第百三十話 大事件
投稿が遅れて誠に申し訳ありませんでした。
急ぐ必要もなく、安全な旅と言うのは歩いて疲れるという点を除けば非常に素晴らしいものだ。
ダンジョンからアンダルまでの道のりに比べると道がきちんと整備されていて歩きやすく、景色も木ばかりの森とは大きく異なる。まあ、魔物が多く、盗賊と思われる人族が居るが、オルギアやヴィら粘液生物の前ではただの飯となる。
盗賊など夜襲を仕掛けるも、こちらの姿を見て腰を抜かしていたからな。粘液生物に取り込まれて骨も残っていないが。
そしてついにムスタング近くまでやってくれば。
「ファース辺境伯の命により、護衛いたします」
騎士団が出迎えてくれた。オルギアが居るので護衛は不要なのだが、折角の好意だ。断る必要もない。
まあ、俺たちを守るために左右に分かれた騎士団の威圧が凄くて、何だか連行でもされているような気分になったが。
ムスタングまで行けばそこには執事のクラースが待っていた。
「お待ちしておりました。ここからは私、クラースが案内を務めさせていただきます。騎士団の方々、ご苦労様でした」
ようやく連行気分も終わり、歓迎を受けた。いや、騎士団が悪いとは言わないけど。
「ファース辺境伯がノブナガ様とお話ししたいと申しておりましたが、そちらは適当に待たせておいて。先に鍛冶師の所に案内いたします」
相変わらず愉快な執事だ。まさか本当に主を待たせているわけではあるまい。多分準備中とかそんな意味なのだろう。
ぞろぞろとクラースに案内されるがままにムスタングを歩くが、やはり遠くに出来る人だかり。今回は巨体で目立つオルギアや、粘液生物が多くいるので見に来たのだろう。手でも振ってやろうか。……いや、俺単体では地味だろうし、止めておこう。
案内された鍛冶場は個人が経営しているのかさほど大きくなく、質素な造りではあったが熱気は外に居ても感じる。
クラースが案内してくれるほどの所なのだ。不満があるわけではないが、問題はある。
オルギアには狭そうだ。無理をすれば入れるだろうが、長時間は厳しいと思える。
「ここやだー」
ヴィからも入りたくないと言われている。まあ熱い所は苦手そうだし、仕方ない。それに粘液生物はここに用はないので問題はない。
そして肝心のトドンは鍛冶場の作りを確認していた。
「ふん。中はどうなっとる」
「少々お待ちを。ここの者を呼びますので」
クラースが中に入り、連れてきたのはムスッと不機嫌そうな顔をした大柄で初老の鍛冶師。
鍛冶師は外にいる俺たちを見てぎょっとしつつも、一切退くことなく毅然とした態度を取る。
「クラースさん、何度も言いますが出来ません。色々と便宜を図ってもらって感謝しています。ですので、やったことのないことを出来るとは言えません。あんたらもわざわざ来てもらって悪いが」
「手を見せい」
しかしそんなことはどうでも良いとばかりに、トドンは鍛冶師の手を取り手のひらをじろじろと見る。
指先や手のひらの感触を確かめるように指で押し、満足したのか次は鍛冶場の方に目を向ける。
「設備を見るぞ」
許可も待たずに勝手に入って行くトドン。俺やクラースは止めようかと鍛冶師を見るが、鍛冶師はまるでそれが当然のように受け入れ、トドンの後に続いて鍛冶場に入って行った。
何だろう。鍛冶師同士何かが伝わったのだろうか。とりあえず、鍛冶師ではない俺たちではまるで理解できない。
「お前ら! 今日は帰れ!」
中から鍛冶師の声が響いて来て、若い男たちが数人不思議そうな顔をして出て来た。
「彼らは?」
「鍛冶師の弟子ですが、どうしたんでしょう?」
鍛冶師の弟子たちが去ってしばらく経ち、そろそろ中の様子でも覗こうかと思った時。
