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霙小路の駅前で歌うようになって、俺には大切な恋人ができた。彼女の名前は守木圓。同い年の女の子だった。
最初、彼女は俺の歌を聴くために駅前にやってくるうちの一人に過ぎなかった。自分で言うのもなんだが、俺は霙小路でもそれなりに有名なストリートミュージシャンになっていた。自分で作った曲しか歌わないのは俺だけだったし、そのオリジナル曲は意外なほどに聴衆受けした。ファンと呼ぶに差し支えない人達が増え始め、過去の人嫌いが嘘だったように、俺は見知らぬ人達との交流に抵抗を感じなくなっていた。同じように音楽をやっている人間とは意見の交換もしたし、同世代の女の子には少しあざといサービスなんかもやっていた。CDデビューも果たしていない素人の写真を有り難がる人間なんてどこにいる? だけど、彼女たちは喜んでもらってくれた。デモテープだって新しいものを作るたびに二十本は売れた。圓はそんな取り巻きの中の一人に過ぎなかった。
そんな圓と最初に会話をしたのは、俺が彼女の存在に気がついてから一ヶ月ほど経った頃だった。その日は平日で、俺が学校をサボって路上に出てきたというのに、彼女は当たり前のようにそこにいた。他の取り巻きは一人もいなかった。
学校はどうしたのかと聞くと、彼女は学校には行っていないと答えた。
「色々あってね」
彼女は心に傷を抱えていた。おとなしい性格が災いして、中学時代からイジメを受けていたのだ。中学二年から不登校となり、義務教育からは追い出されるように卒業したものの、高校へ進学できるわけでもなく、まして働きに出るわけにもいかず、ブラブラとあてもなく通りがかった霙小路で、偶然に俺の歌と出会った。そして、その時に俺が歌った曲に彼女は救われたのだという。
「乾くんのおかげでね、私、少しだけど強くなれたの」
ありがとう。そう圓は言った。面と向かう彼女は、気の弱さを感じさせない強い目をしていた。その目がとても魅力的だった。
その日を境に、俺と圓の距離は急速に縮まっていった。他の取り巻きには目もくれず、彼女のために歌うようになった。その空気を肌で感じたのだろう。次第に取り巻きの数は一人、二人と少なくなっていった。
もしかすると俺は、周りの女の子に川合美沙の面影を求めていたのかもしれない。圓と川合は全く似ていなかったけれど、ふとした瞬間に見せる目が同じだった。
だから俺は圓のことを好きになったのだ。
十六歳の誕生日。俺は圓をデートに誘った。
「そんなことしたら本当にファンがいなくなっちゃうよ」
見るからに減っていった取り巻きのことを慮り、圓は頑なに俺の誘いを断ろうとした。
「いいよ、別に」
ただ、圓がいてくれればいい。そのことを、まだ取り巻きとして残っている連中に思い知らせる為にも、俺が世界宗教の聖人と同じ誕生日というのは都合がよかった。その日は恋人たちにとって特別な日だったから。渋々ながらも彼女は俺の誘いに応じてくれた。
デートの当日、一張羅のおべべに気合を入れて袖を通した俺に対して、圓は普段と変わらない格好で現れた。って、おいおい。まあ、いいんだけどさ。
デートと言っても金のない二人だ。日が暮れるまでは色気もなく霙小路をぶらついて、それではいかんから夜景でも見ようと思い、俺は秘密の場所に圓を誘った。山の中の寂れた公園。川合美沙との思い出の場所。いい思い出と悪い思い出が全て詰まった場所に。
その日に見た夜景は、今までのどんなものよりも綺麗だった。二人でその景色に見惚れていた。聖なる夜の幻想的な街の姿を背景に、俺と圓は無言で見つめ合った。心地よい静寂の中で知らずと体は寄り添い、それから程なく、俺と圓の唇が触れ合った。
レモンでもイチゴでもなく、ただ圓の味がした。
