第38話 それは誰のせいなのか
「「……」」
いつもなら葵が空に話し掛け、それなりに会話が弾む晩飯。
しかし彼女が一切口を開かないので、食器の音だけがリビングに響いていた。
曰く「食事中にしたい話題じゃないです」との事で帰ってすぐに問い詰められはしなかったが、空気が重過ぎる。
なので箸を動かす事だけに集中するしかなく、あっという間に食事が終わった。
「それで、どっちの家で話そうか」
片付けを終えて話を切り出せば、葵がぽすりとソファに座って隣を叩く。
「ここでいいです。何もないので、じっくり話が出来ますし」
「分かった」
今更誤魔化せるとは思っておらず、素直に頷いてソファに座った。
空の家のようにソファの端に座ったのだが、すぐに距離が詰められる。
あと少しで肩すら触れられそうな近さに、こんな状況でも心臓が跳ねてしまった。
「そ、それで、何があったか、だよな」
動揺を押し殺して言葉を紡げば、葵が小さく首肯する。
「はい」
「因みに、何で何かあったって分かったんだ?」
「……せんぱいが売店で運動着を買ってるのを見たクラスメイトが居ました」
「成程な」
売店に向かった際は時間が無くて焦っていたので、見られていても気にする余裕が無かった。
一応、葵や朝陽が居ないかは確認していたものの、彼女達のクラスメイトに見られていたとは。
放課後は晶の付き添いで空も二人の教室に行っていたので、二人のクラスメイトに顔を覚えられてしまっている。
なので、ここで「人違いじゃないか?」とは言えない。
覚悟を決めて口を開く。
「そうだな。運動着を買ってたよ。理由はまあ、朝比奈が考えてる事であってると思う」
「他に、何かされてませんか?」
「上履きの中に偶に画鋲が入ってるな」
「そう、ですか……」
葵が平坦な声色で言葉を零し、顔を俯けた。
普段の明るさなど見る影もない姿に、何とか元気づけなければという気持ちが沸き上がる。
「毎回靴はチェックするようにしてるし、運動着を隠した犯人の目星はついてるから大丈夫だ。朝比奈は心配しなくていい」
「……」
励ますような言葉を述べても、葵は何も反応しない。
金色の髪に隠されて表情が見えないのがもどかしい。
「何とか対策して、それで嫌がらせに意味が無いって分かったら無くなるだろ」
ワザと明るい声を出して肩を竦めれば、葵の肩が震えた。
彼女がゆっくりと顔を上げ、空と視線を合わせる。
いつもなら透き通っている蒼の瞳は、今にも涙が零れそうな程に潤んでいた。
「…………私、何でもします。何かして欲しい事はありませんか?」
「は?」
唐突に発せられた言葉の意味が分からず、呆けたような声が出てしまった。
空が固まっている間に、葵が顔を近付けてくる。
必死に泣くのを堪えている表情は、見るだけで胸が痛んだ。
「遠慮しないでください。……その、学校で関わるなって言われても、そうしますから」
「待て待て待て。何がどうなってその考えに行きついたんだよ」
全く葵の考えが分からず、途方に暮れてしまう。
取り敢えず彼女との距離が近過ぎるので、僅かに体を逸らしながら問い掛けた。
すると彼女は唇を引き結んで溢れ出る感情を堪え、それからゆっくりと口を開く。
「だって、せんぱいが嫌がらせに遭ったのって、私のせいじゃないですか」
「……まあ、そうかも、しれないな」
空が男子達に目を付けられたのは、葵から特別扱いされているからだ。
紛れもない真実ではあるが、今の彼女に対してストレートに告げるのは無理だった。
視線を逸らしながら答えれば、葵が目を伏せる。
「……」
「でも、こうなるかもしれないって前から話してたじゃないか。そんなに気にする事じゃない」
