20 ランデヴー (2)
「なんでこんなことにつきあってるんだか」
呆れたように諒がいう。
私はなにもいえず、ただ諒の顔を見つめる。
秋の風が梅田のビル街を吹き抜ける。今日はそれほど冷たくない。ただ、時折鳥肌が立つ。阪急メンズ館前の植栽の縁に腰掛け、私は爽やかな午前十一時を迎えた梅田ヘップファイブ前の景色を見つめていた。空気と朝陽は爽やかでも、すでにヘップファイブ前は爽やかとはいいがたい混雑ぶりである。
諒が近くのコーヒー店で買ってきたカフェオレを私に手渡す。私はそれを無言で受け取る。
「そんで、二人はきたんか?」
諒も私と同じくヘップファイブの方向を見つめながら、私にきいてくる。
「ううん、まだ二人ともきてへん」
私は答える。正確には、二人の姿を視認できていない。
私たちの座っている位置からヘップ前までは五十メートルほどしか離れていない。知っている人ならすぐに見つけられるはずだった。
「ほんまに今日、デートするんかいな」
自分用に買ったコーヒーを啜り、諒は疑うようにいう。
「するっていってた。それにまだ待ち合わせ時間まで少しある」
私は反論をするような口調でいう。姉と村岡先輩の待ち合わせ時間は、十一時過ぎだときいていた。
諒はしばしヘップファイブ方向を見つめ、それに飽きると、私に視線を向ける。しばらくすると、またヘップファイブ方向に視線を戻す。その行為を繰り返す。私を長く見つめないのは、照れているからではなく、私がつけているサングラスに違和感があるのかもしれない。姉に見つからぬよう、私は珍しくサングラスをつけていた。
「なんでこんなことにつきあってるんだか」
またしても、呆れたように諒はいう。
姉のデートを見張るために、わざわざ私は諒を引っ張り出してきた。一人で長い時間見張っていると姿がばれてしまう。カップルなら、すぐ周囲に溶け込め、長時間見張ることも可能に思えた。諒はきっと面倒なことに駆り出されたと思っているだろう。
私自身、なぜこんな面倒なことをしているのか、理解できていない。ただ、衝動としか思えないなにかに突き動かされている。
姉が嫌いだ。そうだというのに、私はなぜか姉を見守っている。矛盾していて、滑稽でしかない。村岡先輩が関わっているからなのか。昔の片思いの相手をいまだに引きずっているから、姉に助力するというのか。それならなおさら馬鹿げている。
サングラス越しにヘップファイブ前を見つめ、数十秒が過ぎた。阪急三番街方向から、青のセーターを着た女が歩いてくる。姉だった。とぼとぼとした足取りで、落ち着かない心情が見て取れる。信号を渡り、ヘップファイブ前の雑踏に紛れ込む。
「きたんか?」
諒がいう。
私は頷く。
「でも、まだ相手がきてへん」
村岡先輩の姿を探す。だが、見つからない。
姉は通り過ぎる人におどおどとしながら、歩道の端にぽつりと佇み、先輩を待っている。初めてヘップにきて戸惑う女子中学生のようだった。男づきあいや友達づきあいが少ないから、梅田で遊ぶ機会も少なかったのだろう。誰だって、初めて梅田にくれば、その人の多さや雑多さに戸惑うはずだ。中学生の私もそうだった。
鮮やかな青色のセーターは、雑踏の中でもよく目立つ。秋風にそよいだ黒髪を、片手で押さえる。ヘップファイブの目玉である赤い観覧車を見上げる。そわそわとした表情を浮かべているに違いない。
「…紗香の姉貴ってさ、思ってたよりかわいいよな」
ぼそりと諒がいう。諒が私の姉をまともに見るのは、これが初めてかもしれない。
「そうかなあ? 基本的には私と似てるから、そないかわいいってことはないんちゃう?」
「まあ、性格まで似てたらかわいくないけど、ぱっと見では綺麗やな」
「ちょっと、それどういうことよ?」
私はむっとしていい返す。
諒はにやりと笑う。
「そのままや。…でも、なんていうか、もっと暗くて地味な人やと思ってたわ。実際見てみると、全然普通のお姉さんって感じやな。身長も高いし、すらっとして見える」
「一応私頑張ったんやで。服もそうやし、髪とか化粧とか、いろいろ手助けしていまの状態やからな」
