33、読めない男
大高城への兵糧の運び入れは問題なく成功した。丸根と鷲津砦の織田勢はこっちの陽動作戦に引っ掛かり、運搬部隊には一切攻撃を受けずに城へと入った。
これに関しては、正直言うと安心して見守っていられた。寺部城の戦いにおける本命を攻める前に周囲の城への攻撃と同じだ。史実で成功した以上はこの世界でも成功する可能性は高い、必ずそうだと言い切れないのが悔しいところだがそこは割り切るしかない。
夜が明けて、大高城の広間ではさっそく運び込んだ兵糧を使って兵士達への炊き出しが行われている。軍隊において食事というのは時には武器以上に重要なものだ。きちんと暖かい食事を取っている軍隊のほうがそうでない軍隊よりも士気も団結力も向上する。同じ釜の飯を食ったというのは時にはそれだけで関係性として成立するのだ。
「――いやはや、さすがは軍師殿ですな。まさかここまで上手くいくとは」
「ど、どうも」
遅れて大高城に入った忠次はオレの事を手放しにそう褒めてくれるが、喜んでいいかは迷うところだ。軍師として使えるものを全て使っていると考えれば恥ずかしいことではないのだが、未来知識を使ってずるしているという感覚はどうにも拭い去れないものだ。
今のオレたちは炊き出しの様子を巡回中だ。いくら同じ釜で飯を食っているとはいえ、兵士というのは基本的に荒っぽい連中だ。何かの切欠で喧嘩でもされたら困るからこうして巡回している。
「……とりあえず落ち着きましたね」
「ええ、この城ならばそう簡単に落ちることもないでしょうし、城主の鵜殿殿も安心しておられました」
家康の呟きは相変わらずひどく実感の篭ったものだった。行軍中は平気そうな顔をしていたが、やはり内心はドキドキだったらしい。
大高城の規模はそう大きくないが、敵勢にはこちらに侵攻するほどの余裕はない。ましてや今は松平勢と朝比奈泰朝率いる今川の戦力も城に入っている。
丸根と鷲津にはそれぞれ五百人程度の兵士しかいないはず。二つの砦が総力を結集しても到底この城は落せない。
そもそも二つの砦の役割は援軍が来るまで大高城に圧力をかけ続けることだ。砦だけで城を落とせるなどとは最初から考えてはいないだろう。
「松平殿! ここにおられましたか!」
「朝比奈殿、いかがなされましたか?」
息を切らして話しかけてきたのは暑苦しいことに定評のある朝比奈泰朝だ。彼も囮役を無事終えてこの城に入っている。
本人を目の前にしてこんな事を思うのもあれだが、彼と彼の率いる今川勢は邪魔でしかない。おとりに敵が喰らい着くことでできるかぎり消耗して欲しかったのだが、残念ながら無傷だ。
こうなるとどうにかして排除しなきゃいけないわけだが、さてどうしてくれようか……。
「いやぁ、見事な策だと感じ入りましてな! 感謝の言葉を述べに参ったのですよ! おかげで御所様よりお預かりした兵糧を無事運び入れることが出来ました!」
「い、いえ、朝比奈殿のご助力あってのことかと……」
泰朝は相変わらずの態度でオレと家康にそう礼を述べる。それこそ命令でやってることだから礼を言われる筋合いはないし、考えていたことが考えていたことなせいでどうにも複雑な気分だ。実際家康のほうもどうにも困惑しているし、彼女もオレと同じでこういうタイプは苦手な部類に入るようだ。
「それで砦攻めはいつ始めましょうか? 兵糧入れが終わった以上、放置というわけにはまいりませんし……」
「そうですね……それは……」
「できるだけ早いほうがよろしいかと。敵はこちらの兵糧入れに浮き足立っているはずですので」
家康が視線を向けてきたので、すかさず答える。『兵は拙速を尊ぶ』という言葉の通り、行動はできるだけ早いほうがいい。敵が昨夜の囮で警戒を強めているという可能性もなくはないが、これだけの戦力差があれば多少のことは無視できる。