「道具の手入れが甘い!」
トドンの怒号と共に重い音が轟く。様子を見に行こうとした足が止まる。
中で一体何が起こっているのか、覗きたいという好奇心と見たくないという恐怖心が俺の中でせめぎ合っていると。
「ここなら作れるわい! オルギア、鉄腕とミスリルを持って入って来い!」
「作って下さるので? 見学しても?」
「お主が作るんじゃ! ワシは教えるだけじゃ! ほれ、やるぞ」
どうやらあの短い間に上下関係が決まったらしく、トドンは鍛冶師をバンバンと叩いている。なるほど、この光景を見られたくないから先に弟子を帰したのか。
どうすれば良いのか、とオルギアが俺に視線で尋ねてくる。ここでトドンの指示に逆らう理由もないので、頷いて返しておく。
「そうじゃ、ここにある鉄では備蓄が少ないんで悪いが集めてくれんか?」
「分かりました。少々お時間を頂きますが……」
「構わん。ミスリルの扱いを教えるのに時間が掛かるからの。それに鉄を使うのも最後じゃ。早く集めてもらっても使えん」
鍛冶師とトドンが鍛冶場に入って行き、遅れてオルギアもその後を追う。鍛冶師同士関係を築けたのは良いが、オルギアが色んな意味で窮屈そうだ。
「それではノブナガ様。屋敷の方へご案内を」
「ああ、頼む。オルギア、あっちにあるファース辺境伯の屋敷にいる。困ったら来い」
助け舟だけ出して俺とヴィら粘液生物はクラースに案内されるがまま、その場を後にする。
多分オルギアはすぐに来ることになるだろうな。
ファース辺境伯の屋敷に案内され、ファース辺境伯と会うのかと思えば。
「そういえば、そちらの粘液生物の方々は色々と溶かせると聞きましたが、何が溶かせるのでしょうか?」
「普通の生物の枠で考えない方が良いぞ。大半は溶かせる。土や血などは無理らしいが」
「おお、でしたら少し調理場まで宜しいでしょうか? その溶かす力を見せてもらえませんか?」
まだ用意が整っていないのか、他の所へ案内される。……本当に整っていないだけなのだろうか? 十分に時間は経ったと思うのだが。
とはいえ、こちらは色々とお願いに来た立場。下手なことを言って不興を買いたくないので黙っておく。
「こちらでございます」
案内されるがままに調理場に入れば、こちらの姿を見て一斉に手を止める料理人たち。出来るだけ距離を取ろうと少しずつ遠ざかる者をいる。
そんな料理人たちを無視して、近くのゴミ箱を持ってくる。中身は野菜の皮や食べない葉の部分などがぎっしりと入っている。
「これなども、粘液生物は溶かせるのでしょうか?」
「ああ、ヴィ」
「わーい」
乗り込め―、ばかりに粘液生物はゴミ箱に殺到し、ゴミの代わりに粘液生物がぎっしりと詰まった箱が出来上がった。
「おお、これは素晴らしい。これはゴミの処理が楽になりますね。すみませんが、どれほど溶かしたのか確認したいので出て頂けませんか?」
「ヴィ、出ろ」
「はーい」
今度は湧き水の如く、箱から出てくる粘液生物。空になったゴミ箱をクラースは細かく確認し、嬉しそうに頷いた。
「ほぼ全て溶かしておりますね。箱の方には痛みはないようですし、想定していた中でも最高の結果ですね」
そのゴミ箱を元の場所に戻すと、クラースは新たに三つのゴミ箱を用意した。
中身は魚の骨や皮、果実の芯など少し変わっていたがどれも粘液生物が消化できる者ばかり。
「こちらの方もお願いできますか?」
「分かった。しかし随分と多いのだな」
ヴィ達が三つのゴミ箱に突撃する様子を見ながら、先程の同じくぎっしりと詰まっていたゴミ箱を思い出す。
ファース辺境伯とその使用人たちだけであれだけの食材を消費するのだろうか。
