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志織  作者: 越智千尋
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第9章

 ぼくらは、それまで同様に、一緒に朝学校に行き、帰りは一緒に帰っていた。学校が終わった後は、彼女の家の近くの駅から、あの海の見える丘へ登ったり、ぼくの家で、勉強をしたりしていた。

 彼女は、言った。

「ねえ、せっかく中間テストで、結果が出たんだから、数学や英語も、頑張ってみようよ」

 ぼくも、ちょうど、そう考えていたところだった。もちろん、数学は、一年の時サボッていたから、そこからの復習から始めなければならない。ぼくは、彼女に協力してもらって、一年の復習から始めた。

「数学はね、わからない問題があっても、すぐにあきらめないで、最低でも五分は考えること。わからないからといって、すぐに答えを見て、解き方を見てしまうと、実力がつかないから」

 彼女は、そうアドバイスしてくれた。確かに、そうだろうと思う。回答ばかり見ていては、解き方を暗記するばかりで、知らない問題が出てきた時に、対応できなくなってしまう。それは、数学の実力とはいえないだろう。

 ぼくは、一年の時、学校で与えられた参考書を本棚から引っ張り出してきて、最初からやり直すことにした。

 まずは、最初の説明文を読む。わからなければ、わかるまで、何度でも読み返した。そして、練習問題だ。たやすく解けてしまった問題は、何の問題もない。ただし、わからなかった問題には、一つ一つ印をつけていった。

 できなかった問題は、後からまた、やり直す。そうやって、一年の範囲で、わからないところをなくそうと思った。

 英語に関しては、文法も、もちろん重要だけど、読解力を身につける必要もあった。彼女が、アドバイスをくれた。

「英語はね、多分、頭の中で、日本語に翻訳しながら読んでるよね。そうじゃなくて、英語のまま、理解できるようにした方がいいよ。頭の中で翻訳しないでも、意味がとれるように、英語に慣れた方がいい。例えば、アイ・ラブ・ユーなら、『愛してる』って日本語に置き換えないで、アイ・ラブ・ユーっていう言葉のまま、自分の中でイメージ出来るようにするの。だって、私たち、日本語は、そうやって、理解しているわけだから」

 なるほどと思った。さすがに優等生の彼女の言葉には、説得力がある。そんなわけで、ぼくは、彼女の協力を得て、学力の強化に努め始めた。

 クラスの様子は、あれから、目立った変化はなかった。上田たちのグループは、もう、ぼくらには手出しできなくなっていた。当然と言えば、当然だろう。あんなことがあった後でもなお、ぼくらに手出しできるほどの度胸は、彼らにはない。そんなことは、わかっていた。

 クラスの他のメンバーも、ぼくや彼女には、話しかけることも、ままならないようだった。というのも、ぼくらは、いつも一緒にいたからだ。そんなわけで、ぼくらの日常は、平穏なまま過ぎて行った。

 もっとも、平穏だと思っていたのは、ぼくらだけで、他のみんなにとっては、いつ、何が、起きるかわからない緊張感があったのかも知れないが。

 ぼくらは、いつもお昼になると、校舎裏の彼女がいつも過ごしていた場所で昼食をとった。そうして、ぼくと彼女の日常が、過ぎていき、ぼくは、彼女と出会う前の頃を思い出すことさえ、なくなっていった。

 ただ、いくつか以前とは変わったこともある。教師が、ぼくを見る目だ。中間テストが終わってから、明らかに教師たちは、ぼくに注目していた。無理もない。それまで、落ちこぼれに過ぎなかったぼくが、いくつかの教科で、クラスのトップレベルの実力を発揮したのだから。

 これで英語の成績も上がれば、私大文系のいいところが射程距離に入ってくる。進学実績という、学校にとって最も重要な要素に貢献できる期待のルーキーということなんだろう。もっとも、ぼくは、他人からの理解や関心を求めていたわけじゃなかったのから、そうしたすべてが、どうでもよかった。

 ただ、西田に、授業中、あてられたことがあった。一年の時、あまりにも予習をしてこなかったぼくを見放していたはずなのに、その日は、ぼくを当てて、教科書の英文を訳させた。もちろん、彼女と予習もキチンとやっていたので、何の問題もなく訳せたのだが、西田は、そんなぼくを見て、満足げにうなずいていた。

 その時、ぼくは、思い出していた。生活指導室で聞いた、西田の学生時代の思い出話を、だ。あこがれていた人に死なれて、西田は、それから、どんな思いを抱えてきたんだろう。

 相手の女性を死に追いやった男とは、その後、何度も、キャンパスで顔を合せていたはずだ。その時の西田の気持ちを思うと、やりきれなくなった。そんなヤツが、大学を卒業して、今は幸福に暮しているかも知れないと考えると、世の中は、なんてくだらないんだろう、とも思った。

