19章 帝国文官
19章 帝国文官
空が赤く染まっている。
大地が赤く焼けている。
天使の白い羽が朱を裂く。
炎の中においてもそれは純白を保っている。
酷い臭いが鼻を刺す。
腐った卵のような臭い。
赤い大地の上に大勢の人間が列を成している。
列の先には書物を持った天使が立っている。
その天使が作業を黙々と進める。
人間が左右に選り分けられる。
右に行くように促される。
暫くそうしていると列に並んでいた人間は全て分けられたようであった。
天使の手を取り、右側の人間が光に包まれ、何処かへと連れて行かれる。
自身も天使の手を取ろうとして気付いた。
次々と左側の人間が炎の中に投げ込まれていく。
老若男女問わず投げ込まれていく。
悲鳴が耳をつんざいた。
助けに行こうと駆け出すと、背後から天使が耳を塞いでくる。
鉄のように冷たい手であった。
左側に行く事を許さず、無理矢理光に包もうとする。
光に目が眩み、目の前が白くなる。
朧気な視界で最後に見た投げ込まれる人間は――。
●
ビク、と痙攣して目が覚める。
視界に入るのは何の変哲も無い天井。
いつもと変わらない筈の、自分の部屋だ。
扉がノックされ、入室を許可すると少女が飲み物を持ってきた。
「おはよ、文官さん」
「……おはよう」
悪夢を振り払うように頭を振る。
部屋の中に入ってきた少女を見てふと思い出す。
サンダルを編まなくては、と。
身支度を整え、紐を取りに行く。
天気が良さそうなので外で編もうと少女を呼ぶ。
「帝国人は靴をはく?」
「う、うん」
笑顔で言われた言葉にたじろぐ。
少女達を買ったばかりの頃、服も靴も無いのを見かねてありあわせで作った際に言った言葉だ。
靴を脱がせるので、草が生えている湖畔で編む事にする。
湖畔に向かって歩いていると竜騎士や他の少女達も集まってきた。
目的の場所に到着すると、武官が昼寝をしていた。
起こさないように静かに場所を陣取る。
甲手を外して地面に置く。
別の少女が外した甲手を見て驚いたように言う。
「ぼろぼろー」
「そんなもんだろ」
「きれいにしたげる!」
流石に1人では持ちきれなかったのか、竜騎士の手を借りて甲手を何処かに持っていく。
革紐を用意してサンダルを編む。
足の大きさを測り、ピッタリ合うように編む。
黙々と編んでいると2人の少女が背中に乗ってきた。
「重い」
「きのせい」
作業が気になるのか手元に視線を感じる。
面白い物でも無いだろう、と文官は少女に話しかける。
「……勉強は?」
「今日はおやすみ」
「そうか」
会話はそれっきりだ。
騎士であればもう少し上手く会話するだろうに、と内心冷や汗をかく。
帝国に着いた頃はこちらを見て怯えていた筈なのだが、何故引っ付いてくるのだろうか。
子供は判らない。
「ん? んー」
声を聞き付け、休憩がてら外に出たのだろう。
後ろから皇帝の声がする。
そして何故か背中に乗ってきた。
「俺も」
「クッッッッッッッッソ重いです」
「気の所為」
皇帝と文官で挟まれた少女達がきゃあ、と声を上げる。
楽しそうなので放っておく。
皇帝に付いてきていたのか諸家もそれを眺めている。
敢えて話しかける事も無いと思ったが、突き刺す視線がそれを許さなかった。
「何か?」
その視線に挑むように文官は諸家に声をかける。
「いやなに、我らが文官殿は自分で言った通り、奴隷に厳しいなと思っただけだ」
「……厳しいでしょうが」
その言葉に諸家は胡散臭いほどニヤニヤと笑っているだけであった。
気にせずに一心不乱でサンダルを編む。
編み上がり、少女に履かせるのと同時に、竜騎士達が戻って来た。
「はい、きれいになったよ!」
少女が甲手を渡してくる。
恐る恐る頭を撫でると照れくさそうに笑った。
受け取った途端、時が止まる。
音が、湖面の波が、風が止まる。
甲高い音と共に目の前の景色が割れる。
●
「あぁ、来ましたか」
真っ暗な森に一筋の月明かりが差し込む。
そのような空間に文官と天使は居た。
甲手は手の中にある。
急いで取り付け、目の前の天使と向き合う。
綺麗に磨かれ、細かな調整もされていた。
具合を確認し、改めて姿を確認する。
黒い羽の天使だ。
「お初にお目にかかります、マンセマットと申します」
仰々しく礼をするマンセマットに合わせ文官も名乗る。
「それで」
「えぇ」
説明しましょう、とマンセマットが抱きしめるかのように大仰に手を広げた。
「そうは言っても何から話しましょうか?
