第10話 このしみったれな日常にお別れを!
グンマの密林は巨人に踏まれ、至るところにクレーターが出来ている。
「大暴れしてくれたおかげで探す手間省けたね~」
「こんなとこに私監禁されてたの……?」
クレーターに河の水が逆流し、湖の水位が下がったことでそれは現れる。
湖に沈んでいた水中要塞。大型船を沈めて建造した巨大シェルターだ。
ナニソレスキーの証言と、湖底に出撃し損ねたゾンビが漂っていたことで、敵の拠点と確信した。
「危なそぉ……茜ちゃん、このグレネード持ってて~」
「ぐれッ!?」
「敵に囲まれてダメそうな時に使ってねぇ。さっきのお父さん倒せるかもレべの強力なヤツぅー」
「こんな手のひらサイズに詰まってるの!?」
茜を腕に抱え、莉子は要塞から伸びるパイプのような入口へ突入していった。
※
要塞内は湿っていて、苔と錆の臭いが充満していた。
メタルチックな内部通路は暗く、窓の外では湖のサメが泳ぐ。
「うわぁ、中もゾンビの死体が転がってる。莉子ちゃんパパの破壊力怖いよ」
通路の至る所にゾンビの死体が倒れていた。
「静かだね。ゾンビが死んでるから余計に……って、なんでそもそも倒れて」
「待ってこれ、全部銃で殺してる。この数相手に対ゾンビ装備でってことは――急ごっ!」
「へっ、莉子ちゃん!?」
余裕のない表情で莉子は死体の続く道を進んでいった。嫌な予感が彼女の胸に滲む。
廊下の突き当りまで走った頃、その予感は事実に変わる。
無数のゾンビ兵の山の中、セーラー服の黒髪少女が倒れていた。
「獅子村さん!?」
「……失敬。逃げている最中に入口を見つけて侵入したところ、しくじってしまいまして」
「真琴ちゃん立てる~? 怪我あったら患部見せてー」
平静を装うが、莉子はこれまでにない機敏さを見せる。
真琴の袖を捲ると、肘から先がグジュグジュに溶けていた。もう腕は諦めるしかない。
「ちょっと腐食が激しいです。これ、脳にも回ってきそうですね」
「これはちょっ――」
「ま、待って! もし再生できるなら腕を縛って血流を……」
莉子がナイフを取るより早く、茜がバッグから包帯を取り出して二の腕を縛り上げる。
圧迫された腕は血流が止まり、ゾンビウイルスの脳浸食を防いだ。
「茜ちゃん凄いね! ウイルスの対処法とかいつ勉強したの?」
「なんか体に覚えが……それに凶暴でもウイルスなら、感染部位を抑えてる隙に薬で再生できると思って」
茜はテキパキと止血から薬の投与、怪我の手当てを施す。
痛みが引いて真琴の顔にも血色が戻る。
「見事な……! これでショック死は避けられます。恩に着ます」
「そっか、腕生えるなら失血とか感染症よりそっちが怖いですよね」
「佐喰さんほど頑丈ではないですからね。普通に痛いの嫌いですし、早く推薦取って進学したいです」
話す真琴は疲れ切った溜め息を漏らす。虚ろな目は戦場で負傷した兵士のようだった。
「ではなぜ推薦生なんてしてるんだ、って気になりますよね?」
「それは、はい。獅子村さんはどうして?」
「――ゾンビ騒動の恩恵で、日本は念願の第二次経済成長期。経済は随分潤いました……が、家庭事情は早々解決しないものです」
「っ……」
「虐待、貧困、機能不全……私の家も似たようなもので。でも普通の人生に合流できる合法家出を、国はこんな方法しか用意できてない」
声音の重さが壮絶な半生を物語る。だが鬱屈とした道のりを歩んでも、真琴は未来という光は見失っていなかった。
「だったら命賭けてでも、夢見たくなっちゃうでしょ」
不器用な笑い方にその想いが詰まっていた。
「それでも普通の受験は、してみたかったかも――」
その言葉を最後に、真琴の意識は途絶えた。
「獅子村さん!? うそ、手当はしっかり……」
「茜ちゃん、銃持ってて!」
頸動脈に注射し、莉子は即座にゾンビ化して真琴の腕を食い千切った。
断面から薬品を直接投与し、腕の再生と免疫強化を図る。
だが口内で暴れるウイルスの感覚から、莉子は更なる脅威に気付く。
「このウイルス……! ウチでもキッツい。真琴ちゃん、ゾンビ抗体そんな持ってないからちょっと危ないかも」