葵にはクラスメイトの陰口を聞かれていたし、そもそも何かあったら相談しろと言われていたのだ。
相談に関しては空が渋っていたものの、嫌がらせをされないと二人共が楽観視していた訳ではない。
なのに、葵は落ち込んでいる。
可能性があったものが現実になっただけだと笑い飛ばすが、彼女は首を横に振った。
「気にします。……正直なところ、私の覚悟は甘かったんです」
「甘かった?」
「はい。せんぱいに何かあっても絶対に味方する。だから大丈夫だって、それだけしか考えてなくて」
はあ、と葵が大きく溜息をつく。
感情を必死に落ち着かせなければ、今にも爆発してしまうのだろう。
「でも実際にせんぱいが酷い目に遭って、私が覚悟していた以上に辛かったんです。こんな事なら、せんぱいと学校で一緒に行動しなきゃ良かったと思うくらいに」
今までの自らの行動を悔いてしまう程に、空が嫌がらせを受けた事がショックだったらしい。
こんなにも他人を思って落ち込める人を、そのままにしてはいけない。
胸に沸き上がる激情が空を動かす。
「そんな事言うな。朝比奈は間違った事なんてしてないんだから」
「しました。せんぱいを傷付けてます」
「俺が朝比奈にか? 馬鹿言うな」
凄まじい勘違いをしているようなので、理解させる為に葵の頭へ手を伸ばした。
拳を握り込み、振り下ろす。
全く勢いの付いていない空の拳骨が葵を叩いた。
空の行動が予測出来なかったのか、葵がきょとんとした顔になる。
「嫌がらせをしたのは他の奴であって、朝比奈じゃない。俺達が仲良くしてるのを、誰かに咎められる謂れはないんだ」
嫌がらせをされる原因は葵だ。けれど、それで葵が悔やむ必要などない。
言い聞かせるように告げて、今度は彼女の頭に掌を乗せる。
普段なら絶対にしないが、落ち込んでいる人を励ます為には仕方がないだろう。
葵の顔に嫌悪が浮かんでいないのを確認して、ゆっくりと撫でる。
「それにな、俺は朝比奈と学校で一緒に居られて嬉しいんだ。ありがとな」
空の平穏な高校生活は失われてしまった。
そうして訪れたのは、朝比奈がすぐ傍で明るい笑みを浮かべ、晶と以前よりも気安い会話をし、朝陽の見た目に反した大胆さに驚く毎日。
勿論嫌がらせは面倒だが、今の四人での高校生活も案外悪くないと思っているのだ。
普段なら絶対に口に出来ない感謝を伝えれば、葵が思い切り顔を俯けた。
「……そういうの、ずるい、です」
「狡いも何も、本心だからなぁ」
「っ……。だから、そういうの、が……」
葵の声が小さくなり、肩が震えだす。
泣くのであれば見て見ぬフリをしようと思ったのだが、彼女は一度深呼吸をしてから顔を上げた。
その勢いで空の手が葵の頭から離れてしまい、彼女が一瞬だけ名残惜しそうな顔をしたものの、すぐに普段に近い明るい笑みを浮かべる。
「……よし! 元気出ました! ありがとうございます!」
「いいのか?」
「はい! 泣くのも謝るのも、私が楽になる為だけの行為ですから! それよりか、これからどうすべきか話し合った方が良いです!」
実際に被害に遭ったのは空なのだから、ここで一人だけ泣きはしない。
何かあったら話せと言ったのだから、謝罪するよりもやる事がある。
前向きな葵の姿に、空の顔にも笑みが浮かぶ。
「だな。でも、それは明日晶と和泉が泊まりに来た時にしよう。そっちの方が良い案が出るだろうし」
晶は葵や朝陽に伝えるべきだと言っていたし、こうなった以上は朝陽に黙っておく理由もない。
四人で案を出し合えば、きっと良い対策が出るだろう。
「はい!」
太陽のような明るい笑みに、今までの暗い空気が消え去ったのだった。