「そうですね。ここの料理人は騎士団の分の食事も用意していますので。彼らは大食らいで、常に腹を空かしています。もし食事の時間が遅れれば突撃してくるかもしれませんね。手を止めている暇があるのは当家の料理人が優秀だからでしょうか?」
暗にこちらを見ている暇があるのか、と告げると料理人たちは思い出したかのように大慌てで動き出した。
そんな話をしている間に三つのゴミ箱は空になった。
「お見事。処理速度も変わらず早いようですね。それでは最後に隣の倉庫までご足労願えますか? 最後にあれの処理が出来るのか確認したいので」
空のゴミ箱を見て満足そうなクラースは最後と言って、調理場の隣にある倉庫へと移動した。ヴィら粘液生物もクラースをご飯をくれる人族と認識したのか、嬉々として付いて行く。
その隣の倉庫にあったのは。
「……魔物か」
オワの大森林では見たことのない様々な種類の魔物の死骸。おそらく帝国に生息する魔物たちなのだろう。
「はい。ファース辺境伯領に生息する、人族に害を与える魔物です。騎士団が定期的に狩りを行い、こうして持ち帰っております。ただ、食用としては適さず、使える部位もない魔物もいますので、こうして回収しても倉庫の肥やしに、いえ肥やしになってくれるなら嬉しいのですが。しかし回収しなければ他の魔物が食べてしまい、餌を増やすだけになってしまいます。こういった魔物も溶かせるのなら非常に助かるのですが」
どうでしょう? と腕を使いどうぞとばかりに促されれば、粘液生物の答えはただ一つ。
「わーい」
溶かせる、だ。人族から見て食用に適さないものでも、ヴィから、魔族から見れば十分食せるものだ。
……ああ、これを回収しているのは魔物だけでなく魔族を増やさないためか。こちらに配慮して魔物としか言わなかったのだろうが。
魔物は瞬く間に溶かされていき、粘液生物は倉庫の奥へ奥へと進んでいく。
「全部、大丈夫なのか?」
「一部は魔物を釣りだすための餌として残してありましたが、別に構いません。騎士団の方々に頑張って頂きましょう」
苦労した分だけ強くなる、と先代が申しておりましたから。とクラースは言うが、苦労するのは騎士団だし、勝手に決めていいのだろうか?
奥へと進んでいく粘液生物を眺めていると、途中から真っ赤な大粘液生物が何体か外へと出て行った。
……セキ? いや、セキはダンジョンにいるはず。それにあんなに量産されていない。
しかも外に出て行った大粘液生物は戻ってくる時には元の色なのか、緑や紫色になって戻ってくる。赤はどこに消えたのか?
「そこの大粘液生物。ちょっと来てくれ」
外へ行き、戻って来た大粘液生物に声をかける。
「何故外に出ていたんだ? というか赤かったよな?」
「んー? いらないのを吐いてきた」
いらないの? それを吐いた?
こちらが考えている間に先程の大粘液生物は行ってしまったので、他の外に出て行こうとする大粘液生物の後を追う。
外に出た大粘液生物は特別な行動を起こさず、ジッとしておると何故か色が薄まり元の色と思われる青になった。
そしてそのまま何事もなく戻ろうとする。
「あー、待て。先程まで赤かったが、何故だ? そしてどうやって色を取ったんだ?」
「血はねー、いらないから土の下に捨てた」
血? ああ、粘液生物は血を消化しない。つまり、あの魔物の肉や骨は溶かしたが、血は消化出来ないから体内に溜まり、下が石の倉庫では捨てられないので外に出て土の下に捨てたと。
ごはんー、と大粘液生物が倉庫に戻ったので、血を捨てたと思われる場所を足で少し削る、
すると血だろうか、すぐに色の変わった土が出て来た。……しかし何故地面の下に? その場に捨てることも出来ただろうに?
