18章 天使の国
18章 天使の国
教会で祈る信徒達を見下ろす者がいる。
彼らが信徒たちの前に姿を現すと熱狂的な声が場を包んだ。
「天使様!」
「御使い様!」
「神よ!」
賞賛、賛美、祈り。
それらは全てその者達に向けられる。
片方の羽で飛ぶ燃えているヒトの形をした誰か。
たくさんの目がついた燃え上がる車輪。
4つの顔を持つ、対になった4枚の羽と体中を埋め尽くす目を持った車輪を持つ何か。
背中に羽を生やした美しいヒト達。
天使。
神の忠実な僕であり、啓示によって人々に真理を示し、そして――。
●
全てが白い空間で天使達が語っている。
天使の国で1番高い塔で思い思いに語っている。
中には僅かばかりの人間も居る。
特別な知識に目覚めた人間達だ。
「やはりそうだ。酒精をかけると傷が膿まない」
「こちらでは星の動きがわかりそうだ」
神に関する事、次の集会について、異端に対する刑。
文明の知識。
様々な事を話している中に入ろうとすると辺りがしん、と静まり返った。
遠巻きにこちらを見ながらヒソヒソと何事かを囁いている。
「……鴉」
誰かが呟いたそれを気にする事も無く鴉の羽を持った天使は奥に進む。
汚れ1つ無い、真っ白な廊下を歩く。
「マンセマット」
明らかにこちらに用がある声がマンセマットの足を止める。
振り向くと真っ当な、白い羽の天使がこちらを睨みつけていた。
「おやレミエル殿、この鴉にいかなる用事が?」
レミエルと呼ばれた天使は不機嫌を隠そうともせずに、マンセマットに詰め寄る。
「また、人を堕落させに行くのか」
「神の命ですので」
人間への敵意をもって神への忠誠を確かめる、それがマンセマットの使命だ。
「大戦争の後、ミレニアムは成った。もう良いのではないか?」
「いいえ」
「理由は」
「かの戦争は、預言とは些か違う結末を迎えました。
悪魔は封印されず、異端の民はまだ生きている。
ならば私の部下を増やす必要性はあるでしょう」
試練を乗り越えられず、堕落した人間はマンセマットの部下となり神の為に働く。
そのまま悪霊となるのか、神の御下に行けるのか、それこそ神のみぞ知る事。
マンセマットの部下が増えるか、熱心な信者が増えるか。
それだけの事だ、誰も困らない。
「だが、しかし、人の子は」
納得行かないというふうな顔をするレミエルに、マンセマットは理解を示したかのように言う。
その表情は天使ではなく悪魔のそれだ。
「あぁ、貴方は人と交わった事があるのでしたね。
誰か気になっていた人間が堕ちましたか」
「鴉っ――!」
怒りの表情のレミエルの周りをバチバチと雷が舞う。
手をかざすと同時にマンセマットは防御態勢を取る。
空間に現れた薄黄色い壁。
雷は建物を壊し、上から瓦礫が降り注ぐ。
マンセマットは壊れた建物の穴から外に飛び出し空に逃げる。
ばさりと羽を広げ空を滑空すると、後ろから雷を纏ったレミエルが追いかけてきた。
次々と繰り出される雷と建物の破片。
それらを避けながらマンセマットも光の弾を撃つ。
器用にそれを避け、レミエルの体が再び雷に包まれる。
地上に居る人間達の悲鳴が聞こえる。
人間達は逃げる事もせずただ跪いて祈っている。
この争いが収まるのをただ待っているのだ。
マンセマットはそれをつまらなそうに一瞥した後、
再び攻撃に転じようとした所で目の端に赤い光を捕らえた。
それはレミエルも同じだったようで2人は同時に防壁を張る。
光弾と炎。
滅多な事では壊れない防壁がビシビシと音を立てている。
風圧が体を押し、グラグラと羽が揺らされる。
あまりの衝撃に2人は防壁ごと叩き落される。
何とか風に乗った後、地面に降り立ち炎を凌ぐ。
煙が晴れた先には炎の剣と羽を持った天使がこちらを見下ろしている。
「おぉ……! ウリエル様……!」
「ウリエル様だ」
跪いていた人間達が顔を上げ、ざわざわとざわめく。
ウリエルが彼らに大声で宣言する。
「騒がせたな皆の衆!
