曲の合間に漏れ聞こえる歌を何と無く聴いちゃう22
「お帰りなさい、リオ」
「ルルさん、お話があります」
部屋に戻るなり鬼気迫った顔でそう言う私に、ルルさんはいつも通り微笑みながら「まだ髪が湿っていますよ」と言った。
そんなことはどうでもいい。
「ルルさん、ちょっとここ座って」
「はい」
テーブルのところから椅子を引き出して指すと、ルルさんは頷いてそこに座った。私が座らずにその前に立ったのを気にしている感じはしたけれど、体勢的イニシアチブを取るために立つので気にしないでほしい。
良い顔を見下ろしながら、私は尋問を開始する。
「ルルさん」
「はい」
「この世界ではお酒を飲むことがつまり結婚と同意義というのは本当ですか」
「ええ、そうですね。意味合いが少し違いますが概ね同じです」
「最初に会ったとき、あなたは私にお酒を飲もうと誘った気がします。それは私の気のせいですか」
「いえ、私は確かにリオに酒を交わす誘いをしましたし、リオはそれに頷きました」
「私はそれがそういう意味だとは知りませんでした!!」
問い詰めたいことが多過ぎて喋り方が英語の訳みたいになってしまっているが気にしてはいけない。ニャニがルルさんの背後でおすわりアピールしているのも気にしてはいけない。
「私の世界ではお酒を飲むのは別に普通に飲むってだけであって、あとはこう……同僚との交流のためとか、お疲れ様とかそういう意味であって、別にそういう意味があるとかは全然ないから!」
「ええ、そのようですね」
「エッ知ってたの? 私が飲みに行く意味を知らなかったの」
「最初は本気にされず軽くいなされただけかと思ったのですが、何度か確認してもリオは頷きますし……その割には態度も変わらないので、そうなのではないかと」
何しれっと頷いてるんだこの人。ルルさん冷静すぎやしないか。
「言ってよ! そうだと知ってたら断ってたよ!」
「そうだろうなと思いましたので」
「思いましたのでじゃねーでしょ! ルルさんは顔がいいから数多の女をタラシ放題だったのかもしれないけど、普通はそういうこと軽々しく言っちゃいけないんだよ」
「軽々しくとは?」
ルルさんが椅子から立ち上がってしまい、視線の高さが逆転する。それにたじろいで一歩下がってしまった。ルルさんは背が高いので、近付かれると圧迫感があるのだ。
「だから、そういう、会ってすぐの相手に適当なことを言うとか、誠実じゃないよ」
「なぜそう決めつけるのですか? お言葉ですが、私はあなたに出会ってから一度たりとも不誠実であったことはありません」
「で、でも、会ってすぐそういうこと言ってたじゃん!」
「だから不誠実なのですか? 私はリオを一目見たときに、あなたと生を分かち合いたいと思いました。それが不誠実なことですか?」
「そ、そういうことではなくて、いやそういうこと? そんな、一目見てそう思うとか、勘違いかもしれないでしょ」
ルルさんはいつもの微笑みを引っ込めて、私をじっと見下ろしている。
なんで私が問い詰められる立場になっているんだろう。意味がわからない。ただひとつ言えることは、なぜか私の分が悪くなっているということだけだ。
「あのさ、ほら……私は救世主だし、あんな真っ暗なところで迷子になってたから、だからこうなんか、助けなきゃと思ったんじゃないの? ほら、世界も滅びかけてたわけだし……危機的状況では恋心と錯覚しやすいとかなんとか」
「つまり、リオは私が責任感や危機感と恋心を勘違いしていると?」
「恋心って、そんないきなり……いやうん、まあそんな感じ」
真顔で恋心とか言っちゃったよ。どういうことなのか。誰か助けてほしい。そう思ってもニャニしかいない。ニャニでも良いからこの状況をどうにかしてほしい。
必死にニャニとアイコンタクトを試みていると、ルルさんに両肩を掴まれた。青い目が突き刺しそうな勢いで私を見ている。目が合って、すぐ逸らしてしまった。
ルルさん怒ってる。
「申し訳ありませんが、そのような感情の混乱が起こるほど不安定でも若いわけでもありません。あなたをお守りする理由にあなたが救世主であるという理由がないわけではありませんが、それだけだと思われるのは心外です」
「で、でも」
「リオ、私はすぐにあなたに私と同じ気持ちになれとは言いません。それを強いるつもりもありません。あなたが酒を交わすことを断ると言うのであれば、今はそれを受け入れます。だけど、あなたが私の気持ちを否定するのは許せません」
「否定……してるわけでは」
「いいえ、しています」
ガミガミ怒られるんじゃなく、静かに言われる方がずっと怖い。怒鳴られるだけなら慣れているのに、ルルさんは私にしっかり話を理解させようとするのだ。
「ただ御身を守るだけであれば、わざわざ神殿騎士を辞す必要はありません。料理を取り分けることも、祈りで使った喉の治療も巫女に任せた方が早い」
「えっ、喉のアレもそうなの?!」
「そうです。何も思っていない男が、あなたの寝台に近付くと思いますか?」
「いや……でも……それは」
「救世主だから、ですか?」
言葉尻を取られて、私は頷くしかできなかった。
「リオはいつもその言葉を使いますね。無意識にでしょうが、あなたは救世主だから優遇されていると思い込んでいる。私があなたを想っているという可能性さえも、少しも頭になかったでしょう」
学校で先生に怒られているときのように、俯いて黙る。
優しくされたのは救世主だからだと思っている。それはそうかもしれないけれど、でもそれは事実でもあると思う。私はこの世界では救世主で、だから大事にされていて、価値があるのだ。
ここに来る前の私は、普通の人間で、毎日がブラックで、救世主でもなんでもなかった。
「リオ、そんな顔をしないでください。あなたを怒っているわけでも、追い詰めようと思っているわけでもありませんから」
ルルさんが親指の腹で私の頬を撫でた。恐る恐る見上げると、ルルさんの目が和らいでいる。
「あなたは生まれた世界で大変な暮らしをしていた。ここへ来てからも、気を張ることが多かったでしょう。今、あなたに考える余裕がないのであれば、私の気持ちに応えなくてもいい。ただ、私がリオのそばで生きたいと思っていることを、どうか知っていてくれませんか」
肯定も否定もしなくていい。ただ知っておいてほしい。
そう言われたら、いつもの優しい声で、いつもとちょっと違う縋るような目で言われたら、イヤですって言える人なんかいるのだろうか。
黙ったまま頷くと、ルルさんは目を細めた。
「酒のことについては、黙ったままですみませんでした。もしリオが望むのであれば、詳しいことをお話しします」
「……」
「リオ? お座りになりませんか?」
ルルさんが普段と同じ態度に戻って、そっと私の背中を押す。ぐっと踏ん張ると、ルルさんがまた顔を覗いてきた。
「……う、歌ってくる!!」
「はい?」
瞬いたルルさんを置いて、私はズカズカとドアを目指した。




