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エピローグ 「北の部屋」

 この国では、成績が上位一パーセント以下の者が十三歳以降も学校にいることができる。それに選ばれるか選ばれないかは五歳から十二歳までの子供が通う単校での成績で決まる。幸い私は良い成績だったらしく、進学することができた。進学できなかったら労働者か兵隊になるらしい。しかし別にそれでもよかったなあと思う。


 私は寮にある自分の部屋で化学の宿題をやっていた。たまに窓の外を見ると、いつもと変わらない、雑草だらけの風化した石垣がある。北向きで午前中でも薄暗闇のなか、雑草たちは目に眩しいほどの緑色だ。


 宿題の問題に引っかかるところはなく、すらすらとノートを埋めていく。この部屋には私しかいない。他に二人いたけど去年のうちに居なくなった。一人は海外に留学したからで、もう一人は学校から逃亡したとかなんとか。まあ一緒にいても大して話さなかった。


 北側にあるこの部屋は寒いし暗い。壁から吊るされたランプはガラス部分が曇って金箔は剥げていた。ちょうど蛾か蝉の乾いた死体を連想させる。一つ踏み出すと軋む床板のくすんだ色は、昼間だけ青白い光が少しかかる。けれど手元はもちろん暗いので私は本を読むとき、自分の手の影が紙にかぶさらないように気を付けた。そんななか部屋全体をいつも耳の痛くなるような静けさが満たしていた。


 化学の宿題が終わったので私は本を読むことにした。


 この淡々とした日常は面白くもつまらなくもない。安い流れ作業。別にそれでいいのだと頭の中では言い聞かせていた。



 いつの間にか部屋の中に夜気が充満して、湿った闇の匂いがする気がした。窓の外は真っ暗だ。私は机上のランプを付けた。


 コンコン、とノックの音がした。ドアノブが回される。


「失礼します」


 突然のことに驚き、肩を揺らして振り向いた。そこにいたのは長い金髪を垂らした背の高い女の子だった。人のよさそうな笑みを浮かべて右手には革製のスーツケースを持っている。それに糊のきいた制服。しかしその眉はきりりとしていて意志の強そうな印象を受けた。


「初めまして。私隣国からの留学生で、サラ・ラウシェニングといいます。サラって呼んでください」


 綺麗な口から流暢な母国語が出てきた。状況の呑み込めた私も椅子から立ち上がり挨拶を返す。その後サラはスーツケースの中身を整理しだした。


 そういえば今日、私の部屋に留学生が来るのだった。先生にそう言われていた。


 艶やかな金髪が繊細な金属細工のように揺れて私は見とれてしまった。不思議なことに、私の心は弾んでいた。後ろに回した両手をぎゅっと握った。





「カーラ、テストどうだった?」


 部屋に入った途端サラがそう聞いてきた。今日は試験の結果が返されたのだ。私は本を読んでいた。仕方なく本を閉じて彼女のほうを向くと、にやついていた。真意が読めないままその紙を机の引き出しから出して見せる。


「はい。どうぞ」


 すると彼女の余裕たっぷりの笑みが崩れていった。


「え。サラ、どうしたの」


 サラはポカンとしていた。そして笑い始める。私は訳が分からず黙っている。


「これ私と一緒の点数!」

「だから何」

「私、今まで誰にも成績負けたことなかったの。本国でもずっと一番」


 笑っていつつもサラはショックを受けているようだった。いや笑っているのは強がりなのだろうか。私は少し戸惑った。だって私はいつも通りにしていただけなのに。いつのまにかサラは真顔に戻っていた。


「もしかして私が寝てたときも勉強してた?」

「そんなことないけど」

「ええ、じゃあなんで全部満点なのよ」

「普通にしてたらそうじゃない?」


 サラの顔が少し引き攣る。私はなんだかこの話題が嫌だったので、本に目線を戻したがちらりと彼女を覗うとサラはこちらをじっと見ていた。藍宝石の瞳に少しも光が宿っていない。彼女は凛とした眉を少ししかめていた。


「あなた天才だったのね」


 そしてにやりとする。その瞳はすぐに輝きを取り戻していた。


「次の試験では絶対勝つ」



 私は洗面台で手を洗っていた。鏡の中の自分の目はつまらなさそうに乾いていた。ちょうどあの北側の部屋みたいだ。でもさっき見たサラの目は潤んで光が漲っていた。


 試験なんてちっぽけなものを気にして何になるのだろう、と思う。しかしサラはそんなものにも一生懸命になれる。だから生き生きとしているのかもしれない。私にはないものだ。少しだけ羨ましくて、私は自分の髪の束に指を入れて、さっと下に引いた。どれだけとかしてもこの髪は金色にならないのに。


 部屋に戻るとサラが机に向かって勉強していた。必死な顔だ。


 それを見ていたら私も何だか焦燥感に駆られて机に向かいたくなった。乾いた心にうねって泳ぐ何かが生まれて温かい。私は微笑んだ。サラのおかげで、いつの間にかこの部屋に充満していた冷たい静けさが消えていたのだ。その代わり、慌ただしく落ち着かない気配が部屋に流れ始めている。それは果たしてこの暗い北側の部屋に合うのだろうか。


 そしてふと思う。


 ――私、君にどこかで会ったような気がする。君は私の大切な人だった。



 窓の外の雑草は、いつもと同じように石垣の周りで揺れていた。

                                   〈了〉

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