価を受けるのは誇らしく感じるらしく、そういった類の報告を耳に入れたときだけ、満足そうに芦田の顔を眺めることがあった。

 それに気付いた芦田は、寂しいとか甘えたいとかいう感情を押し殺し、強く逞しくあるように振舞った。それが彼にとって父親の目に留まる唯一の方法だったのだ。

 芦田が年長組に進級する頃、母親の会社は大きく軌道に乗った。それに大きく貢献した彼女は地位を高め、ますます忙しい日々を送ることになり、いよいよ家に寄り付かなくなっていった。

 その頃になると父親は、妻のあまりの飛躍ぶりに男としてのプライドを傷つけられたのか、彼女がいないところで不平を唱えるようになった。

 それは息子の前でも変わらず、むしろ芦田に強く言い聞かせるように彼女の事をなじった。

 女のくせに仕事ばかりを優先し、子どもの事を放ったらかしにしている。あれは母親失格だ、と芦田の心に男尊女卑の考えを植え付けた。

 繰り返し聞かされるうちに、母親が仕事漬けにならねば、こんな寂しい思いをせずともよかったのだと思うようになった芦田は、仕事に多忙でなかなか家に顔を見せない母親を蔑むようになった。

 そして、子を産んだ女性は家庭に入るべきだという強い考えを持つようになったのだった。




前回活動報告で予告した、芦田さん擁護はこの回に加筆することとなりました。



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