13、決戦前夜
残りの三つの城は広瀬城と同じく瞬く間に陥落した。攻略に要したのはわずか三日半、早いというよりはもはや頭がおかしいレベルだ。
蝗の群ならぬテンションの上がったゴリラの群は壁を飛び越え、城門をぶち破り、城を落とした。それぞれが城が襲撃を受けたという報せを受けたときには落ちていたのというのだから、策が必要だったのかは悩ましいところだ。
起こった戦は計四回、だというのに、オレも家康もまだ戦況がわかるような前線には出馬していない。実際の戦場を見てみたいという気持ちがないというわけではないが、その一方で本物を目にすることへの恐怖も確かにある。オレ自身どっちの気持ちが強いのかはまだ良く分かっていない。
もちろん、死傷者がでなかったわけではない。士気は一切下がっていないが、それでも千五百いた兵力は実際には千二百程度にまで減っている。それにそのうちの半分近くを各城の守りに残してきているから、ここにいる兵士は七百人程度。かなり少ないように見えるが、概ね想定の範囲内だから問題はない。
これで前提条件はクリアだ。寺部城の鈴木重辰は今頃頭を悩ましていることだろう。
「いやぁ、瞬く間に落ちましたな! 愉快愉快!!」
「これも若殿あってこそ! このまま鈴木重辰程度容易く踏み潰してくれようではないか!」
一応の戦勝とあってか、三河武士達は夜中になると戦勝の宴と称して騒ぎ始めた。ただでさえテンションの高い彼らは瞬く間に最高潮へと達し、深夜になっても休まずに声を上げている。
本陣からはその様子が良く分かった。五百人の人間が騒ぎまわる様子はある意味で壮観ではあるが、見ていると不安にもなってくる。
この様子では三里先の寺部城まで聞こえているのは間違いないだろう。
「おお! 軍師殿! 軍師殿も一杯呑みなされ! 今夜は戦勝の宴でございますぞ!!」
当然、テンションが上がっているので無礼講で上も下も関係なく、こういう絡みかたをしてくる。絡んできたのは本多作佐、手にしているのは当然徳利で中身もきちんと入っている。
この三日間で武将達の好感度は多少は上がった。戦に勝っていて上機嫌なのもあるだろうが、オレの策が上手くいってるおかげである程度は信頼を勝ち取ることはできた。これもその副産物だとおもえば、まだ我慢できる。
「い、いえ、まだ仕事がありますので」
「そんなことは仰らずにさ! さ! さ!」
断っても作佐は杯を口元に押し付けてくる。断る口実はいくらでも思いつくが、今の彼らを制止するには言葉よりも拳のほうが有効だろう。
どうしたもんか、自分が酒にどれだけ強いか分からないから飲んで大丈夫かは自信がない。本番はこれからな以上、酔いつぶれるの絶対にダメだ。流石に一杯なら大丈夫だとは思うが……。
「軍師殿! 殿がお呼びでござる! 急ぎ本陣へ!」
「りょ、了解した! では、私はこれで。酒はまたの機会にさせていただきます」
「む、むぅ、殿のお呼びならば致し方あるまい!」
答えに窮していると、助け舟は向こうからやってくる。
家康のお呼びか。おそらく用件は明日の最終確認だろう。不安なのは分かるが、こう何度も確認されると流石に疲れてくる。
すべてを決するのは今夜か明日の明け方、それまでにできるだけ眠っておこうと思ったがそうさせてはくれない。結局この三日間で眠れたのは四、五時間だ。眠いには眠いのだが、野営とはいえ野宿の経験などないオレには眠るという行為そのものが難易度が高かった。
だが、文句を言い始めたらキリがない。この世界にネットも電気もガスも水道もないことは、できる限りわすれておくべきだ
家康の寝床となっているのは近くにあった廃寺。雨風はどうにか防げるがそれ以上は期待できない、敵が攻め寄せてきても何の防御にもならないだろうが、これでいい。
「佐渡です」
「――お入りを」
さすがに総大将の寝床に無断で入るわけには行かないので、陣幕の前で声を掛ける。返ってくるのは力のない許可、どうやら彼女も眠たいらしい。
「なにか御用でしょうか?」
「も、もう一度だけ策について確認しておきたいと思いまして……」
「……承知しました」
家康は甲冑姿のまま、恥かしそうにそう答える。予想通りではあるが一瞬言葉を失ったのは、家康のせいだ。
少し赤らんだ顔に潤んだ瞳、豊満な胸部は甲冑を着ていても自己主張激しい。
やはりあざとい。というか、この前もそうだったが、こうして向かい合っていると理性が危なくなってくる。
しかし、今は二人きりではない。家康の傍らでは広瀬城から立ち戻った長老の鳥居忠吉が目を光らせている。オレが彼女に手を触れようとすれば、その瞬間に切り捨てられかねない。
そんな理屈を忘れてしまいそうになるくらいには、家康は異性として魅力的だ。彼女に迫られて落ちない男はいないだろう。いっそ戦をするよりも彼女を敵城に送り込んで城主を篭絡したの方が早いんじゃないだろうかとも思えてくる。
「……何度も申し上げたとおり、まずは後詰となりうる四つの城を落とします。これはすでに完了していますね?」
「は、はい、それはもう。臣下の皆ががんばってくれましたから」
「もったいなきお言葉、将も兵も殿の御前での戦とあっていつも以上に張り切っておりまするぞ」
このやり取りも今日だけで三回目。だが、これで総大将を安心させられるのなら多少の手間は許容範囲だ。
それにこうして話していれば、オレの頭の整理にもなるし、酒を飲まされることはないし、喋っていれば眠ることもない。この時代にはコーヒーなんていう便利なものはない以上、自分の腕を摘まんでいるくらいしかないから、むしろありがたいといってもいいかもしれない。
「次は、落とした各城に兵力を分散しました。それぞれの城には幟を立てさせてこちらの手の内にある事を喧伝させています。これはおそらく寺部城の鈴木重辰にも伝わっているでしょう」
「その点においては抜かりなく。この忠吉、皆にしかと言い聞かせておりますれば」
オレが視線をやると、忠吉翁は太鼓判を押してくれる。彼がそうするだけで、家康だけでなくまだ知り合って三日と経ってないオレまでもが安心するのだから、年の功とは不思議なものだ。
この策の要は、敵をどれだけ追い込み、こちらをどれだけ侮らせるか、この矛盾の両立に掛かっている。片方が行き過ぎれば敵を野戦に誘い込むことはできなくなるし、最悪の場合はこの策そのものが無駄になりかねない。
ゆえに、一番重要な役目をオレは忠吉翁と酒井忠次に任せた。オレの知る彼らならば必ずやり遂げられると信じてのことだ。
「三番目は、この騒ぎです。まあ、多少行き過ぎてることは否めませんが……」
「は、はは、皆少々高ぶっているようですから……」
次に、ここまで聞こえてくる外の喧騒を指し示すと、家康は苦笑いを返してくる。
この策において二番目の問題点がここだ。兵がいざという時きちんと動けるかは彼らの自制心と肉体に掛かっている。各将がきちんと統率しているはずとはいえ、不安は拭えない。いや、敵を騙すにはまず味方からというし大丈夫なはずだ、多分。
ともかく、これらは全て前準備にすぎない。決着は明け方だ、敵が仕掛けてくるとしたら、そこしかありえない。
鈴木重辰が愚将でないなら必ずオレの策は成功する。戦の勝敗は戦う前から決しているもの、あとは、その時を待つだけだ。