「そん、な……ごめんなさ――」
「茜ちゃんは間違えてない。判断できなかったウチのミスだから!」
真琴の汗と出血は止まらず、呼吸も乱れて危険な状態にあった。
「よくここを暴いたものだ。特にその女の健闘、賞賛に値する」
その最中、廊下の曲がり角から男が姿を現した。
筋骨隆々で人間離れした逆三角形のシルエット。指先は地面に届くほど長い異形の姿。
しかしブロンドの髪と欧米顔には見覚えがあった。
「またナニソレスキー?」
「『また』って何だ。もしかして別の俺に会ったのか?」
「そうだけど、こんなゴリマッチョじゃなかった気が」
代わり映えのない顔に莉子もうんざりしていた。
だが長話をする余裕はなく、ナニソレスキーの肉体から激臭の煙が放たれる。中年男性の頭皮とバナナを煮詰めたような臭いだ。
「げほっ、えほっ……」
「茜ちゃん、アイツからウイルスがガスで噴射してる」
「うそっ、かなり吸い込んじゃった!」
莉子は躊躇いなく自身の二の腕を噛み千切り、肉片を茜に手渡す。
「ウチの血肉。ウイルスに強い抗体あるから、二人で摂取して」
「分かった。獅子村さんにも食べてもらうね!」
「……真琴ちゃん、ごめんね」
「へっ?」
莉子は奥歯を噛みしめる。
「この重傷で、抗体や肉体耐性が高くない真琴ちゃんは――きっと耐えられない」
「耐えられ、ない?」
「命は助かっても薬の後遺症が遺る。多分、ゾンビ推薦生はもう続けらんない」
「そんな……」
真琴を茜に任せ、莉子はナニソレスキーの前まで足を進めた。
「ナニソレスキー。アンタは今、未来キラキラな若い女の子を踏み躙った」
今の彼女に普段の飄々さはない。
「ケツから食べるロケランの味、ゆっくりご馳走してあげる」
あるのは両手の拳銃とスタンガン。それと獣の眼光に宿る殺意だけであった。
「流石だ佐喰莉子。ゾンビ推薦生最上位の実力に相応し――」
話す途中で莉子は銃弾を一発放った。
「息、納豆臭いから呼吸止めてくれる?」
「……データで見た様子と違うな。随分ご立腹のようだ」
左耳を消し飛ばされたナニソレスキーは険しさを増す。
「アンタはウチの楽しい生活を壊そうとした。駆除する理由はこれでジューブン」
「楽しい生活? 人殺しをゲーム感覚で興じる日々が? はッ、仮にも国家の手先が聞いて呆れる」
「――こっちは生まれた時から日常なんて、とっくにぶっ壊れてる」
氷の表情で莉子は語った。
「そりゃアンタ達の国に比べたら社会は安定してるし、オハピッピで死ぬこともない。最大の悩みが期末テストって程度には、天国で暮らしてる自覚もある」
声と拳に、怒りの震えが走る。
「そんなゾンビいる以外平和な国なのに、楽しくなかった。進路も未来の希望も、同級生は楽しそうに話さなかった」
「――」
「ゾンビみたいな顔して嫌がってるのに抜け出そうとしない。一度だけの人生なのに、皆が諦めてた」
「莉子、ちゃん……」
「それが窮屈で、息苦しくて、馬鹿らしかった。抜け出したかった。『ゾンビ推薦なんてリスクしかない』って声が聞こえない遠くまで行きたかった」
震えが止まると、グリップを握る莉子の力が強まる。
「心が空虚になるぐらいなら、ゾンビより理性飛ばせば良い。って、皆が言った」
「皆?」
「ウチの中にいる人達……取り込んだゾンビ細胞の記憶、一人一人が」
少女の一言に男は戦慄した。
「まさか貴様ッ、そこまでゾンビの細胞を体に……!」
ゾンビの細胞を取り込む負荷、痛み、維持する苦しみは人体改造したナニソレスキーがよく知っている。
そんな苦痛など面には出さず、少女は再び狂気を装着した。
「狭苦しい日常なんてクソ食らえ。憂鬱なもの全部ぶっ壊して、ってね!」
笑う莉子はスタンガンを咥え、スカートから数十本のナイフを取って腕を広げた。
その猟奇的な笑顔にドラッグは使用されていない。あるのは少女の信念と希望だ。
「それで人格保ってんの、バケモンかよ」
額から汗を垂らすナニソレスキーに、莉子はナイフを弾丸の速度で投擲した。
「日常から出たい推薦生の邪魔するなら、ウチが挽き肉にしとくよぉー!」




