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姉の旅立ち  作者: ENO
第3部 reflection eternal
22/57

22 Warning

 目の前に座る副島に向かって、私はいう。

「どういうつもりなんですか?」

 すると副島は腹が立つくらいにとぼけた顔をしてみせた。

「はあ、それはどういうことですかね?」

 耳障りな声で、副島はきいてくる。

 おかしな状況だった。この前私に声をかけてきた男が、突如として私の前に現れた。一目散に逃げてもよかったが、そうするのか迷う微妙な局面だった。かといって人の往来の真ん中で話を続けるわけにもいかず、近くの座って話せる店に駆け込んだ次第だ。

 茶屋町のマクドナルドに、私たちはいる。二人席に座り、灰色の四角くて小さいテーブルの上には、とりあえず注文したブラックコーヒーが二つ置いてあり、その深みのない香りが二人の間に漂っている。片方のコーヒーには口がつけられているが、もう片方はまったくつけられていない。私のものだ。

 ふざけているようにもきこえる副島の言葉に、私は苛立ったようにため息をつき、そしていう。

「なんのつもりで、私の前に現れたのでしょうか、声をかけたのでしょうか? もっといえば、なぜ私の電話番号を知っているのでしょうか? 私になにか悪さでもするおつもりですか? この前の報復でもお考えでしょうか?」

 私はそういいながら、副島を睨みつけた。この男の得体の知れなさに決して臆するものかという気持ちを、視線と言葉で表明する。

 副島は私の言葉をききながら、唇を閉じ、顎を引く仕草を見せる。口元にはわずかに苦笑が浮かんでいるのが見て取れた。

「さてさて、なにから答えるべきやろか…。まず最初にいっておくと、私は決して怪しい者とちゃいます」

「なにいってるんですか? どう考えても怪しいでしょ?」

「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。まあ、そう思うのも無理はないけれども」

「なにが目的で、私の前に?」

「それは寺田さんがたまたま目の前にいたからや。知りあいと街で会ったら、声くらいかけません?」

 私は鼻で笑った。

「いや、あなたは知りあいとちゃいますし」

「そうですか? 顔をあわせたことがあれば、知りあいですよ、私の中ではね」

「私の中では違います」

 きっぱりと副島に向かっていう。

「いったいなにが目的ですか? 私の電話番号をなんで知っていたんですか?」

「…まったくもって信用されてないなあ」

 副島は苦笑する。その笑い方が心底憎たらしかった。昔を思い出す。私に石を投げつけてきた男子たちと似た笑いなのだ。その笑いはなんというか、笑いながら、誰かを蔑んでいるような印象があるのだ。そしてなにより、この副島という男は、村岡先輩と似た雰囲気を持っている。だからこの男が私は嫌いなのだ。

「質問に答えてください」

 苛立ちを堪えながら、私はいう。

 副島が指でこめかみをかく。なにから話せばよいのか、そんなことを思案しているに違いない。そして口を開く。

「あのとき自分が手帳を落としたのを覚えてませんか?」

 記憶を思い返す。確かに私は個人情報を記載した手帳を落としていた。そして副島が手帳を拾い、落としたことに気づき、戻ってきた私に手帳を渡した。

 副島は私が落とした手帳を一旦拾い、連絡先を掴んだ。そう推理する。

 副島の顔を見る。それが正解だ、という顔をする。

「偶然ですよ、しかも遭遇確立の高い。たまたまあなたが私の職場近くにいて、私はあなたの連絡先を掴んでいたから、電話した。もっとも、そうすることで驚かせてやろうという魂胆があったことは白状しますけど」

 心臓が凍りそうな思いをしていた私を見て、この男は楽しんでいたのだろうか。そう考えると、この前とは別の怒りを覚える。

「私の手帳、勝手に見たんですか?」

 私は副島を睨みながら、そういった。

「そりゃあ、持ち主に連絡するためには、手帳を見るのは仕方がないでしょう」

 副島はいう。

「ふざけないでください。手帳を拾ってもらったのは感謝してます。けど、急に電話かけてくるなんて、失礼だと思いませんか?」

「まあ、あなたでない限りは、そういうことはしませんよ」

「…どういう意味なんです?」

 私は眉を顰めた。

 副島は笑う。

 いい加減にせえよ、こいつ。私はそう思った。席を立って、いますぐ副島を殴りつけたい気持ちを抑える。

 副島の口角がさらにあがる。

「どうやら私がどういう人間か推し量っているみたいやね」

 副島はいった。

 私は無言で副島を睨みつけた。

「まあ、人を食ったところがあるのは容赦してください。職場でもこんな調子ですから。剽軽で、底が見えないとよくいわれるんですよ。サラリーマンとしてはこういう性格をしていると得なことが多いんですが」

