ノウード・タウン【9】
「うわわ……何、あれ?」
私達が向かおうとしていた方向から、黒い蠢く何かが迫ってくるのが見えた。
「まあ、タダじゃ通してくれないわな」
流石の私の使い魔たる黒ジャガーもひとつ溜め息をついてから、それに向かって低く唸り声を上げ始める。
その黒く蠕動する何かに目を凝らすと、耳と尾のないハイエナのような風体で、無数のコチニールレッドの双眸を有した獣が群れてジワジワとこちらに近づいて来ていた。
いつの間に───
いくらぼんやりな私でも、今となってはその邪悪な魔力に全く気がつかない訳がない。
何処から……?
頭を巡らすと、今度は後方からバタリと何かが落下する音が聞こえた。
途端に背筋が凍りつくほどの悪寒が走る。
はっとしてそちらに振り返ると、私達がいた場所に一冊の本がページを開いた状態で落ちていて、そこから黒い靄が涌き上がって来るのが見えた。
まさか───
そう思ったのも束の間、生臭い獣臭が漂い始め、その黒い靄がコチニールレッドの光る瞳を持った獣の形をとるのにそう時間は要らなかった。
よく見ると口が耳元まで大きく裂け、そこから覗く長さのでたらめな黄色い乱杭歯からは間断なく涎が流れており、その容貌はまるで毛深いローティーンの少年のようだった。
「や、弥七……!」
「しっかり掴まっとけ!」
私の黒い従魔はそう叫ぶと、更に体に響くほどの大きな咆哮を上げ、勢いよく本棚の上から飛び出した。
あわわわ……!
その予想外の急激さに掴まり損なって背中から振り落とされそうになりながら、それでも咄嗟に一言叫ぶのは忘れなかった。
「光の力を以て仲間の保護を開始せよ!」
その私の詠唱に左手の甲の魔鉱石が反応し、乳白色の淡い光が私達を包む。
すると周りを囲もうとしていたハイエナに似た謎の獣たちが、その光に俄に怯んだ。
その間にも弥七は私の示した方角へ、本棚の天板を伝いながら俊敏に駆けて行く。
しかしその場所まで実はかなり遠いんだな、これが。
それまで私自体もそうだが、私の黒い大型ネコ科の使い魔の体力が保つかどうか心配だった。
そこで、もひとつおまけに私は左手を弥七の背中に翳す。
「目的地まで導き給え!」
そう唱えると、蛍光カラーの赤い印章が手の甲の魔鉱石から浮かび上がり、黒い毛皮に吸い込まれるように消えていった。
するとびくりと弥七の体が震えたかと思うと、何を思ったのかまた大きく荒々しく咆吼した。
「ごめん、驚かせた?」
どちらかと言うと私が一番驚心して思わずそう声をかけると、私の使い魔の黒ジャガーは珍しく低く良い声を弾ませながら口を開いた。
「いや、メグの魔法のお陰で体中に魔力が漲ってきて、叫ばずにはいられなくなってね───ありがとう、助かるよ」
「それだったら良かったんだけど……」
そういう魔法じゃないはずなんだけどなぁ、と私は苦笑しながら、数々の自分の魔法の失敗を思い返さずにはいられない。
そうだ、まだカイル氏にかけちゃった中途半端な魔法、まだちゃんと治してあげられてないんだ───いや、こんな時にうじうじ思い返すより、これを成功させて早く戻ってとにかく彼に謝ろう。
そう覚悟を決めると不意に視野が広くなった気がし、周囲が冷静にはっきりと見られるようになってきていた。
そこら中に落ちて散乱する無数の書物の開いたページから、新たな黒いハイエナに似た獣が無限に涌き上がってくる。
弥七は群れをなして追いかけ、飛びかかって来ようとするその謎の黒い獣を往なし、時には蹴り飛ばしながら、上手に本棚の天板を伝い、跳び、進んでゆく。
大分その黒ジャガーの背に慣れてきた私は、カーディナルマントの懐から柄頭にプレシャスオパールの魔鉱石がついたシダー製の魔杖を取り出し、詠唱しながら襲いかかってくる謎の獣たちを薙ぎ払う。
「ストップ! 回避! 浄化!」
少しづつだがその獣たちが私が放つ魔法を受け霧散してゆく。
弥七も器用に獣を蹴散らせながら、私が誘導する先を必死に目指す。
それを何度も繰り返す。
何度も。
何度も。
何度も───
いやこれは、ヤヴァい………持久戦すぎる!
永遠と続く本棚から次々と落ちて開くページの中より、続々と新しい謎の黒い獣が涌いて出てくる。
どんなに黒ジャガーが蹴散らそうとも、群れが何度も膨れ上がっては私達に襲いかかった。
その度目に見えて弥七が疲弊していっているのが判る。
そして私も、大きな従魔の背中で楽してる割には何気に魔杖を振る動作で体力を削り、更に魔力までも思った以上に使い過ぎていた。
何よりいくら遠い場所にあるとは言え、辿っているか細い精霊の気配のある目的地に全然近づいている気がしない。
これはもしや、縫いつけられてる────?
加筆修正しました
何とぞよしなに