2人は信仰について意見の相違があっただけなのだ! 許してやってくれ!」
歓声を背にウリエルが降り立つ。
「それで?」
こちらを見る目は至極苛烈である。
何か間違いが有ればすぐさま叩き切られるだろう。
マンセマットは肩を竦めていけしゃあしゃあと答える。
「貴方の言う通りですよウリエル。信仰について互いに相違があっただけです」
「そうか」
ウリエルはそれ以上は言及せず、頷いた後、そのまま飛び去って行った。
レミエルが渋い顔をしていたが何も言わなかった。
マンセマットはそれに背を向けて再び空を飛ぼうと羽を動かす。
「どこへ」
レミエルの声はどこか諦めの入った物だ。
その声にマンセマットは翼を広げながら答える。
「山の向こうに」
そう言って空を舞い、南、帝国へと向かう。
●
かつての文明の崩壊は一瞬だったそうだ。
4人の何者かが病と争いをもたらし、ラッパの音と共に大勢の蝗が空を埋め尽くした。
太陽、月、星の光が無くなり、炎で地上が焼け、海が血に染まり、蝗が人々を苦しめる。
天使は人を殺し神への信仰を求めた。
悪魔は人を誑かし己への信仰を求めた。
人間は両方へ血の贖いを求める。
神の怒りは地にぶち撒けられ、悪魔が世界をかき乱し、天使が裁きを下し、人間はそれに立ち向かう。
海が死人の血のようになり海の生き物が絶えた。
太陽の光で焼かれ多くの人間が死に、大地震が起きて多くの島や国が滅んだ。
その戦いに決着が付き、新たな国が作られ、選ばれた人間達もそこに住む。
それが今で言う天使の国だ。
「……」
文官は自分の部屋で跪き祈っている。
祭壇は無いが、帝国で祈るのは自分だけなので問題無い。
窓から差し込む光を受けながら文官は祈る。
文官の隣に、拙い動作で祈る少女がいる。
視線に気づいたのか、恥ずかしそうに笑う少女がこちらを見上げる。
「文官さんのマネ」
えへへ、と少女が笑う。
文官はじっとそれを見る。
手に浮かび上がった鴉の模様は色の濃さを増すばかりだ。
「だめ?」
「……いや」
問題無い、と続けようとすると扉がノックされた。
「起きてるか? 客だ」
竜騎士の声に答え、文官は執務室に出る。
●
客は頭領であった。
珍しい顔であるな、と思いながら文官は少女に飲み物を用意させる。
用件は今後についての相談であった。
具体的に言うと、仕事が無い。
「王が即位なさらないとなると、我々としては何も出来ないというか、
政治的に考えて勝手に王族の方々に接触する事も出来ずどうしたものかと」
若干、目を泳がせながら頭領が言う。
接触する人材に気を配らなければならない。
現在の帝国には無縁の悩みである。
取り敢えず農業でもやってみるか、と提案すると快く引き受けてくれた。
そしてにやりと悪い顔をする。
「農業がてら有用な情報でも探るくらいは」
「あるのか、有用な情報が、この国に」
「……て、天使の国とか、王国に居ると判らないし」
目を逸らされながら言われた。
要するに帝国に有用な情報は無いのだろう。
言っていて悲しくなる、小国の悲哀である。
「まぁ、構わないが勝手に死ぬなよ。責任持てんぞ」
「勿論」
取り敢えず最低限は教えておくかと口を開きかける。
「てんしのくに」
いつの間にか戻ってきていた少女がぽつりと呟いた。
少し考えた後、得意気に言う。
「知ってる、文官さんがお祈りしてるとこ」
「しー!」
少女の口を手で塞いだが遅かったようだ。
頭領はともかく竜騎士に聞かれるのは良くない。
遊牧民は天使の国と敵対関係である。