「ほうほう? 血は処理できずこのように捨てるわけですね。血の匂いは魔物や魔族を呼び寄せてしまいますからねえ。それの対処なのでしょう」
隣でクラースが興味深そうに俺が削った地面を眺めている。そうか、生ごみの類は簡単に消化できるが、今回のような魔物などでは血を捨てるところを作ってもらう必要があるのか。いや、それ以前に。
「すまないな。粘液生物にこんな習性があると知らなかった。血が捨てられた所を歩くのは嫌だろう」
「いえ、もっと悲惨な場所を歩いたことがありますのでまるで気になりません。しかし知らなかった習性ですか。オワの大森林なら下が地面ですから判明しにくいですね」
もっと悲惨な場所か。……俺もあるな。王国の騎士団を踏んだこととか。そう考えると確かに気にならないな。
一応削った場所を隠すように土を戻す。
「ノブナガ様、粘液生物は他に処理できないものなどはありますか?」
「どうだろうか? 消化できないものを探したことがないからな。他にもあるかもしれないが」
糞尿やゴミの処理が出来ていたので、消化出来ないものを探す理由がなかった。
「そうですか。まあ、大抵の物は処理できると考えておきましょう。それでは、粘液生物の皆様が処理し終えたら、ファース辺境伯の所をご案内いたしますが、その前に行きたいところなどはございますか? そちらを優先いたしますので」
薄々感じてはいたが、ファース辺境伯の所に案内したくないのだろうか。いや、最後は必ず顔を会わせる必要があるし、俺に対して敵意などを抱いているような気もしない。
ではファース辺境伯を長々と待たせるだけの嫌がらせ? いや、まさかな。
「おお、ノブナガ殿。ムスタングへようこそ。その様子では鍛冶師の所まで行ったようですね。執事のクラースが何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
クラースに案内されるがまま、以前と同じ応接室に行けばそこにはファース辺境伯が待っており、出迎えてくれる。そして一瞬だけだが、クラースを睨むような鋭い目をしていた。
「この度は鍛冶師の手配をしてくれて感謝する、ファース辺境伯。それと、クラースはそつなく案内をしてくれた。迷惑何てとんでもない。感謝している」
「……そうですな。他の者には迷惑をかけない、自慢の執事ですからな」
何だろう。含みのある言い方。しかし俺に対してではないような気がする。
ではヴィか? しかしあいつらはここにはいない。クラースが提案したゴミ処理の旅に出ている。人族的に言えば食い歩きのようなものだろうか。案内はクラースから指示を受けたメイドが行っているはず。
となるとやはり、クラース相手に言っているのだろうな。しかし、クラースの笑みを見ていると俺の考えが間違っている気がして来る。
促されるまま椅子に座り、ファース辺境伯と向かい合うが以前ほどの緊張はない。
あの時は貿易をしてもらうための交渉だったが、今はこちらの願いを叶えて貰ったばかりで交渉することなど何もない。余裕がある。
「それで、鍛冶師に何を依頼してきたので?」
「オルギアの義手を、配下の大悪鬼の義手を直せるかと思ってな」
「大悪鬼の義手? ……直せる? その大悪鬼、オルギアは以前から義手を付けていたと?」
「いや、勘違いさせてしまったな。オルギアは戦闘で片腕を失い、俺が人族の義手を持っていたので、その義手をオルギア用に直せないかと思って来たんだ。一応、トドンは出来るとは言っていたのでな」
ほう、とやや驚いた様子でのファース辺境伯。まあ確かに、人族用の義手を大悪鬼用に変えると聞けば驚くか。子供用の道具を大人用に変えるくらい、いやそれ以上に大きく必要があるからな。
「なるほど。しかし我が領内の鍛冶師では難しいかもしれない。義肢の扱いは専門ではないし、話を聞く限り直すと言うより改造だ。そこまでの技術は帝国でもいるかどうか。タダラ鉱国の者なら出来るかもしれないが」
「それなら安心して良い。トドンが鍛冶はしないが教えることは了承してくれている。本人が出来ると言っていたのだ。教えることも出来るだろう」
「……技術供与をしてくれると? ありがたいですな」
言葉に反して顔に出ているのは渋い表情。頭でも痛いかのように抑えている。
「こちらは向こうが要求してきた資材です。まあ、ほとんど鉄です。すでに集めるようには指示を出しております」
いつの間に用意していたのか、クラースがファース辺境伯に報告書を渡す。そうだった、トドンは鉄が足りないと言っていたな。
報告書を受け取り、目を通すファース辺境伯。時間が経つにつれ、ファース辺境伯の表情が険しくなる。
そんなに鉄を必要としているのだろうか。
「すまないな、ファース辺境伯。重要部分であるミスリルは確保出来たのだが、外側に使う鉄は手に入らなくてな」
まずは謝っておく。ついでにこっちも頑張った的な雰囲気を出しておく。実際は『ダンジョンを造ろう』のクエスト報酬をそのまま流用しているので、何も頑張っていないのだが。
