第一話 レオーネ視点
「彼女を見失った?」
その時、レオーネは、王宮にある騎士団特殊部隊長の執務室——自身に与えられた一室で、副官であるロッソから報告を受けていた。
「いったいどういうことだ」
「途中までは追えたらしいぜ? なんでも行商人の馬車に乗って、どこかへ出かけたとか」
「行商?」
いったい何用で? と考えてみるが、わかるわけがなかった。
前日に出会った少女——リシェルの妹だと名乗る彼女についての調査を家人に命じたのは、昨夜のことだ。
彼女の素性や日常生活においての行動を知りたいがために外出の際の尾行を指示したのだが、まさかさっそく見失ってしまうとは。
——もしも、だ。もし彼女がリシェルその人であったなら、無防備に歩かせるのは危険だ。
リシェルはじきに十七歳になる。
そろそろ魔から積極的に狙われる時期が訪れる頃だろう。
「で、どこまで追えた?」
「馬車に乗って、街に入ったところまで。その直後に見失ったらしい」
「彼女の素性については、何かわかったのか」
「いや、まだたいしたことは。だが、世間の噂は相当なものらしいぜ」
ロッソは簡単な報告書のようなものを、レオーネの執務机に投げて寄越した。
「これは……」
さらりと目を通して、驚きに目を見開いた。
そこには街人たちが彼女について噂をするあれこれが記されていた。
「夜会で暴言を吐きまくったとか、貞操観念がゆるくて手当たり次第に遊びまくってるとか、なによりおまえの婚約者殿のことをいじめ抜いていると書かれてる」
昨日出会った、あの彼女が?
瞬間、レオーネの脳裏に彼女の姿がよみがえった。
不安にゆれながらも意志が光る紫色の瞳や、怯えて戸惑いつつも気品のある丁寧な仕草。それらはレオーネの目に、やけに美しく映って。
彼女がそのようなことをする女性だとは、とても思えなかった。
「素行があまりに悪くて、実の母であるクローデッド伯爵夫人からも見限られたらしい。夫人はソフィアにいじめられるリシェルを、側で守るようになったとか」
「たしかに昨日、夫人の姿はリシェルを名乗る彼女の横にあったが」
「母親に捨てられるって、どれだけの悪女なんだ、あの義妹は」
「うのみにするな。噂はあくまで噂だ」
というより、とても信じる気にはなれなかった。
「が、火のないところに煙は立たないって言うぜ?」
「ならば火があるか否か、俺がこの目でたしかめる」
「そんなに気に入ったのか」
ロッソは不思議そうにこちらをのぞき込んできた。
「好みだったのか? 昨日の娘。でも容姿でいえばおまえの婚約者の方がよかったろ」
「そういうレベルの話じゃない」
レオーネは報告書をゴミ箱に投げ入れた。
「彼女と目が合った時、一瞬で心を持って行かれた。俺の中の何かが——おそらく星である部分がそうさせたんだ」
「星である部分、か。そうじゃない俺にはわからねえ感覚だな」
「きちんと裏取りをしてから話そうと思っていたが、リシェルは義妹——ソフィアと入れ替わっている可能性がある」
「——っ! おまえそれ、本気で言ってるのか!?」
「あくまで仮定だ。が、可能性は高いと考える」
「いやいやいや、ちょっと待て。もしそれが真実なら、つまりおまえは花嫁じゃねえ女と結婚するってことか?」
「おそろしいだろ?」
「ありえねえ! そんなことになったら、この国の祝福がどうなるか……」
ロッソの顔色が真っ青になった。
エヴァルドで育った彼は、魔の怖さを身をもって知っている。
「レオーネ、おまえはその仮定に対して自信を持ってるんだな?」
「確信はしている。が、確定はしていない。だからすぐに裏を取る。それまでは大きく騒がないつもりだ」
「まあ、ことがことだからな……確定するまでは動けねえか」
本来なら今すぐにでも、リシェルのことを迎えに行きたい。
自分の側に置いて、一時たりとも離すことなく、今度こそこの手で彼女を守りたいのだ。
そして持てあましている八年分の想いを、彼女にぶつけたい。
好きだ。会いたかった。と幾度でも囁いて、彼女にふれることができたらどれほど幸せか。
——でなければもう、どうにかなってしまいそうだ。
そのためには今すぐ伯爵家の内情を探らなければいけなかった。
「まずは彼女の行方を突き止めるようイルデブラン家に伝えてくれ。もしまた魔に襲われるようなことがあったらまずい。勤務中、俺自身が動くことはできないが、何かあったらすぐに報告を」
「わかった、そう伝えておく」
執務室の扉がノックされたのは、その時だった。
訪ねてきたのは王宮の人事担当官。
どうやら新たな人員を連れてきたらしい。
「入室を許す」
まさか予想だにしていなかったのだ。
街で見失ったはずの彼女が、このような形で自分の前に現れるなんて。
「失礼いたします。こちらの彼女ですが、エヴァルド語を扱えるそうなので雇い入れました。——さあ君、ご挨拶を」
「——……っ!! 君は……!」
「あ、あんた、なぜここに……!」
ロッソとともに驚愕しながら、けれどレオーネの口元にはいつしか笑みが浮かんでいた。
——ああ、なんてことだ……俺の花嫁。こんなにもすぐに会えるなんて。
「騎士団特殊部隊、部隊長のレオーネ・イルデブランだ。……君の名は?」
立ち上がったレオーネは、すぐさま彼女を迎えに行った。
なぜかはわからないが、彼女自らレオーネのところにやってきてくれた。
これは僥倖だ。
ならばもう、決して離さない。
彼女の震える手をそっと握りながら、レオーネはそう誓ったのだ。