そうですねぇ、かつての大戦争の話でもしましょうか」
夢で見たでしょう、とマンセマットが微笑みながら言う。
「あの夢は……」
「黙示録。ご存知でしょう? ラッパは鳴り、神の怒りが世界を焼いた。
だが、悪魔は地上から消えず跋扈している有様だ」
「預言の通りに行かなかった?」
「えぇ」
何故か、と問うと判らない、と首を振られた。
天使の戦力が足りなかったのかもしれないし、悪魔の数が多かったからかもしれないし、
人間が予想以上に抵抗したからかもしれない。
「まぁ、それはそれとして、預言通りに行かなかった事を嘆くより、
次の対処をするべきだと、概ねそのように纏まりまして」
「そうでしょうね」
もう何百年以上も前の話だ。
学問としてはともかく、目の前の天使は恐らく実務担当だろう。
そういった結論になるのも頷ける。
「その結果、彼女が選出されまして」
文官は少女の手の甲に現れた鴉の紋章を思い出す。
あれはマンセマットの物だったか、と文官は内心納得する。
だが最大の疑問が残っている。
「……何故あの子が?」
その問にマンセマットが答える。
「貴方を釣る為です」
ビキ、と笑みが凍りそうになるが何とか堪える。
マンセマットが甲高い声で笑う。
「冗談ですよ。色々あるのです」
これ以上は機密と言う事か。
初対面である事、天使の国の事情には疎い為、これ以上の推測は控える。
情報の無い段階での決めつけは危険だ。
「彼女を見張る過程においてあなたの事も知りました」
そうだろうな、と特に驚きもなく文官は肩を竦める。
マンセマットが更に言う。
「天使の国に戻りませんか、文官」
「……は?」
言われた言葉が理解できず、文官の頭が固まる。
「彼女の後見として、私の部下の後見として、生きている間は最大限の待遇と名誉を」
音も無くマンセマットが近付く。
「そして死後はいのちの書に名を連ねる者としてその時を待つのです」
底なし沼のような目が文官を見据える。
マンセマットが聖句を読む。
「いのちの書に名が無い者がすべて火の池に投げ込まれて、永遠に苦しむ」
「新天新地……」
呟いた途端、マンセマットの声に熱が入る。
「ええ、ええ! そうです! サタンの封印が解かれ、
再び来る戦争に我々が勝ち、神が人と住む死も悲しみもない世界に選ばれる!
その為に! 私は彼女、ひいては、あなた達を求めるのです」
「選、ばれる」
不味い、と文官は頭を回転させる。
先手を打たれ、文官は完全に呑まれてしまっていた。
答えは決まっているのに言葉が喉に張り付いて出ない。
一転して、優しげにマンセマットが近付く。
「私とて自らの風評は知っています。天使の部下とて悪魔は悪魔。
そんな所にあのような少女を送るのは気が咎めるでしょう。
しかし、少し、少しの間だけです。少しだけならば何事も無く戻れるでしょう、
少し耐えるだけで貴方は最大の栄誉が得られる、そして」
マンセマットが更に言葉を重ねてくる。
頭に夢で見た炎の光景が流れ込む。
「私に付かない、それは、つまり」
「つまり、こういう事か」
静かな空間に第三者の声。
「皇帝は何処だ、と」
「呼んでないです」
文官は思わず突っ込んだ。
空間を切り裂き皇帝が現れる。
皇帝の後ろから武官が顔を出す。
マンセマットの姿を見るとぎょっと、驚いた表情をした。
「おい、つっこんだは良いけど作戦は?」
「相手は強い、俺らはもっと強い。完璧だな」
「何言ってんだお前」
武官が呆れた顔で突っ込んだ。
少々焦った様子でマンセマットが皇帝を見る。
「この際、どうやって入りこんだかは聞かないでおきましょう。
何故来ました、彼を奪われる危機感から?」
その言葉を皇帝が鼻で笑った。
「おい文官言ってやれ」
お前この流れでかよ、とも思ったがこれが帝国の日常であった。
文官は些か軽くなった胸中でマンセマットに向き合う。
「それがあなた達が求める信徒か」
言葉少なく、それだけでは何の事か判る人間は少ないであろう。
マンセマットの表情は動かない。
だが、その雰囲気と空気がヒビ割れた。
それに構わず文官は言葉を続ける。
「今まで隣で共に祈っていた人間を炎に投げ込むのが求められる信徒か」
最後に炎に投げ込まれたのは少女。
顔を見た事も無い、名前も知らない少女だ。
書物に名前を書かれなかった、選ばれなかった人間達は皆、炎に投げ込まれた。
悲鳴は耳に残り、彼女の肉の焼ける臭いは鼻に染み付いている。
それを見なかった事にしてに天の国へ、新たな地へ、楽園へ。
それは信徒の行いでも、ましてや行けるのは楽園などでは決して無い。
「何よりもまず神の国と神の義を」
神への信仰と行いが神の義だ。
それによって自身の心にもたらされる平穏こそ神の国だ。
誘拐され天使の国で教えを受けられなかった文官が奴隷だった頃、突如そう信じるようになった示しだ。
それは屈辱の生活の果てに生まれた妄想か、はたまた現実逃避か。
だが自らの心に従って奴隷達を逃し、ここに辿り着き、文官はここに立っている。
仲間と、友と、子供達と、少し気に食わない隣人がいるこの国に立っている。
文官の名乗りに答えるかのように皇帝がニヤリと笑いながら剣を構え、武官も爪をマンセマットに向ける。
「どうした、誘惑と敵意の天使」
皇帝が見定めるかのように視線を向けながら言う。
先程までのふざけた様子は一切無い。
「色仕掛けは袖にされた。次は敵意とやらでこいつの信仰を試してみたらどうだ」
「……いいでしょう」
そう言うマンセマットの表情は消え去っていた。
黒い翼がバサリと広がる。
その後ろには大勢の悪霊が蠢いている。
皇帝が顔のヴェールを取り投げ捨てる。
左目から青い光が溢れた。
「皇帝の名において命じる、奴を討て!」
地面を勢い良く蹴り、文官は剣を構え走る。