「いえ、お気になさらず。これに書かれている程度の鉄でしたら何の問題もなく集まりますので。……ただ、書かれている後半の方がまるで関係ないことで困惑していただけです。クラース、何故ゴミ処理について書かれている? あの魔物は利用価値がなく処分に困っていたのではないのか?」
ああ、何の問題もなく集まる程度の量なのか。それは良かった。
それとゴミ処理については、さっきやったことなのだろうな。あれを既に報告書としてまとめていたとは。いつの間に……。
「それらはここに来る前に寄った、調理場と倉庫のゴミを粘液生物が処理してくださった一覧になります。ちなみに今もゴミ処理のために動いてもらっております。あの処理速度から考えてすぐに終わると思いますが。そちらは後で報告をいたします」
「……道理でノブナガ殿が来訪の報告からここに来るまでに時間が空いたわけだ。粘液生物のゴミ処理はアンダルから報告で聞いてはいたが。ノブナガ殿、色々と迷惑をかけたようで申し訳ない。ゴミを処理してくれた報酬は後程お渡しいたします」
「いやいや、報酬など……。義手を直すための費用として使ってくれ」
報酬などと断ろうと思ったが、いずれは粘液生物を貸し出すことを考えているのだ。無報酬の前例は作りたくない。だから義手を直すために使ってもらう。
しかし粘液生物から考えたらご飯を貰えた上に金も貰えるのか。羨ましいな。
それからしばらく、ファース辺境伯と雑談を交えていると。
「……はい。分かりました。すぐに向かいます。ノブナガ様、オルギア様が来られたとのことですので、迎えに行って参ります」
あの狭い鍛冶場からオルギアが出てきたようで、クラースが迎えに行った。
「オルギア、とは先程の話に出た?」
「今回の主役と言えば良いのか。義手を付ける大悪鬼だ。まあ、その腕を斬り落としたのは配下の者なのだが」
「それは……。あまり良い関係ではないのでは?」
「いや? むしろ仲が良い方だろう。種族は違うが、同じ実力者と言うことで模擬戦をしている。むしろ、同種族の方が諍いが多い」
人族と魔族なら意外に仲が良い事の方が多い。むしろ魔族と魔族の方が色々と衝突がある。
「それは、統治者としての悩みですな」
「ああ。この間などは……」
折角なのでファース辺境伯に助言でも貰おうかと話をしようとしたところ、扉の方から何かが壊れる音が聞こえた。
何かと思ってみてみれば。
「……ノブナガ殿。今日は天気が良い。外で話をしないか?」
「……助かる」
そこにはオルギアが何とか部屋に入ろうとして、扉が外れて困っている光景があった。
外、というから庭園でもあるのかと思ったが、連れて来られたのは騎士団の訓練場。そしてここは茶を飲む場ではなく、騎士団全体の動きを見るための台の上。
オルギアは騎士団を相手に模擬戦を行っている。と言っても正面から堂々と戦わず、適度に距離を取りながら石を投げたりして地味に攻撃しているだけだが。
「なるほど、ノブナガ殿の子の噂だけでそれだけの騒動に。慕われている、と言えばよいのでしょうか」
「度が過ぎるのも困りものだがな。興味のない者は一切興味を示さず、興味のある者は異常なまでに執着しているように思える。それも個人ではなく、種族単位でな。何か良い解決策ないか?」
そこで俺は、ファース辺境伯に助言を求めている。長年人族の町を治めて来ているのだ。この程度のこと簡単に解決してくれるに決まっている。
「そうですね。要は誰がノブナガ殿の隣に立つのか、と言う話ですから決めるのが一番、と思われるでしょうが悪手です。一番を決めれば二番、三番も決まり順位争いに発展します。面倒なことに、争うなと命令しても水面下で争うだけで何ら変わりません」
欲と言うのは豪が深い。俺には理解できないものでも、他者にとっては喉から手が出る、いや殺しても奪い取りたいこともあるのだろう。
「ですので、最善は後継者を決めることですね。その手の問題が起きる理由は後継者がいないためでもあります。勿論、後継者が決まれば完全に解決するわけではありませんが、ある程度は収まると考えて大丈夫かと」
後継者か。……後継者と言うより俺の代わりと考えるべきか。俺の代わりに全部やってくれて、俺を私室で遊ばせてくれる存在。……いねえな。
候補で言えばオルギアやスズリなどが挙げられるが、オルギアはある程度は信用を勝ち取れてきているがまだ関わりの薄い魔族がいるし、スズリは魔族たちに大きく出られない。
「おや? ノブナガ様。何のお話をしているので?」
「ああ、後継者についてな。というか、早かったな」
オルギアの後ろには負けた騎士団たちが反省会をしている。全員がやられたわけではなく、被害が半分に達して敗北判定を受けたようだが。
「少々よろしいですか? オルギア殿。いつもあのような戦い方を?」
自分の所の騎士団がオルギアに手も足も出ずに負けたとあって焦ったのか、ファース辺境伯が割り込んできた。まあ、気持ちは分かる。だからファース辺境伯の言葉をそのままオルギアに伝える
「いえ? いつもはもっと単純に殴り潰しますが、今回は人族の集団でしたのでノブナガ様が以前に教えてくださった戦い方を実践してみただけです」
戦い方? 俺がいつ教えたんだ?