 でも、当の西田は、そんなことを、まったく感じさせなかった。この地方都市の、受験以外には、女の子の話にしか興味を示さない高校生を相手に、西田は、何を思っているんだろうか。一体、何を支えにして、ここまで、やってきたんだろうか。他の教師には、相変わらず何の関心もなかったけど、西田にだけは、一人の男として、太刀打ちできない何かを感じていた。

 ある日のこと、ぼくは、彼女と、学校帰りに、あの丘の上で海を見ていた。ふと、ぼくは、彼女にも、西田のことを聞いてみようと思った。

「ねえ、志織」

 ぼくは、彼女に話しかけた。

「何?」

 と問い返す彼女に、ぼくは聞いてみた。

「英語の西田なんだけどさ、どう思う?」

「いい先生だと思う。すごく一生懸命で、それに、教え方も上手いよ」

「そうだね。ねえ、志織に聞いてみたいことが、あるんだよ」

 ぼくを振り向く彼女に、あの日、西田から聞いた学生時代の話を始めた。彼女はずっと黙って聞いていたけど、ぼくが、話し終わると、言った。

「それで、私に何を聞きたいの?」

「西田のような生き方って、どう思う? ぼくは、すごいなって思うんだけど。たぶん、ぼくは、そんなことがあったら、絶対にその男を許せないし、立ち直れないと思う」

 志織は、しばらく黙ったままだった。何かを深く考えているように見えた。しばらくの沈黙の後、彼女は、やっと口を開いた。

「西田先生、今でも、その人のことが、好きなんだと思う。時々、その人のことを考えてるから」

 ぼくは、驚いた。西田の学生時代なんて、もう二十年以上前のことのはずだ。なのに、今だに、西田は、その人のことを思っているというんだろうか。

「ずっと前のことなんだけど、西田先生の目を見てしまったことがあるの。そしたら、西田先生の心の奥に、悲しみの塊があって、すごく気になって、だから、見てしまったの」

 ぼくは、呆気にとられていた。彼女も、西田のことを知っていた、ということに。

 彼女は、なおも、話し続けた。彼女の話は、ぼくの知らないことも、多かった。西田は、今でも、彼女のことを思っていて、あの時、自分が、彼女を救えなかったことを、今も悔やんでいるらしい。

 だが、彼女の目は、それ以後のことも、見抜いていた。一時は、西田も、かなり荒れていたようだが、死んだ人は、二度と生き返らない。その中から、西田は、決意した。彼女を救えなかったという十字架を背負って、救える人間を救おうと。そのために、西田は、教師になった。若い高校生たちを正しく導いていこうと考えたんだ。西田は、新任当初から、教育熱心だった。生徒のために、一心になって働いた。

 だが、十数年前、この町に原発が建設される時に、一つの事件が起きた。西田は、反対派の一員として、運動していた。生徒たちの暮らすこの街を守りたい一心だった。

 小さな街の出来事は、社会の関心を集めるようになっていた。そして、東京から、マスコミや新聞記者が集まってきた。その中に、西田は、見つけたんだ。かつて自分が愛する人を死に追いやった、あの男を。ソイツは、大手の新聞社の若手記者として、この街にやってきた。

 西田の心に刻まれた憎しみは、まだ、色褪せてはいなかった。だが、生徒たちの住む街を守るために、憎しみを越えて、西田は、ソイツの取材に協力した。

 だが、原発の建設が始まると、ソイツは、何事もなかったかのように、東京へと帰って行った。西田の必死の協力でモノにしたスクープの数々と、それによって得た自分に対する評価を手にして。ソイツは、その功績により、地位を得ると、この街の出来事は、解決済みのフォルダーにしまいこんで、忘却の彼方へと押しやった。

 その後も、西田たちは、運動を続けた。東京まで行って、憎むべきソイツの元へも足を運んだ。そんな西田にソイツは、一言

「残念だったね」

 と声をかけて、追い返した。

 ぼくは、その話を聞きながら、思い出していた。以前、父親から言われた言葉を。

「彼らは、反体制派のヒーローになろうとはしたが、この街に生きる人々の暮らしのことは考えていなかったんだ」

 と父親は、言った。その言葉の持つ意味が、ひしひしと胸に伝わってきた。

「西田先生は、本当に、いい先生だと思う。そんな経験をしてきたのに、いつでも、私たちのために、一生懸命になってくれる。私は、あの先生好きよ」

 彼女は、そう言って、また海を見た。ぼくは、自分の中で、やり場のない何かがこみ上げてくるのを、どうすることもできなかった。

「ねえ、志織、ぼくたちって、ホントに無力だよね。ぼくたちの周りには、こんなにおかしなことばかりあるのに、それを、どうすることも、できないなんて」

「だから、私たちの今が、あるんじゃない。私たちは、今、どうしようもなく無力だからこそ、少しでもいい、何かができる自分になれるように、頑張っているんじゃない。勉強だって、その一つだと思う」