しかし、岡崎へと退くと考えた場合丸根と鷲津は落としておきたいが、やりすぎるのも問題だ。あまりにボコボコにしすぎると織田との関係も悪化しかねない以上は必要最小限の勝利に止める必要がある。
それに、ここに拘泥もできない。あの桶狭間まではあと数時間だ。信長が義元の本陣を急襲したのは家康が大高城に入った次の日の正午ほどだ。この時間では正確な時間を測るのは難しいが、その時は雨が降っていたらしいから特定するのはそう難しくはない。
雨が合図だ。雨が降り出すのと同時にこちらも動かなければならない。
「ならば、炊き出しが済み次第、我らは丸根砦を攻めましょう。松平殿は鷲津でどうか?」
「ええ、承知いたしました。我らもすぐに向かいます」
「では、御武運を!」
家康の言葉を受けると泰朝はすぐさま駆け出していく。彼が率先して砦を攻めてくれるならそれに越したことはない。
雨が降り出すまで鷲津砦を無理せずに落してしまえば、後顧の憂いはなくなる。義元が討ち取られたという話が舞い込んできたらあとは岡崎に向けて全力疾走だ。
「……戻ってきますぞ」
「しかも、走ってますね……」
オレ性質がその場に留まって今後の事を話そうとしていると、また大きな足音を響かせながら泰朝が戻ってくる。自分の軍の場所に戻ったにしては早すぎるし、なにかあったらしい。
一瞬、もう義元が討ち取られたのかとも思ったがそうではない。こちらに走ってくる泰朝の顔色は悪くない。主君が死んだならもっと青い顔をしているはずだ。
「――おお、松平殿! まだそこにおられたか、ちょうど良かった!」
「は、はぁ、朝比奈殿、今度はどうなされたので?」
「いやなにちょうど門前に御所様からの使者が到着なされたと聞きましてな。出迎えに行きましょう!」
「な、なるほど、わかりました。すぐにまいりましょう」
今度は何かと思ったがかなりの重要案件だった。人を寄越せばいいだろと思わなくもないが、彼の性格上、自分で言いにくるのは自然ではある。
しかし、義元からの使者というのは正直想定外だ。こっちは事前の命令を真っ当にこなしている以上、何か追加の命令を受けたり、文句を付けられるようなことはないはずだ。オレの知らない場所で何か状況が動いたという事もありえるが、実際に使者の口上を聞かないと細かい判断は出来そうにない。
まあ警戒しても、ただの状況の伝達のための伝令だということもありうるし、まずは話を聞くとしよう。
「――御所様におかれましては桶狭間に御着陣。そこより全軍の采配をなされるとのこと。さらに、大高城への兵糧入れ万端に済みしこと、大いにお喜びなされております」
「それは祝着至極! やりましたな、松平殿!」
「え、ええ、そうですね……」
城内に通された使者が最初に言上したのは状況の報告と義元からのお褒めの言葉。泰朝はこれに素直に喜んでいたが、使者の用件がそれだけじゃないことにオレと家康は気付いていた。
言葉では祝辞を述べていても使者の表情には緊張がある。なにか別に用件が、それもかなりいいにくい用件があるらしい。
「ついで、その……これより戦勝祝賀の宴を執り行なうので、御両名と松平の軍師殿には出席すべしとのお達しがありまして……」
「……は?」
使者の述べた真の用件をオレだけではなく、その場にいた全員が平等に理解できなかった。
戦勝祝賀の宴、これだけならまだ分かる。だが、今は戦の最中どころか、まだ始まってすらいない。織田の砦は健在で、ここはまだ尾張の端だ。
使者の困惑も当然といえる、制圧も完了していない敵地で戦勝の宴など正気の沙汰ではない。なにを考えているんだ、あの公家大名は。
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次回更新は九月三日の日曜日です