「自分の得意な場で戦うか、相手が苦手とする場で戦うか。今回は相手が苦手とする方を選び、ひたすら相手の間合いの外から攻撃をしていました」
ああ、ここに来る前に訓練でした話だな。オルギアは以前に冒険者のパーティーと相打ちになった話をして、集団戦の強さを教えた。それと一緒にオルギアにその場合の打開方法の一つして提案したことか。
人族に比べ、大悪鬼の身体能力に優れている。力が強く足は速い、でかい上に持久力もある。だから逃げながら戦えば相手は追いながら戦う必要が出て、陣形を維持できない。陣形が維持できず、連携が上手く出来なければそれは集団ではなく個が多くいるだけ。個が多いだけなら負ける要素は減る。そんな話をしたな。
まあ、アリスのような強力な個は相手には一切関係のない話なんだが。
「なるほど。自分の得意な戦いをするか、相手に得意の戦いをさせないか。今回は後者で戦い、この結果と。侮れませんな。ご教授感謝します」
そんな大層な話ではないと思うだけどね。ただオルギアが強かっただけだととらえることも出来るし。
「それで、話を戻しますが。後継者と言っていましたが、ノブナガ様の寿命が近々尽きるのですか?」
「それはないと思うぞ? 俺自身いつ寿命が尽きるのか知らないが。ただ、決めておいて悪いものではないだろう?」
当分は寿命が尽きることはないと思っている。だってまだ生まれたばかりだし。この卵のような肌から死にかけとは思えない。
ただ、オルギアの顔は渋い顔だ。俺の寿命が尽きるの?
「後継者は、難しいと思います。現状はノブナガ様がいるから皆がまとまっているようなもので、代わりに誰かを立てても誰もついては行かないでしょう」
オルギアでも、と聞けば当然とばかりに頷かれた。そうなのか。
しかし何故後継者の話など、と聞かれたのでこの間の暴走が原因と説明するも。
「……すみません。何故その話になるのでしょうか?」
いつも理解の早いオルギアが不思議と首を傾げた。そこまで難しい話をしたつもりはないのだが。
「ノブナガ様の子を産むのと、後継は別では? ええ、分かります。ノブナガ様の子であれば優秀でしょう。しかし、皆の上に立つのはやはり実力のある者でなければ」
……何かが噛み合っていない? オルギアが誤解しているとも思えないし、前提が狂っている?
人族のファースに通じて、魔族のオルギアに通じない。別にオルギアの頭が悪いわけではないのだから。
人族と、魔族……。
「オルギア、もしも俺に子が出来たら仕えたいか?」
「いえ? ノブナガ様以上に優秀で慈悲深く、叡智溢れるなら別ですが」
ああ、なるほど。
「血統の概念がないんだな」
理解できない様子のオルギアとは対照的に、ファース辺境伯は驚いた顔を見せる。
血統とは歴史だ。歴史は権威となる。そしてその権威を、この前まで俺の配下は知りもしなかった。
考えてみれば、血統を気にしているのは人だけか。
「血統と言うのは、何と言えば良いのか。その血筋だと特別、みたいな考えだ」
「分かりませんね。血が特別いうのは。実力のある者が、個人こそが特別であり、血が特別いうのは分かりません」
だろうな。血統を否定するつもりはない。遺伝などもある。しかし環境や個人の努力の方が上だとは思うよ。
となると、もしかして俺と魔族たちでは価値観がやや異なるのではないか?