 彼女の言葉が、わずかだけど、ぼくの心の支えになった。

「そうだね。あれこれ不満を並べるのは簡単だけど、今、一番やらなきゃいけないのは、その無力を克服することなんだろうね」

「だから、次は、期末テストを頑張らなきゃ」

 彼女は、笑って、そう言った。

 その通りだ。ぼくたちは、自分の無力を自覚しているからこそ、無力じゃない自分を目指して頑張らなきゃいけないんだ。夕日が空を紅く染め始めていた。

 ぼくらは、駅までの道のりを言葉少なに歩き始めた。駅のホームで、ぼくらは電車を待った。

 電車を待つ間、ぼくは、彼女の手を取っていた。彼女の言葉が、ぼくに勇気をくれる。ぼくの手を握り返す彼女の手の温もりが、ぼくの生きる力になる。彼女の手は小さくて、とても暖かだった。この手の温もりを守れる人間は、この世界に、ぼく一人だけなんだ、ということが、あらためて胸の内にこみ上げてきた。ぼくたちは、そうやって、また一歩、お互いを深く思いやるようになっていた。

 やがて、電車がホームに滑り込んでくると、ぼくらは、扉の内と外に引き裂かれながらも、確かに繋がる鼓動を感じていた。笑顔で手を振る彼女に、ぼくも、手を振って応えた。

 ぼくは、勉強にも、より一層力を入れるようになった。

 英語は、とにかくボキャブラリーを増やすことも、必要だ。だから、毎日、単語を覚えた。単に教科書に出てくる単語だけを覚えるんじゃなくて、日常目についた単語でも、知らないものは、その場で辞書を開いて、調べるようにした。

 そうして、初めて知ったんだけど、ぼくらの生活には、知らない間に目にしている英単語が結構ある。電車の中の広告とかにも、英単語が描かれていたりするからだ。通学途中、突然、鞄を開いて単語を調べ始めるぼくを、彼女は、笑って見ていた。

 家でも、単語の勉強は続けた。机の上での勉強だけではなく、日常目にするところにも、単語を書きとめるようにした。例えば、トイレの中とかにも。トイレの便座の、ちょうど座った目の高さの位置に、覚えたい単語を書いて貼っておいた。両親は、笑いながら驚いていたが、こうすると、いつの間にか、単語が頭に入ってくる。

 古文は、難物だったが、そもそも、元は日本語なんだからと考えて、慣れることから、始めることにした。一年の時、副教材として与えられた「徒然草」を毎日一段ずつ、読んでいった。最初は、意味がわからなくても、原文と口語訳を五回ずつ、読みこんだ。不思議なもので、何度も繰り返していくうちに、何となく意味が取れるようになってくる。もちろん、それとは別に、文法も勉強した。

 世界史や生物などの暗記科目は、できる限り授業中に、中身を覚えるようにした。というのも、ぼくは、あまりにも勉強が遅れているから、後から時間をとって覚える暇が、惜しかったからだ。

 でも、勉強で一番大事なことが、集中力だというのが、ぼくにも、わかってきた。人間という生き物は、意外と、集中することが苦手な生き物だ。机の前に座って勉強しているつもりでも、頭の中には、他のことが忍び込んでくる。そろそろご飯の時間かなとか、彼女は、今、何をしているのかな、あるいは、これで、本当に大丈夫なのかな、といったことだ。

 その度毎に、ぼくは、自分に言い聞かせた。一体、お前は、何をやっているんだって。本気で成績を上げる気はあるのか。だったら、勉強中に、余計なことを考えるな。そう、自分に言い聞かせて、頭の中の百パーセントを勉強に向かわせた。

 そうした努力の甲斐もあって、期末テストが近づく頃には、授業についていけなくなることも、なくなった。

 そうやって、勉強を続けながらも、ぼくらの仲は、親密さを深めていった。毎日、通学も一緒だったし、日曜日には、連れ立って、デートもした。デートといっても、人で賑わう場所の苦手なぼくらは、いつもの丘の上から、海を見ながら話をしたり、図書館で一緒に勉強したり、あるいは、古本屋を回ったりするだけだった。

 この頃では、彼女も古本屋の常連と化してきていたので、古本漁りも、堂に入ったものになってきた。当然の話だけど、彼女に古本漁りの講義を担当したのは、ぼくだ。

 そして、期末テストが、やってきた。ぼくは、自分が、今までとは違ってきたことを、テストの最中から、気が付いていた。今までは、暗号文にしか過ぎなかった問題が、意味を理解できるようになっていたんだ。

 テストが終わって、結果が出てみると、ぼくは、かなり成績が上がっていたようだ。世界史、現国、物理の三科目で、ぼくは、クラスの一番になった。生物は、多分、彼女に次いで、二番だった。古文と英語も、クラス上位に食い込むようになっていた。問題の数学でも、平均点を大幅に上回っていた。