「ふうん。アドバイスしてあげたんや」
諒は意外そうな顔でいう。
「なによ? なんか私が手伝うのが意外みたいな顔やけど」
「いや、そういうわけやないけど」
「まあ、妹の私ほど美人にはならんけど、とりあえず人様の前に出せるくらいにはなったんちゃうか?」
「ふん、うるさいよ」
諒は私の軽口に呆れてそういう。
「あっ、きたで」
私はいう。
村岡先輩が、同じく梅田三番街方向からやってくる。横断歩道を小走りで渡り、姉の前に立つ。
「あれがお姉さんのデート相手?」
諒はいう。
「うん」
私は頷いた。諒には村岡先輩が何者なのかを教えていない。きっとただの青年だと思っているだろう。
姉と先輩がいかにもぎこちない会話をしているのが、二人から離れた位置でもわかる。頭をかく先輩と、視線を逸らし気味な姉。中学生のような二人だ。
「なんか初々しいねえ」
諒はにやにやと笑いながらいった。私と同じ印象を受けているらしい。
実をいえば、私は少し意外にも思っていた。村岡先輩くらいなら、女の子とデートなど腐るほどしてきたはずだ。それだというのに、姉を前にしてのあのこちこちに固まった様子には、それまで持っていた印象とのずれが大きい。あまりそうした経験に乏しいのではないか、そんな風にさえ思ってしまう。
「だいたい、ヘップ前で待ち合わせっていうのも、なんか高校生みたいやしな」
私はカフェオレを手に持ち、そういった。
「それは思う。俺もそんな待ち合わせをやったかな、高校くらいに」
「まあ、大学生でもあるっちゃあるけどな。でも、あの二人これからなにするんやろ?」
「きかんかったんや」
「さすがにそこまできいたら、お姉ちゃんもなんやなんやって警戒するやん」
「そりゃそうやな。時間的には、お昼とちゃうん? …って、おい、こっちに向かってるで」
諒が慌てていう。
いわれなくてもわかっていた。私は紙カップを口に運ぶ。カフェオレを飲む仕草をしながら、顔を隠す。諒も私をまねて同じ動作をする。
二人が私たちのすぐ近くを通り過ぎてゆく。どちらとも笑みはうかべていたが、どことなく硬かった。
「あの二人、どこいくんや? 東通商店街? お初天神? あっちにランチ向けの店あったか?」
「わからへん。あれちゃう、まさか映画にいくんとちゃう?」
私の予想通り、姉と先輩は東宝シネマズ直通エレベーター前に立つ。東宝シネマズは、阪急メンズ館が入るヘップナビオというビルの最上階にある。最上階へスムーズに移動するため、ビルの真ん前には直通エレベーターが用意されていた。
「どうする? ついていってみる?」
「…それを俺にきかれてもな。お前はどうなんや?」
「ちょっといってみよ」
私たちは立ち上がり、二人のあとをつけた。姉と先輩までの距離はぐっと近くなる。顔がばれてもおかしくない距離だ。
エレベーターが到着し、姉と先輩、その他の客が乗り込む。同じタイミングで別のエレベーターの扉が開いたため、私と諒はそちらに乗り込む。エレベーターが上昇を始め、大阪駅と阪急梅田の駅舎が見下ろせた。
扉が開き、東宝シネマズの映画券売り場に足を踏み入れる。姉たちの姿を探す。青のセーターは、たとえ照明が薄暗く設定されていたとしてもはっきりとわかる。すぐに姉たちは見つかった。上映作品ごとに受付が別になっていて、姉たちは人がほとんど並ばず、がらんとした受付に向かう。上映作品を確認する。リバイバル上映の『エターナルサンシャイン』。
「これまた、変わった映画選ぶねえ」
諒が唸った。
私はその映画を観たことがない。館内のテレビスクリーンに映し出された説明では、ミュージックビデオで名を馳せた気鋭の映像作家の映画作品で、公開当事はその奇抜な脚本、映像演出で話題になったという。
「諒はその映画知ってるん?」
「いちおう映画好きやからな。でも、あの映画選ぶのはなかなかセンスあるで。これってあの兄ちゃんが観にいこうってゆったん? そしたら、けっこうな映画好きやで。あの兄ちゃんとは仲良くなれるわ」