「私と話をする上では損だと思います」

 私はきっぱりといった。

 副島は声を上げて笑った。

「上手いこといいますね。…しかし面白い姉妹や。あなたもお姉さんも生真面目やけど、お姉さんが穏やかだとしたら、あなたはこと気が強い。対照的やね」

「どうして姉のことを?」

「…あの蟷螂野郎がお姉さんをいちびっていたの、私も見てましたよ」

 副島はいう。蟷螂野郎と副島がいったとき、ひどく嫌悪の感情が副島から零れ出ていた。

「姉と比較されても困ります。まったく違う性格なので」

「だったらなおさら面白い。姉妹でこうも違うもんなんやと思いますね」

「そんなことはどうでもいいんです。姉のこともどうでもいい。私に近づいた理由は? なにか魂胆でも?」

 私は身を乗り出し、ほぼ詰問に近い調子でそういった。副島の真意はなんなのか、それがわからない。

 私は副島を睨む。だが、副島は動じない。冷静な顔で、なにかを考えている。言葉を選んでいる。

「…悪戯、ってことにしといてください。たまたま好奇心で、声をかけただけや」

「悪戯?」

「ええ、悪戯ですよ」

「それを私が信じるとでも?」

「どうしてあなたはそう考えるんです?」

 皮肉な笑みを副島は浮かべる。

 苛立ちが発火する。私は目の色を変える。だが、なんとか気持ちを抑えつけて、言葉を選びながら、口を開く。

「見たところあなたは馬鹿ではない。なんか魂胆があるはず。悪戯とは思えない」

「それはどうも。初めて肯定的なことをいわれたかもしれませんなあ」

「ふざけないでください」

 私はいう。

 副島はなにも答えなかった。

 私はため息をつく。

「魂胆を答える気はないってことですか」

 副島は答えない。

 こいつ。私は副島にきこえない程度で、舌打ちをした。

「なら、もうこのへんでいいですか? 話すことももうないでしょうし。そして、もう二度と会わない」

 私はそういって、バッグを掴んだ。

 副島はなんともない顔で、コーヒーを飲む。カップをテーブルに置き、いう。

「意外とまた会うかもしれませんよ。村岡君の件で」

 半ば立ち上がりかけていた私の動きが、止まった。思わず目を見開く。

 なんで、この人が先輩のことを知ってるん。

 声が出かかったが、辛うじて抑え込んだ。別の言葉をいう。

「どうして、彼を知ってるんですか?」

「まあ、そんな強張った顔しなくても。そのうち教えますから」

 私は推理する。姉に謝った際に、村岡先輩も近くにいて、この男になにか関わったのだろうか。

「村岡先輩の件っていうのは? 彼がなにか?」

「そのままの意味ですわ。彼に関することだ。…しかし、姉妹ってのは面白いもんやね。あなたたち姉妹は、互いに距離を置いているようでいて、ちゃんと互いを気遣っている。そういう関係は羨ましい。私ではできなかったので」

 副島はそういい、席を立つ。

「あ、コーヒー。まったく飲んでないけど。捨てにいっても?」

「あ、ああ。すいません」

 副島は飲みかけのコーヒーを近くのゴミ箱に捨てた。席に座る私の前に立つ。

「じゃあ、私はそろそろいきます。今日はどうも」

 副島はそういって、店を出ようとした。

「あの、ちょっと」

 私が呼び止めると、副島は振り向いて、いいたいことはわかっているという顔をして、こういう。

「彼に関することは、そのうちに」

 そして、軽やかに消えた。

 私は、もやもやとした状態に留め置かれた。疑問は解決されぬままだった。

 すでに副島の姿は見えない。


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