 期末テストが終わったある日のこと、ぼくらは、いつもの様に、丘の上から海を見ていた。

「啓一君、すごいね」

 彼女が、嬉しそうに言った。

「私、三科目も、啓一君に負けちゃった。こんなに短い間に、これだけの結果を出すなんて、ホントすごいよ」

 彼女の言葉に、ぼくは、得意になっていた。

「自分でも、びっくりしてるよ。でも、それも、これも、志織が色々アドバイスをくれたからだよ」

 彼女は、素直にぼくの健闘を喜んでくれた。ぼくは、これで、自分が、少しは彼女にふさわしくなれたんじゃないかって、思っていた。

 家に着くと、珍しく、父親が、すでに帰っていた。ぼくの顔を見ると、

「おう、今、帰ったのか」

 と言いながら、荷造りをしていた。

「また山籠りの準備なの? 大学教授も大変だね」

「大変っていうほどでも、ないんだけどな。静かな山の中の方が、集中できるからな」

 手を休めることもなく、父親が答えた。

 ぼくの家では、毎年、大学が夏休みになると、父親は、山に籠って、研究生活に入る。大学の夏休みは、高校のそれより早く始まるので、早くも山籠りの準備に入っているんだろう。それは、我が家では、もはや毎年恒例の行事と化していた。

 少しすると、母親も帰ってきて、三人で夕食を食べた。夕食後、母親も一緒になって、父親の山籠りの準備を手伝っていた。こうして、何気ない日常が過ぎていく。

 期末が終わると、担任の簡単な個人面談があり、進路のこととか、成績のこととかで、話があった。

 ぼくと彼女は、別々の日に、面談があり、その日、ぼくらは、別々に帰ることにした。彼女の面談は、簡単に終わったらしい。当然だろう。少なくとも、学校の成績に関しては、彼女には、何の問題もなかったからだ。今の成績なら、彼女が希望している地元の国立にも、大丈夫だということで、話は、終わったらしい。

 ぼくの面談も、成績には、何の問題もなかった。担任は、二人きりになるなり、満面の笑顔で、ぼくを迎えた。

「よく頑張ったな」

「別に、アンタのためじゃないですから」

「まあ、いい。とにかく、この調子で頑張れば、国立のいいところを狙えるぞ」

「アンタの指図は、受けません」

「そう言うな。オレだって、お前は、頑張れば、やれるやつだって、ずっと前から思ってたんだ」

「アンタの期待なんて、ウザいだけです」

 全編、こんな具合だった。たぶん、問題があるとすれば、ぼくの生活態度の方だっただろう。面談が始まって三分後には、担任も、言うべき言葉を失っていた。そこで、終了となった。

 そんなこんなで、学校は、夏休みを迎えて、学校全体に、何か浮かれた雰囲気が、漂っていた。

 夏休みといっても、学校で友達と会うという目的のない、ぼくらにとっては、自由時間が増えるということでしかなかったけど、ひとつだけ、早急に決着をつけておくべき問題もあった。言うまでもないことだが、ぼくたちが、夏休みを一緒に過ごさないという選択肢は、ない。したがって、ここで問題になるのは、どうやって会うか、ということだけだった。

 もちろん、夏休みを満喫できるのは、ぼくたち学生の特権であり、両親は、労働にいそしんでいる。したがって、ぼくの家で過ごしてもいいのだが、この街のような地方都市では、近所の目というのも、ある。あまりぼくの家でばかり会っていると、近所の主婦という名のハイエナたちが、たちまち噂にするだろう。

 放任主義の権化たるぼくの両親が、それによって、大幅に主義主張を変えるということもないとは思うけど、あいにく、ぼくも、彼女も、噂好きの世間というヤツが、嫌いだった。そこで、あれこれと場所を変えるべきだろう、という結論に達していた。

 といっても、世間に疎いぼくたちのことだから、それほど選択肢があるわけでも、なかった。

いつもの海の見える丘や古本屋、あとは、図書館ぐらいが、ぼくらのこれまでの行動範囲だった。これらの場所をローテーションを組んで回るというのが、ぼくらの出した結論だった。

 もうひとつ、夏休みのことで、触れておかなければならないことがある。ぼくらの学校は、まかりなりにも進学校だ。したがって、夏休み明けには、実力テストなる催しが行われる。

彼女は、この実力テストを、ぼくの実力を確かめる場として、利用することを提案した。だから、この夏休みを利用して、英語や数学などは、一年で習った部分を仕上げておくべきだ。彼女は、そう主張した。わからないところは、自分が、教えるからとも。

