1.1
閉じたまぶたに火影がちらつくのは毎夜のことで、それはいつも定刻に現れた。この真夜中に起こされてもさほど苦痛に感じなかったのは、その光のせいで深夜目が覚めてしまうことに身体がすっかり慣れていたせいである。
僕が夜更けの訪問者に気づいたのは、そいつがなかに押し入ろうと鍵の掛かった玄関の戸をがたつかせたときで、その強腰の姿勢はまさしく風の仕業でもなければ小動物のいたずらでもなかった。
熊のような獣の類か、まさか物の怪ではあるいか。不安ながらも玄関の戸を開けたのは、強引な手段を諦めたそいつがおとなしく戸を叩くさまはいかにも人らしく、打ち鳴らす音にいくらかの健気さを感じたからだ。
「はい。どちらさまかな」
開けられた戸の向こうから屋内に舞い込む外気は五月といえども冷たい夜に抱かれていただけあって肌に冷たく、そこにいたのが物の怪か化け物であってもおかしくないほどにさえ感じさせられた。
むしろその方がまだ合点が行くといったところで、女性が一人訪れるのにこんな真夜中の山小屋ほど適さない場所はなかった。
「女の子一人でこんな時間にどうしたの」
正体が明らかでない謎の訪問者。本当は怖かった僕は、それでも見栄を張る。ただのひとことから、相手が足のある人間であることを確認しようとしながらも、決して臆していないことを誰とも知れない彼女当人にしっかりとアピールしたのだ。
「あの、ごめんなさい。まさか人がいらしたとは思っていなかったもので……」
彼女は小さな身体に不釣り合いの大きな寝袋と、これはまたバランスの悪い小さなリュックを背負って、静かな闇のなかにいた。
「なにはさておきなかへどうぞ」
彼女はこくりと頷いて、静かに片開きの戸を閉めた。
暗いままにしていた奥の部屋の明かりをつけ、自分の座った向かいの椅子をその彼女に勧めた。
彼女は、ありがとうございます、か、すみません、みたいなことをぼそぼそ言いながら、恭しく籐椅子に腰を下ろした。
暗がりで思い浮かんだ鬼婆や妖怪はまさに幻で、彼女は人工の明かりの下で若さを取りもどした。年の頃は僕よりも四、五歳ほど下の十九か二十歳といったところか。
「登山かなにかしていて道に迷ったのかな?」
訊いておいて、そんな馬鹿な、と胸が反駁を加える。この辺りは、下の村の人もたまに狩猟に訪れる程度のへんぴなところで、誰が好きこのんでこんな山を登りに来るだろうか。
「いいえ、あの、ええとですね」
身振り手振りでなにかを表そうとあたふたする彼女の様子は、まさにあたふたという音に当てはまる。
「わたし、連休を利用して山ごもりしに来たんです」
「ああ、そういえばゴールデンウィーク」
今ごろの季節、ここから遙か下の方にはそんな習慣があった。と、そんなことよりも、細い身体ひとつと『山ごもり』なんて突飛な発想とを持ち合わせたちぐはぐな彼女は、さっきからそわそわとして目を泳がせている。
「もう遅いし、まずまず休もうか。寝具はないけど空いている部屋はあるから、そこで寝袋にくるまって眠るといいよ」
しかし彼女はなかなかに強情で、ここで結構です、の一点張りにはほとほと困り果てた。
たかだか木を重ねただけのような小屋だ。この広いリビングルームは冷えこみが厳しくとても寝られた場所ではないのだが、、彼女はどうやら『寝場所を借りられるだけで幸せですっ、部屋まで侵害するなんて、そんなッ』といった心境でいるようで、どちらかが折れないとこのまま朝を迎えかねないという危機感から、仕方なしに彼女の意見を通すことにした。