やや興奮気味に諒は語る。先輩と共通点が見つかった途端に、息巻く犬のようになる。かわいらしいといえばいいのか、単純といえばいいのか。
テレビスクリーンに、映画のあらすじが映し出された。失恋の記憶を消したい男が、記憶消去の手術を受ける。ところが、手術の過程で恋愛の記憶を遡ると、かつては恋人と幸福に過ごしていたころを思い出し、記憶を消すことを悔やむ。そして、進行する記憶消去に抵抗しようとする物語だ。
どうしてこの映画を選んだのだろう。私は思った。姉が自分から選ぶ映画とは思えなかった。そうすると、先輩が観たかったのだろうか。
「ちなみに、これ、デート向けの映画なん?」
諒に尋ねると、諒は首を捻る。
「…微妙やな。いや、一応恋愛映画やから、デート向きかもしれへん。せやけど、いかんせん話が難しいからな」
「そうなん? 大丈夫かな、あの二人?」
「さあ? なんともいえへん」
「なんか心配になってきたわ。お姉ちゃんも不安やけど、相手の方も不安になってきた」
「なんで不安なん?」
「うまくいくんやろか? デートで映画なら、そりゃ二人で観て楽しめるものじゃないとあかんくない? 片方は楽しんでも、片方は理解できへんねやったら、それ失敗やで」
「そりゃそうやけども。でも、話ついていけたら楽しいで。俺も一回観て、普通に面白いって思ったし」
「…そう。なら、ええんやけど」
姉と先輩は券を購入し、受付横の通路から劇場へと入ってゆく。
「どないする? 俺らも映画観てみる?」
諒がきいてくる。
スクリーンで上映時間を確認する。もう間もなく上映だった。
「それ、諒ももっぺん観てみたいんやろ?」
「あ、ばれた? それもあるし、お姉ちゃんが心配やったら見張るのもありやし」
「暗くて見張るに見張れへんよ、そんなん」
「じゃあ、観やんねや?」
「映画まで一緒に観るとか、どんだけ過保護やねん。諒の言葉を信じる。楽しめるんやったら、なんとかなるはず」
私は踵を返し、エレベーターに向かう。
「えー、観たかったのに」
「なら、あの二人と観てくれば? たぶん楽しめるんちゃう?」
私は悪戯っぽく笑った。
諒は思わず両手を持ち上げる。どういうつもりだ、と表情が語っている。
私はエレベーターのボタンを押す。一階へ向かうエレベーターの扉が開いた。私は迷わず乗り込んだ。諒は渋々私についてくる。
下降するエレベーターで、私たちは初めなにも語らなかった。沈黙が辛くなってきて、私が口を開く。
「ねえ、あの映画って、ハッピーエンドなん?」
「ああ?」
諒の口調は、どことなく不機嫌だ。
「…なんともいえん。ハッピーエンドに捉える人もいれば、そうでないと感じる人もいる。どっちにでも捉えられるようできてる」
「昔の恋の記憶を消す話よね?」
「ああ。記憶を消してしまっても、感情は残りうるか。そもそも、人にとって記憶とはどういうものか。そこらへんが、映画のテーマらしい」
「記憶と感情…。で、映画はどんな結論を出すん? 人にとって、記憶とはどういうものなん?」
「それは観る人次第やろ」
諒はいう。答えを知りたければ映画を観ろといわんばかりだ。
エレベーターは下降する。核心に迫ることができぬまま、会話は途切れ、私たちはエレベーターの外に出る。
扉が開くと、土曜日真昼の騒々しさが待ち構えている。人々の話し声、自動車の駆動音、スピーカーから流れるアナウンスが、耳につんざく。
「これから、どうするんや?」
とりあえず茶屋町方向に歩きながら、諒がいった。
「どうしよか?」
「俺は映画観たかったんやけど、そういうわけにもいかんくなったし」
「ふうん。私は彼氏とご飯いきたかったんやけど、そういうわけにはいかへんねやろか?」
茶目っ気を滲ませながら、私は諒を見上げた。諒の視線が私の視線と一瞬だけまっすぐに結ばれたが、すぐにほどけてしまう。
「ずるいよな、そういうの」
諒はそういって、頭をかく。
「腹減ってるんなら、はよそういえよ」
照れ隠しなのか、ぶっきらぼうにいう。歩く速度が速まり、私は小走りになって諒についていく。