 彼女の個人授業が受けられるのであれば、ぼくに、異存など、あるはずがなかった。それで、ぼくらの夏休みは、その多くの時間を図書館で過ごそうということになった。

 一学期最後のその日、ぼくらは、終業式という名の解放の儀式を済ませると、昼前には、学校から釈放された。ぼくと彼女は、学校前の坂道にも、しばしの別れを告げ、電車に乗って、例の古本屋のある駅に向かった。

 駅前の商店街にあるトンカツ屋で、定食を掻き込むと、その足で、そのまま古本屋を訪ねた。この頃には、彼女も、店の在庫はあらかた把握していたので、二人で、まずは本棚を一通り調査し、しかる後に、本日の獲物の選定に入った。古本屋で、休み中の無聊を慰める一品を手にしたぼくたちは、そこから、初めてキスをした海辺へと向かった。

 田んぼの中を渡る風は、涼しくて、気持ちが良かった。海に着くと、ぼくらは、あの日と同じように、砂浜に腰をおろした。潮風の香りに包まれながら、ぼくらは、遠くまで広がる海を見ていた。

 そして、ぼくは、こんなことを考えていた。大地の上に暮らすぼくらは、この地球が水に覆われた惑星であるということを、普段、あまり意識しない。ぼくらの目に映るのは、足元に広がる大地であり、ぼくらの目に触れない場所には、大地より遥かに広い海があるという事実を意識せずに過ごしている。

 だから、昔の人は、この星を水球ではなく、地球と名付けたのだろう。ぼくらは、ぼくらの目に触れるところでしか、世界を知ることができない。

 ぼくらの思考の中にある世界は、本当は、世界そのものの姿ではなく、ぼくらのちっぽけな視野に切り取られた、世界の断片にしか過ぎないんだ。ぼくたち、ちっぽけな人間は、結局、本当の意味での世界など、理解し得ないのではないだろうか。世界について、何かがわかったと思っているのは、ちっぽけな人間の幻想なのかも知れない。

 そんな風に考えながら、ふと、視線を感じて、彼女の方を振り向くと、彼女は、ニコニコしながら、ぼくを見ていた。

「啓一君って、面白いことを考えるのね」

 彼女は、ぼくの目から、ぼくが、今しがた考えていたことを読み取って、言った。

「でも、そう思わない?」

 ぼくは、笑顔で彼女に聞いた。

「確かに、啓一君の思う通りかも知れないね。私たち、本当はこの世界のことを何にも知らないのに、わかった様に思っているだけなのかも知れないね」

「だとしたら、ぼくらの存在って、一体、何なんだろうね。ぼくたちは、世界についてあれこれ語るけど、本当は、誰も、この世界を認識することさえ、できていないかも知れないよね」

 彼女は、穏やかな微笑みを浮かべたまま、言葉を返した。

「でも、私たちにだって、わかることはあるよ。自分が好きな物とか、嫌いなもの、将来の夢、それから、自分にとって大切な人」

「そうだね」

 ぼくらは、顔を見合せて笑った。こんな会話って、本当は、どうでもいいことなのかも、知れないけど、二人で、こうして笑いあえるこの時間は、ぼくたちにとって、かけがえがなかった。

 そうやって、ぼくらは、とりとめのない会話をしながら、夕方まで、そこで過ごした。二人で過ごす時間は、いつも急ぎ足で駆け抜けていく。もしも、アインシュタインが相対性理論を思いついた時、恋に落ちていたら、時間の相対性の実例として、恋人と過ごす時間を挙げていただろう。

 夕暮れの空を、二人一緒に仰ぎ見ながら、駅に向かって歩く間も、ぼくらは、くだらない事に笑い、時には、沈黙の中にさえ漂う、甘い空気に酔いしれていた。電車に乗って、ぼくの家の近くの駅に着いた時、

「また明日」

 と言って、手を振った。

 でも、夏休みに入ると、彼女は、ふさぎこむことが、多くなっていた。理由を問うぼくにも、彼女は、曖昧な答えしか返さなかった。体調が優れないとか、昨日の夜は、なぜかよく眠れなかったとか、そんな理由を語る彼女に、ぼくは、次第に疑いを募らせていった。

 ぼくたちの仲が、疎遠になったとか、いうんじゃない。彼女は、いつも、ぼくに優しかったし、あの初めてのキスの後にも、ぼくたちは、何度もお互いの唇を重ね合わせていた。手をつなげば、彼女は、少しぼくが吃驚するぐらいに、ぼくの手を強く握り返してくる。

 ただ、彼女が、ぼくの目を避けるようにすることが、この頃増えた。前には、そんなことは、一度も、なかったのに。彼女が、ぼくに何か隠し事をしているのではないか、という疑いが、日増しに募ってきた。

 夏休みに入って、十日ほどしたある日、ぼくは、思い切って、彼女に聞いてみることにした。その日も、ぼくらは、一緒に丘の上から海を見ていた。丘の上に着いてから、彼女は、一度もぼくを見なかった。

