恋煩いと歌『7』
食卓に散歩してくると書置きして、自転車の鍵を引き出しからとり、自宅から近くをサイクリングする事にした。もう春だというに、外の空気は冷たくて今の私にとってとても心地いい。
夜道は、昼間の時と違った表情を見せているので好きな風景だ。公園近くの自販機で関珈琲を買って、木製のベンチに座って飲む。普段はあまり飲まない微糖を買ってしまったのは、考え事をしていたからだろうか。無意識にポケットのスマートフォンを確認しようとして、家に置いてきた事を思い出す。
存在を感じなくて、心が軽くなった気がした。
このまま、誰も知らない土地に行けたら…そんな空想は、予算的な問題で無理だとすぐに現実に引き戻される。
公園の時計を見上げれば、午後八時になっていた。もう少しすれば、親が帰宅する時刻だ。書置きしてあるとはいえ、帰宅しといた方がいいだろう。
仕事帰りの人でランニングをしている人の姿を見ながら、残り少なくなっていた珈琲を一気に飲み切った。
「美空、何しているの?」
声がした方に視線を向けると、夏美さんがコンビニのレジ袋をさげて立っていた。
「夏美さんこそ、どうしたのですか?こんな時間に」
「買い出し。あの人の冷蔵庫の中身が殺風景すぎて…」
「なるほど」
「納得できる?」
「想像はできます」
「ないわけではないけど、本当に必要な物しかなくてさ」
夏美さんは苦笑を浮かべながら、ベンチの隣に座る。
「正直、料理が面倒くさいとか言い出しそうですね」
「でしょ?もうその通りでさ」
そう言いながらも、幸せそうな雰囲気をまとっているのを見て、羨ましいなと感じた。
「それで、ルカから聞いたけど曲の事で聴きたい事があるっていうのは?」
「ごめんなさい、今、端末が家にあって。今度、来店する時に持っていきます」
「そっか」
「それとは別に夏美さんに訊きたい事があって、少し時間いいですか?」
「そこまで長くならないなら、いいよ」
「今、自分の進路について迷っていて」
「うん」
「歌うのも好きだけど、作るのも好きで。自分には、たぶん、一つにしぼらないとお金をもらえるレベルまで磨けないとなんとなく感じていて」
「……うん」
「どちらか一つを選ばないといけないと思っていても、一つを選べなくて。進路も自分に向くのかどういう仕事なのか迷っていて。どうしたらいいのでしょうか?」
「……うーん、難しいね」
そう答えて、夏美さんはしばらく考え込む。
「これは、私の個人的な意見だという事を念頭に聞いてほしいのね」
「はい」
「身も蓋もないけど、自分で決めるしかない。その現実は、残念だけどあるのね。それで、私が今言えるのは、どこかで何かは全部つながっているって事で、無駄な事は何一つないって事」
「……はい」
レジ袋の中から夏美さんは、ペットボトルを取り出して、一口飲む。言う言葉を考えているのか、軽くペットボトルを横にふる。
「作曲するにしても、歌はプロまでいかなくても歌えた方が、有利なのね。まったく歌えないよりも歌えた方が、自分の伝えたい表現をするのは、どうしたらいいのかを考えるのに考えやすいところがあって」
「なんとなく分かります」
「現実的な事を言うと、歌いたいのなら、効果的なボイトレを続けていく事が必要で、筋肉って鍛えないと衰えてしまう困った性質があるのね」
「はい」
「二つとも両立させることができる人がいるけど、それには時間が必要なのね。それで、ある程度の時間を勉強や将来仕事をした時の仕事の時間と、家事の時間とだと…休日にこなすしかなくて、バイトしている日なんて、趣味で没頭できる時間をつくったら、睡眠時間をけずるとかしかなくて、上手くバランスとらないと倒れるでしょ?」
「はい」
「んー…まだ、大学生だし、今すぐ答えを出そうとしなくていいから……絶対これだって思える方を選ぶ。選んだら、後悔だけは絶対にしないと決めて、向けられるだけの全力でとりくむって、今の私にはこんな事しか言えないけど…」
「いえ、気分が前向きになりました」
「何も解決できなくて、ごめんね」
「そんな事ないです。頭の中で散らかってしまっていたものが整理できました。親にも上手く伝えられそうな気がします」
「そ、ならよかった」
夏美さんは飲み終わったペットボトルをバックの中にしまうと、ベンチを立ち上がる。
「じゃ、私はそろそろ、このあたりで行くね」
「私も帰ります。今日はありがとうございました」
「どういたしまして」
夏美さんと別れて自転車で帰宅するいつもの道が、いつもよりも綺麗に見えた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
恋煩いと歌(美空視点のお話)は、あと一話で終わり、次はあの人の視点で話が進む予定です。