年が明けて二週間が過ぎた日曜日、俺はいつものように霙小路の路上に立っていた。勿論、俺の横には圓がいる。そのことに嫌気のさした取り巻き女たちはさっぱりと姿を消したけれど、純粋に俺の曲が好きな人たちはしっかりと残ってくれた。その方がいい。無駄なサービスに頭を悩ませる必要のなくなった分だけ音楽に集中できる。
大切なものにだけ囲まれて、大切なことにだけ取り組むことができる。
幸せだった。
半年前には想像もできなかった未来の只中に俺は存在した。
ギターを弾き始めてよかった。人前で唄うと決めてよかった。この場所を選んでよかった。いい人たちに出会えて、何よりも圓に出会うことができてよかった。
「次は何がいい? 圓のリクエストに答えるよ」
のろけとでも思ったのか、聴衆から溜息まじりに笑い声が漏れる。ほっとけ。たまには恋人の為だけに歌いたくもなるのだ。
「んとね、だったら『アヅミ』がいいな。乾くんと初めて出会えた時に聴いた歌だから」
聴衆の冷やかしが更に増す。でも、気にしない。
「じゃあ、彼女のリクエストにお応えして歌います。聴いてください。『アヅミ』です」
風流なんて所詮、誰かの為の褒め言葉なのさ
他にする事が何もなくても
歌って過ごせる今は悪くなんてないのかも
僕は指先で文字が書けるのです
君が爪先で明日を生きるように
いつかこの街にも雨が降るのでしょう?
雨が降ったら君に会えるでしょう
涙が涸れるまで待つ夜は
月の光で体を冷やさぬように
太陽から逃げて眠ってはいけない
例えば、
煙たい世間に悩まされても
五体のどこかが痛くて泣いても
いつかこの街にも雨が降るのでしょう?
雨が降ったら君に会えるでしょう
この街には雨が似合うんだ
そうやって僕も君の隣に寄り添えるんだ
いつかこの街にも雨が降るのでしょう?
雨が降ったら君に会えるでしょう
風流なんて所詮、誰かの為の褒め言葉なのさ
他にする事が何もなくても
歌って過ごせる今は悪くなんてないのかも
いつかこの街にも雨が降るのでしょう?
雨が降ったら君に会えるでしょう
歌い終えた俺は圓に視線を送る。彼女は嬉しそうに拍手をしていた。
しかし、その肩越しに俺は信じられないものを見てしまった。
川合美沙だった。
聴衆でできた人垣の少し向こう側。行き交う通行人に隠れるように、あいつが立っていた。服装も化粧の加減も、最後に会った時よりも大人びてはいるが、俺があいつを見間違えるはずがない。それは紛れもなく川合美沙だった。川合は人垣の向こうから俺を見ていた。拍手をしているわけでもなく、近寄ってくる素振りを見せることもなく、ただ俺のことをじっと見ていた。
生きてたんだ。
たったそれだけのことなのに、俺の心には喜びが満ち溢れた。
それは時間にすれば十秒足らずの出来事だったに違いない。かつての親友との再会。そこには俺たち二人以外の何も存在しなかった。街の景色も、周りを囲む群衆も、隣に立っている圓も。俺の視界からは全てが消え去っていた。
二人きりになった空間の中で、俺と川合は無言で会話をしていた。
まるであの頃のように。
臆面もなく親友だと言い合えたあの頃のように。
具体的にどんな会話をしたのかは説明のしようがない。説明をしようにも、喩えどんな言葉を使ったところで、きっと他人には伝わらないだろうから。この瞬間に俺たちの交わしたものは、決して言葉ではなかったのだ。
ただ一つ言えるとすれば、俺たちはあの日に言えなかった言葉を確認しあっていたということ。あんな不本意な訣別で終わりにしたくなかったから。
その証拠に、あいつは去り際にわざと大袈裟に唇を動かした。それ以外の言葉には決してならないように。だから俺も真似をしてみせた。あの夜には言えなかった言葉も、今なら素直に言えるようになったから。
「さようなら」