 ぼくは、思い切って、彼女に聞いた。

「ねえ、何かあったの? この間から、ずっと目をそらしているように、見えるんだけど。ぼくの心の中に、何か見たくないものでも、見えるの?」

 ぼくにも、全く心当たりがないというわけでもなかった。年頃の男の子としては、彼女に対する好意の中には、未成年者閲覧禁止の部分もあったし、ぼくらは、高校生で未成年者だったからだ。

 とはいえ、こうした思いを抑えるのは、容易ではなく、特に、部屋で一人過ごしている時など、顔を思わず赤らめてしまうような空想が、頭をもたげてきたりする。ぼくは、彼女が好きだったし、誰かを好きになれば、こうした感情は、自然とあふれてくるものなのかも知れない。

 もしも、彼女が、ぼくのそうした部分に戸惑いを覚えているのであれば、それは、まさに不可抗力としか、言いようがなかった。

 彼女は、少しの間、黙り込んだ後、言った。

「明日、話すから、それじゃ、ダメかな?」

 彼女は、そう言って、黙り込んだ。

 一体、何が、彼女に、こんな反応をさせているのか、ぼくは、一刻も早く知りたかった。でも、彼女の目に何が映っているとしても、今、一番つらい思いをしているのは、彼女だったはずだ。だから、ぼくも、彼女のために、ここは我慢すべきだろう。

「うん。わかったよ。でも、約束してほしい。明日でもいいから、志織に見えているものを、ぼくにも、教えてほしい」

 彼女は、何も言わずに、ただ小さく頷いた。ぼくらは、その後、変に気まずくなって、黙ったままで、その後の時間を過ごした。

 ぼくは、手掛かりが、何もつかめないまま、あれこれと、彼女がふさぎ込んでいる理由を、考え続けていた。家に帰ってからも、ぼくの頭の中を、疑問符が、駆け巡っていた。一体、何があったというんだろうか。何が、彼女をこれほどまでに、追い詰めているんだろうか。でも、ぼくには、その答えにたどり着く術はなかった。

 やっとの思いで、次の日が訪れ、ぼくらは、連れだって、あの丘の上へとやってきた。

 そこへたどり着くまでの間、ぼくらの間には、言葉がなかった。彼女の様子では、よほど重大なことみたいだったし、駅を降りて、公園の中を横切っている間も、彼女はふさぎこんでいて、そんな彼女を見るのは、とても辛かった。

 丘の上に着くと、彼女は、いつもの場所に腰を下ろした。ぼくも、彼女の傍らに場所をとり、彼女が、話し始めるのを待った。どれくらいの間、そうやって待っていただろう、長い沈黙の後、彼女は、やっと口を開いた。

「前に、私、未来のことが、少し見えるって、話したよね」

 そう言うと、彼女は、言葉を切った。沈黙に耐えかねたのは、ぼくの方だった。

「それは、聞いたよ。なにかよくない未来が見えたの」

 問いかけるぼくに、彼女は、しばしの沈黙を挟んで答えた。

「私たちが、結ばれない未来」

 彼女は、静かに言った。

 その言葉の意味を理解するのに、ぼくは、しばらくかかった。ぼくたちが、結ばれない未来だって。そんなもの、あるはずがない。だって、ぼくらは、こんなにも、お互いを愛しあっているのに。ぼくにとって、彼女は、この世界のすべてだ。そして、彼女にとっても、それは同じはずだ。

 少なくとも、ぼくは、そう信じていた。

「ウソだろ。そんなことって、あるわけないよ」

 でも、そう言うぼくに、彼女は、力なく首を横に振った。

「詳しいことは、私にも、わからない。でも、私には、見える。私が、啓一君と離れ離れになってしまうところが」

 彼女の言葉が、ぼくの胸を刺した。ぼくたちが、離れ離れになるだって。そんなことが、あるはずがない。あっていいはずが、ないんだ。ぼくは、混乱していた。

「ねえ、もっと詳しくわからないの。一体、何が原因で、ぼくたちが、引き離されるのか。原因が分かれば、対処する方法だって、見つかるかも知れないよね。だって、ぼくらが、離れ離れになるなんて、そんなこと、許されないよ」

 ぼくの声は、震えていた。

「わからないの。私に見えるのは、啓一君を失って、泣いている自分の姿だけ。その他のことは、何も、わからないの。ごめんなさい、黙っていて。でも、私だって、そんなこと、信じたくなかったから」

 彼女の言葉が、ぼくの胸に刺さってくる。ぼくを失って、彼女が泣いているだって。ということは、ぼくが、彼女を棄てるって、いうことなんだろうか。そんなはずは、ない。だって、ぼくは、彼女以外の誰にも、心を動かしたことなんて、ないんだから。それとも、何か別の事情なんだろうか。