「オルギア、何故ランたちが争っていたか分かるか?」
ここで確認しなければ、何かとんでもない思い違いをしているかもしれない。
「それは、ノブナガ殿の子を産むためでは?」
何だ、思い違いなど……。
「雌が強い雄を欲するのは当然です。そこに思惑があるとすれば、強い雄の子を産めば、子も強くなりやすいですから。強い子を産んだ母体は他の母体よりも優遇され、他の雄も寄ってきます。強い子を産める母体として。強い子を残すのは当然のことですから。……む、先程の血統の話が若干理解できました」
滅茶苦茶していた。強い子を産む? 後継者を作るなどは一切考えていなかったのか。
「まあ、これは魔族の一般的な考えですが、ノブナガ様の配下の魔族は違うでしょう。様々な知識に触れ、もっと複雑な思惑があるかもしれません。それに、強さの定義も変わりつつあります。魔族の強さとは戦闘だけでしたが、物を作る、畑を耕すなど戦闘以外のことの重要さに気付いております。皆強さとは何か悩んでいるかもしれません。その点、ノブナガ様は確実に強いと言えますが」
人の考えじゃない。野生の考えか。当然だ、今まで大自然の中で生きてきたのだから。弱肉強食の世界だ。当たり前の考えだ。
しかし俺の配下となり、小さな文化を築いていくうちに、考えに変化が起きていると。つまり、今は魔族と人族の考えの間にいると。
何か、魔族と人族の考えに共通な場所はないだろうか。
「母体。いや、子は、子は重要だと思うだろう?」
「ええ、まあ。ただ、子は種族ごとにいつ子と定めるか違いますから」
種族ごとに子の定義が違うのか……。
「例えば小悪鬼は産まれた小悪鬼をすぐに子とは考えません。少しだけ養い、歩けるようになれば一人で狩りに行かせ、帰ってきたら群れの子として迎え入れます。狩りが出来ず、帰って来なければ群れの子とは認めず、いなかったことになります。まあ、蜘蛛人はもっと大変ですが。一度にたくさん産まれますから、産まれたのを全て外に追い出します。そしてある一定期間生き延びたら子として迎えに行くと聞きましたね」
所詮大自然は弱肉強食。強くなければ生き残れない。それは生まれた時から始まっていると。恐ろしい世界だ。
「なるほど、産んでも子ではないと。では孕んでいる母体が死んだとしても子が死んだとは考えないのか」
「当然です。産まれてないですから。腹から出てようやく産まれたと言えます。腹から出る前に死んだのであれば、それは膨れた腹の中に居た何かです」
何とも恐ろしい世界だ。しかし余裕がなく、今を生きるのに精いっぱいであればそんなものか。
しかし、そうなると……、
「ファース辺境伯、今の話は分かったか」
「え、ええ。魔族語の聞き取りだけならクラースが出来ますので。ただ、随分と壮絶な世界ですな。帝国も実力主義ではありますが、魔族ほどではありませんでした」
はたしてこれを実力主義といって良いのか。まあ、今はそんなことはどうでも良いのだ。重要なのは。
「ではファース辺境伯。今のを加味して上で、助言を貰えないだろうか」
「……申し訳ない。私程度では、ノブナガ殿の悩みに答えられそうにない」
ですよね。考えがまるで違うんだ。解決策など思いつくはずもない。
俺の悩みはまだまだ続くのか。
「はい? セルガン様が?」
オルギアが鍛冶場から追い出された話を聞いていたら、メイドから報告を受けたクラースがどこかで聞いた名前を口に出した。
どこだったか。セルガン、セルガン。ああ、ファース辺境伯の息子か。
彼が今、ファース辺境伯の屋敷に来ているらしい。休みでもとったのかな?
挨拶程度はした方が良いか、後で会いに行こうと考えていると向こうが来た。それも非常に慌てた様子で。
「父上、大変だ! 帝都で反乱が起きて、陛下が、皇帝陛下が」
次の言葉はおそらく、誰にとっても最悪な言葉だった。
ギルが、死んだ。