41、覚悟
軍勢の待機場所である大樹寺にオレ達が到着したのは大高城を出発してちょうど3日目の夜のことだった。
その間にはオレの策が功を奏してか、それとも単に運が味方についたからか、織田の軍勢にも落ち武者狩りにも遭遇せずに済んだ。
この後のことを考えるとこれは大きい。千人とはいえ結束の固い兵士を自由に動かせれば、これからの戦略構想上の自由度が違う。
岡崎城を取り返してもそこで終わりではない。そこからどれだけ素早く動けるかが今後の命運を分けると言ってもいい。
しかし、まずは岡崎城だ。オレの策の通りにことが進んでいるなら、物見がその報せを持ってきてくれるはず。後は待つだけだ。
大樹寺の境内には兵がひしめきあっている。幸いにも戦死者は出なかったものの、誰も彼も疲労困憊だ。忠次が言うには寺の僧侶連中に金さえ払えば治療はしてくれるらしいが、とてもじゃないが全員分を頼むような金はないし、すぐに戦は無理だ。
やはり、無血開城しかない。どんな手段を使っても戦は避けなくては……。
「軍師殿! 殿が山門に入りましたぞ!」
「ありがとうございます、作佐殿。兵を休まさせたら、あなたも休んでください」
最後尾を率いていた作佐が山門に入り、オレに声を掛けてくる。敵の追撃をもろに受ける都合上、もっとも危険な場所を担当していた割には元気一杯だが、彼の性格からしてまあ、こんなもんだろう。元から体力おばけだし。
「いや、休息は無用でござる! 必要とあらばこのまま岡崎に夜討を仕掛けてもようござるぞ!」
「い、いえ、まだそれが必要とは限りませんので、まずは休まれてください」
夜襲の提案はそのものは悪くない策だが、必要はない。
大高城を出る前、オレは義元の死を周囲に触れ回るように間者に命じておいた。その噂はこの三河にまで届いているはず。その上、先遣隊に織田の旗を持たせることで織田の軍勢が迫っているという噂に信ぴょう性を持たせてある。
岡崎の城代はこれらの情報から抗戦か、撤退かを選択しなければならない。
もちろん、オレならば撤退を選ぶ。ここに残っても大した利にはならない。岡崎城に残っても援軍は期待できず死ぬだけだ。死んで忠義を尽くすといえば聞こえはいいが、その時間稼ぎに意味がなければ無駄死にだ。その程度のことを考えられないような人物が一城の城代に任じられるはずがない。
必ず今川の城代は兵を退く。それがオレの知る歴史だ。ここまでイレギュラーはあったが、それを補正するために策を打ったのだ。退いてもらわなければ、オレの失策ということになる。
「軍師殿、殿がお呼びでござる」
「わかりました、すぐに参ります」
家康からの呼び出しは3日ぶりだが、ひどく久しぶりのことにも思える。ちょうどいい、物見が戻るまではもう少し時間があるだろし彼女の様子も確かめておきたい。
軍師として考えれば彼女の心情を慮る必要はないが、決断は下してもらわなければならない。
家康がどう思っていようとも、彼女は松平家の当主だ。当主としてどう振る舞うべきかを彼女は本能で理解している。
心配なのは、岡崎を取り戻したあとの彼女の反応だ。
「佐渡忠智、参りました」
「ーーお入りを」
招かれて仮の本陣になっている本堂の中に入ると、そこでは家康と忠吉がオレを待っていた。
肝心の家康はというとここ三日で見慣れた無理してる仏頂面だ。気を張っていないと、自分が折れてしまうというのをよくわかっているのだろう。
「軍師殿、駿府に残した人質はどうなりましょうかの?」
「……数正殿のことですね?」
「左様でござる。皆御家の為とあれば死も厭わぬ覚悟ではありますが……」
「わかっております。必ず皆生きて取り戻します」
本堂に入り、挨拶を済ませるとすぐに忠吉が本題に入る。
いずれは聞かれると思っていたが、今聞かれるのは想定外だった。
駿府にいる人質のことはオレも考えていた。石川数正という武将をここで失うのは惜しい。もちろん、最初から助け出すために動いていたとも。
「実を言えば、私が岡崎城の奪還を無血にこだわる所以はそれなのです」
「と申されますと?」
「我らの行動はまだ駿府館には知られていないはずです。御所の死で大慌てしているでしょうから、そこまで気を回している余裕はありません」
少なくとも一月は駿府の今川は大混乱しているはずだ。当主が討ち死にした以上は家中を取りまとめるものはいない。当然、情報が錯綜するから誰が味方で誰が敵かも確認できない。
そんな状態では人質の処刑は断行できないはず。いかに氏真がバカでも側近どもはそう判断するだろう。
誰が敵で誰が味方か分からない状況が人質を取り返すための時間稼ぎになってくれる。
「我らは敵が慌てふためいている間に岡崎を押さえ、そのまま三河領内の今川が他の城を落としていきます。ただし、その際に、各城の将を生け捕りにしつつ、ですが」
「なるほど。御所が織田信広と殿を交換したようにということですな。それならば数正を含めた人質も無事取り返せることでしょう」
忠吉はオレの考えを完全に理解した上で頷いてくれる。ただそれだけでこちらも安心感を覚えるのだからやはり年の功とは侮れないものだ。
これに関しては家康も同じらしく少し緊張が緩んだように見える。よかった、というべきだろうか。気構えをしておくのは大事なことだが、人間というものはずっとは張り詰めてはいられない。無理をし続けていれば、いつかはその無理もできなくなる。
だから、彼女が少しでも心が休まるならそのほうがいい。こんなことならもっと早くこのことについて話しておくべきだったかもしれない。
「……軍師殿もすこしは休まれるがよろしかろう。ことが始まってより一睡もしておられぬようですし」
「……ですが」
「なに、物見が戻るまでのわずかな間じゃ。それに軍師殿が休まれねば殿も休まれぬと駄々を捏ねられますゆえな」
「じ、爺! よけいなことは申さずとも良いのです!!」
「な、なるほど」
忠吉の言葉に家康が赤面する。こういう様子も結構久しぶりな気がする。
しかし、オレが休まない限りは自分も休まない、か。本当に一心同体のつもりでいてくれているのは正直嬉しい。自分で言ったこととはいえ、ここまで信頼してもらえるなら軍師冥利に尽きるというものだ。
だからこそ、絶対にここではしくじれない。たとえ策が成功しなくても必ず岡崎城は手に入れてみせる。
大丈夫だ、次善の策は考えている。危険は伴うが今更そんなことは気にしていられない、なにもし失敗しても失われるのはオレの命だけだ。それで城一つが無血で手に入るのなら割のいい取引といってもいいだろう。
覚悟は決まっているし、すべきことはハッキリしている。取り越し苦労ですめばそれでいいのだが、油断はできない。ここは世界は違っても戦国時代なのだ、常に予想外のことは起きると思っていたほうがいい。
「――御注進!」
「……物見が戻ったようですな」
本堂の外から響いたのは状況の変化を告げる声。予定より早く岡崎城に送った物見が戻ったのだろう。
これでオレの次の行動も決まった。わざわざ口上を聞くまでもない。物見の予定より早く戻った、ということは岡崎城に近付くことはできなかったという事だ。
つまり城は厳戒態勢にある。今川の城代は逃げ出すことはせずに、抗戦を選んだのだ。
すべてがオレの思い通りにいくとは思ってなかったが……いや、言うまい、ちょうど覚悟もしなおしたところだ。自分の失策は自分で取り返してみせる。