 たとえば、ぼくか、彼女のどちらかが、この街を遠く離れてしまうとか。でも、それなら、電話やメールで、連絡を取り合えばいいだけの話だ。

 あるいは、ぼくらのことを快く思っていない連中、例えば、上田のようなヤツらが、ぼくらに何かするとでも、いうんだろうか。そんなことがあれば、ぼくは、ソイツらすべてを敵に回してでも、戦ってみせる。そうだ。ぼくらだって、そんな理不尽な運命と、戦うことができるんだ。彼女をあきらめるなんて、ぼくには、できなかった。

 もしも、それが、運命だというのなら、ぼくは、その運命とだって、戦ってみせる。そうだ。ぼくたち二人、力を合わせて戦おう。

 そう考えると、ぼくは、彼女の肩に手をかけた。彼女は、振り向いて、ぼくの目をのぞき込んだ。きっと、それだけで、ぼくの思いは、彼女に伝わっていただろう。だけど、ぼくは、自分の考えを自分の口で、彼女に伝えたかった。ぼくの決意を、彼女に言葉で伝えたかった。

「ねえ、志織。戦おうよ。ぼくには、志織しかいないんだ。志織と別れるなんて、ぼくには、考えられない。そんな未来は、絶対に認められない。だから、ぼくら二人で、力を合わせて、戦おうよ」

 彼女は、ぼくの目を見た。彼女は、ぼくの瞳の奥の炎を見たはずだ。彼女は、潤んだ瞳で、ぼくの目を見つめ返した。そして、言った。

「ありがとう、啓一君。私にも、啓一君しかいない」

 そう言うと、彼女は、ぼくの胸に体を預けてきた。ぼくは、彼女の柔らかい体を強く抱きしめた。

「私、ずっと、一人ぼっちだった。きっと、一人ぼっちのままで、ずっと生きていかなければならないんだろうって、思ってた。私みたいな子は、この世界のどこにも、自分の居場所を見つけられないんだろうって、思ってきた。啓一君に出会うまで、ずっと、ずっと、そう思ってた。それも、仕方ないんだって。それが、私の運命なんだって、諦めてた。でも、啓一君は、こんな私でもいいって、言ってくれた。こんな私のことを、好きだって、言ってくれた。私、嬉しかった。だから、啓一君と離れたくなんかない。私には、啓一君しかいない。啓一君だけなの、こんな私を受け止めてくれるのは。私、啓一君が好き。ずっと、ずっと、そばにいたい。啓一君と同じ時間を過ごして、一緒に笑っていたい。もしも、啓一君が、苦しみを抱えていたら、私も、その苦しみを分かち合いたい。どんなに苦しくたって、離れ離れになるのだけは、イヤ」

 彼女は、強くぼくにしがみつきながら言った。彼女の頬に、涙の雫がこぼれていた。彼女の口から、小さな声が漏れた。

「離れ離れになるのだけは、絶対にイヤ」

 ぼくは、彼女の小さな体を抱きしめて、その温もりを優しく包んだ。

 この折れてしまいそうなか細い体で、一体、どれだけの悲しみを彼女は耐え忍んできたんだろう。心の奥底から、彼女への愛おしさが、込み上げてきた。ぼくが、この手で抱きしめることのできる、たった一つの確かなものが、今、ここにあった。守るべきすべてが、今、この瞬間、ぼくの腕の中にあった。

 今こそ、ぼくらは、試されていた。ぼくたちの絆が。

「ねえ、その予知って、絶対なものなの? つまり、今まで、予知が外れたことってないの?」

 ぼくは、彼女に訊ねた。

 ぼくたちは、これから戦わなくちゃ、いけないんだ。ぼくたちの運命と。そのためには、ぼくたちは、これから戦う相手のことを知らなければならない。だから、ぼくは、彼女に確かめておこうと思った。

 彼女は、ぼくの目を見返して、言った。

「わからない。予知っていっても、私の意思に関係なく、突然、見えるものだから。でも、今までの予知は、一度も外れたことはなかった」

「じゃあ、その予知って、どのくらい前に分かるものなの。一年、一か月、それとも、一週間前とか。それによって、それが、いつ起きるか、大体の時期が、つかめるんじゃないかな」

「今までは、だいたい一か月以内だった。でも、時期が迫ると、より鮮明に見えるようになったりすることもあったし、そうじゃない時もあった。だから、時期についても、ハッキリしたことは、わからない。でも、今までの経験からすると、一年とか、そんなに先のことではないと思う」

 ずいぶんとネガティブな情報だった。

 そもそも、未来っていうのは、どんなものなんだろう。あらかじめ決まっていて、絶対不変のものなのか、それとも、ぼくらの行動次第では、変えることができる、つまり、未来は、固定的なものではなく、流動的なものなのだろうか。いずれにせよ、それを確かめる術が、ぼくらにないのは、事実だった。