そして遊牧民の気性は、竜騎士を見ていると忘れがちだが凄まじく荒い。
「俺達の間では」
背後の竜騎士が平坦な声で続ける。
冷や汗が背中を伝う。
「神官の首を取ると縁起がいいとされてな」
「……」
感情が篭っていない声が逆に怖い。
奇妙な沈黙の後、竜騎士が一言だけ吐き捨てた。
「気を付けろよ」
「お、おう」
何に、とは聞けなかった。
と言うより聞いてはいけない気がした。
「竜騎士殿にとって天使とは」
「的」
「あっ、はい」
見事な一刀両断である。
頭領が説明を求める視線をよこす。
全く、何という回答だろうかと、頭を抱えながら文官は簡単に説明をする。
竜騎士は興味が無いのかソファーに寝転んで動かない。
膝に乗ってくる少女は気にしない事にした。
「すごく雑に言うと天使によって治められた国?」
「そうだな」
その認識で充分である、と文官は頷く。
「王は?」
「そういう役割の人間は居る、その上に天使と神が居る」
この際なので簡単に天使の外見を説明すると、頭領は難しい顔をした。
聞くだけなら確かに異形の悪魔と変わらない外見だ。
「その、何だ。人間の国民はどうなんだ。天使に治められるのは」
「かつての大戦争で神に選ばれた人間の子孫が住む国だし……。
まぁ、納得してるんじゃないか?」
「詳しいな、行った事があるのか?」
「いや、文官だし基本的な所を抑えただけ」
流石に覚えてないしね、と言葉を続ける。
頭領は更に悩みこんでしまった。
「そう難しい話でも無いと思うが」
「出身が南部でな、なかなかその異形の治世者というのは」
「あぁ、そっちはそうなのか」
文官は頭領の言いたい事を察した。
詰まる所、異形に治められる事自体に違和感があると言う事だろう。
「帝国ではどうなんだ、悪魔人間のような混血でも無く、
エルフやドワーフのような異種族でも無い異形というのは」
「どう、と言われてもな」
改めて考えてみる。
「治世の仕組みとしては出来ている方だと思う。
問答無用の神性とか力は人を動かすのに必須だ。
個人的な心境はよく判らない。考えた事も無かった」
「そうか」
複雑そうな顔で頭領が言う。
「その時になればそれらに平伏するかもしれないしな。何せ熱心な信者の子孫だ」
「……お前も?」
むくりと起き上がった竜騎士が眠気の取れない声で言った。
「さぁ、自分でも気付かないだけで、そういう信者なんじゃないか?」
何せあの国から連れ出されたのは小さい頃の話だ。
そう言って文官は話を終わらせた。
●
「それで?」
文官は仕事で呼び出され、少女はそれについて行った。
主が居なくなった部屋で竜騎士は頭領に話しかける。
「……それで、とは」
「ここは安全そうか?」
天使の国と王国との間に悪魔の国と遊牧民の領地、
そして帝国が挟まる大陸の地理で何故そこまで警戒するのか。
ましてや帝国との間には高い山もある。
特に東側の山は竜でも超えられない高さだ。
では何をそんなに警戒しているのか。
頭領が警戒しているのは天使の国などでは無く、帝国が異形に治められる国になる事だ。
そうなった途端、この国は守るに易く攻めるに難い敵国となる。
積極的に攻める事は無いだろうがそれでも戦線を伸ばせる。
王国の消耗が激しくなる。
竜騎士の言いたいことを理解したのだろう。
頭領が口元に笑みを浮かべながら答える。
「さぁ、まだ判らないな」
目元は笑っておらず、殺気立っている。
「動けないのは確かなんだ。ゆっくり見極めるさ」
「そして必要とあらば?」
薄く笑いながら頭領は肩を竦めた。