 ぼくは、アプローチを変えて、考えてみることにした。

「じゃあ、別の角度から、考えてみようか。ぼくと志織の中を引き離すものって、何だと思う?」

 ぼくの言葉を聞くと、彼女は、考え込んだ。

「たとえば、家庭の事情っていうのはどうだろう。ちなみに、ぼくの家は、完全に放任主義だから、人に迷惑かけなければ、何でもありっていう感じ。だから、親からどうこうっていうのは、ぼくの家では、ないと思う。志織の方は、どう?」

「私の方も、似たようなもの。叔父さん夫婦は、放任っていうより、私の将来のこととか、あまり、関心がないと思う。表面的には、心配してくれてるように、振る舞ってるけど」

 そうだった。彼女は、叔父さん夫婦の心が、読めるんだった。だから、彼らが、何かの事情で、ぼくらの仲を割こうとしたら、彼女には、たちどころに分かってしまう。

 ということは、彼女の家にも、問題はないと考えていいだろう。とすると、残る可能性は学校ということになる。

「そうすると、一番可能性が高いのは、クラスの連中かな」

「どうだろう。啓一君って、意外と気づいていないよね」

「何が?」

「クラスのみんなの様子、見ててわからない。結構、みんな、啓一君のこと、怖がってるよ」

「エッ。何で?」

 ぼくの驚いた顔を見て、彼女は、思わず噴き出していた。

「だって、上田君たちのグループと、派手にやりあってたし、クラス全員の前で、私のこと好きだって言ったり。みんな、啓一君のこと、怒らせると、ヤバイって思ってるよ」

 ぼくは、他人が自分のことをどう思っているかなんて、今まで、あまり気にしてこなかったから、全然、気づいていなかった。

 でも、人の心を読める彼女が言うのなら、間違いないだろう。それに、ウチのクラスで、今のところ有力グループといえば、上田たちだけだ。でも、彼らの様子を見る限りでは、何かを仕掛けてくる度胸があるとは、到底、思えない。では、一体、何が、ぼくと彼女の仲を引き裂けるというんだろう。

 ぼくたちは、二人でそうやって、いろんな可能性を検討してみた。でも、二人で知恵を絞ってみても、ぼくらの仲を引き裂く事情というのが何なのか、ハッキリしなかった。ただ、お互いの家庭の事情から考えると、可能性が一番高いのは、学校だというのが、ぼくらの共通した見解だった。

 それで、ぼくらは、学校が始まったら、それとなくクラスの様子を観察することにした。もしも、不穏な動きがあれば、すぐさま対応することで、危機を未然に防ごうという話になった。

 でも、本当に問題だったのは、彼女の予知の信頼性だ。もしも、それが、既に決まっていることならば、ぼくらが、どんな対策を立てようとも、実現してしまうだろう。今まではずれたことがない、という彼女の証言を考えれば、その可能性は、依然として高かった。

 それでも、ぼくらの話し合いは、ひとつだけ、大きな成果を上げた。人間というものは、わけがわからないものに対して、最大限の不安を感じるものだ。でも、二人でいろんな可能性を具体的に検討したことによって、彼女の気持ちは、ずいぶんと楽になったようだ。

 ぼくは、その日、久しぶりに、彼女の笑顔を見た。こうした気分というものは、連鎖するもので、彼女の笑顔は、ぼくの気持ちも軽くしていた。

 その時、ぼくは、こう考えていた。ぼくにとって、彼女以上に大切なものなど、存在しない。だから、ぼくと彼女の仲を引き裂こうとするものがあれば、ぼくは、全力をあげて戦う。どんなことをしても、ぼくは、彼女を守り抜いてみせる。ぼくは、そんな決意を固めていた。

 太陽が、西の山際を朱に染める頃、ぼくたちは、家路へと向かっていた。公園を抜け、駅に着くと、彼女は、いつものように、電車に乗ったぼくを、ホームから見送った。久しぶりに見る彼女の笑顔が、ぼくに運命と戦う勇気を与えていた。

 でも、その時ぼくらは、何も、わかっていなかった。これから、ぼくらに訪れる忌まわしき運命も、そして、その運命が、ぼくらから、何を奪い去っていくのかも。その時はまだ、ぼくらは、無邪気に信じていたんだ。二人が結ばれる未来が、まだ、どこかに残されていると。

 人は、誰しもが、一度は思うものだ。もしも、人生が、やりなおせたら、と。そんなチャンスが、ぼくの扉をノックしたとしたら、ぼくは、迷うことなく、あの無邪気だった頃へと時計の針を巻き戻すだろう。そうすれば、ぼくは、少なくとも、たった一つの思いだけは、叶えることができただろう。彼女を守り抜くという思いを。

 たとえ、それが、ぼくの命で、購われる未来だったとしても。

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