第百十七話 代償
やはり樹霊の感知能力は低い。
身を隠す場所もなく、死角からゆっくりと近づいているだけなのに気付く様子がない。
勘の良い魔物や魔族は背後から近づこうとも気づく。隠密活動を得意とする俺だけなら気づかれないのも分かるが。
後ろでドスドスと、隠しきれていない足音を立てて付いてくる素人以下のトドンが居ても気づかないのだ、もはや鈍いと言っても良い。
「おい、ライル。ちと早くないか。もう少しゆっくり移動させろ」
は? 隠密重視の為に十分ゆっくりのつもりなのに。ドワーフにとってはこれでも早いのか。……だから足音も立ててしまうのか。
「すまん、おっさん。あともう少しだから頑張ってくれ」
今の速度で気づかれない以上速度を落とす理由はない。接近するのに時間が掛かればその分気づかれる可能性も増すのだ。気付かれるとは思っていないが。
ただそれでも樹霊に最接近する時くらいは慎重になる。触れられる距離だ、鈍くても気づかれるかもしれない。
「おっさん、準備は良い?」
「いつでも良いぞ」
武器を構えて小声で確認を取る。
やることは簡単。俺がナイフで×印をつけて、そこにトドンのおっさんが斧で一撃を叩き込む。その後は逃げる! これだけ頑張れば旦那も少しは許してくれるだろう。
ただ俺は逃げられる自信があるが、トドンのおっさんは厳しいだろうな。旦那が残したものに期待してくれ。
確か穴があいていたのはここ。で、炎の槍が刺さった角度と長さを考慮すると……。
ふっと息を吐いて二連撃。まるで肉に刃物を突き立てるようにあっさりと×印が付いた。
……あれ?
手応えに僅かな違和感を覚えるも、素早くその場を退く。
その直後、トドンの斧が深々と樹霊に突き刺さった。
そして。
何も起こらない。
やっちまったかー。
こちらの成果はトドンのおっさんによる一撃だけ。
代償は樹霊の注目。
「良し、逃げる」
そうと決まれば躊躇はない。即座に反転して足に力を入れる。
ただ、それを樹霊が許してくれるかと言えば、許してくれるわけもなく。
足元が僅かに盛り上がる。羽虫を払うかのように、根を動かそうとする。
まさに絶体絶命、そんな時に。
炎の槍が飛んできた。
イフリーナの魔法だ。俺たちを逃がすためか、炎の槍が俺たちがいる場所に集中しており、樹霊も炎の槍を防ぐのに手一杯になり俺たちに手を下す余裕はない。
今の内だ。
樹霊に背を向けて走り出す。
感謝、感謝、と心の中で礼を言い続けていると。
背中に何かの衝撃、そして音と共に来る熱風。
気が付けば俺の身体は僅かに宙に浮き、凄い勢いで木に接近し。
何も出来ないまま激突した。
ライルとトドンがやりやがった。
樹霊に深い斬り込みが入り、僅かに白い何かが見えた。あれは、蜘蛛人の糸で作られた袋だ。
ライルについては俺を見捨てた以上、のこのこと戻ってきたら『なまごはん』の刑に処すつもりだったが、この功績で相殺だ。
「イフリーナ、攻撃しろ!」
「あん? セルミナから休憩しろ、って言われてるからヤダ」
千載一遇の好機だと言うのに、イフリーナは優雅にセルミナの膝枕で寝ながら拒絶する。
セルミナも突然の事態に慌てるものの、どちらに付くかは決まっていたようで。
「あの、イフ姉は先程まで頑張っていたので」
頑張っていたなど関係ない。今この好機を逃すことは出来ないのだ。というか、イフリーナを休ませろと言ったが怠けさせろと入っていない。まずはセルミナを説得して……駄目だ。遅すぎるし、説得ならイフリーナに直接した方が早い。
「イフリーナ、樹霊の端、トドンが傷つけたあの場所が分かるな。あそこに『ファイアランス』を叩き込め!」
「断固として」
「そうすればお前の炎は劇的に進化する」
ピクリとイフリーナが反応する。
「ほう、どういう意味だ?」
「圧倒的な破壊力を得るだろう。あそこに当たれば」
「ちょ、イフ姉! 食べ過ぎだし、疲れているんだから安静に――」
「よっしゃあああぁぁぁ! 『ファイアランス』」
これほど単純な奴は居ないだろう。飛び起きると同時に炎の槍を斬り込みのある場所に飛ばす。無茶苦茶な体勢からの攻撃だったはずなのに狙いは正確無比。そのまま行けば確かに当たっていただろう。
樹霊が根を動かして防がなければ。
それからもイフリーナは連続で炎の槍を飛ばすが、残念ながら全て防がれてしまう。
「無理です! 先程まではアリスさんと共に攻撃していたからいくつか通ったものの、イフ姉一人では樹霊の守りを突破できません」
確かにセルミナの言う通りだ。現状ではイフリーナの攻撃は全て樹霊に防がれている。一か所を狙っている所為か、余計に防ぎやすいのだろう。
ただ、それなら簡単だ。
「イフリーナがもう一人いれば良い、それだけおええぇぇ!」
俺がイフリーナになって攻撃に参加すれば解決する。しかし現実は残酷だった。
イフリーナに姿を変えた俺に襲いかかる吐き気。胃そのものが暴れ、口から出て行きそうな苦しみ。いっそ胃を出して中身を取り出したいほどに膨張している気がする。
しかし俺の口からは声と空気が漏れるだけ。イフリーナに姿を変えても胃の中身まで同じわけではない。ただ、イフリーナの感覚が残っていて俺に襲いかかっているだけだ。
この感覚を受け続けているイフリーナは前で元気よく暴れている。満腹どころかフォアグラにされるアヒルの気持ちが分かるくらい苦しいはずなのに。
自分の魔法が強力になる。それだけで高揚し精神が肉体を凌駕したのだ。
しかし俺は身体だけイフリーナであり、精神は俺だ。肉体を凌駕できず、ただ苦しむしかない。むしろ吐き気があるのに何も吐けない苦しみを味わいことになる。
「とはいえ、何もしない訳にはいかんだろうが……」
必死に苦しみに耐えながら一本の炎の槍を生み出す。
普通の炎の槍よりも密度を濃く、小さくする。狙いたいところに届けばいい、大きさは必要ないのだ。
「追従しろ、『ファイアランス』」
イフリーナが放った炎の槍の後ろに放り投げる。
小さいため樹霊から見ればただの炎の槍だろう。多少見られる角度が悪くても少し長い程度。気にされることはない。
真価を発揮するのはイフリーナの炎の槍が防がれた瞬間。根の壁で防がれてもその根には炎の槍があけた穴がある。その穴を通り、樹霊目掛けて飛んでいく。
防いだ、と思った所に通り抜ければどうしても対処が僅かに遅くなる。そして当たる先が自身の身体の端と悟れば、見逃してもと考えてしまう。
それこそが命取り。
炎の槍はトドンが切り開いた隙間に見事に入り込み。
爆発を引き起こす。
「ギャアアアアアァァァ!」
その爆発は樹霊の悲鳴すらかき消して、衝撃が全身を震わせる。
威力はと見れば。地面は抉れ、下の方だけだが樹霊の幹が五分の一程吹き飛んでいる。オルギアですら入れそうな大きな窪みが出来ている。
しかしそれでもまだ、樹霊を倒すには至らない。
「全員! 突撃なさい! あの傷口を広げなさい!」
勝機と見たランが号令をかけて突撃していく。
そう、あの爆発跡を広げれば樹霊を切り倒すには十分。
「イフリーナ、セルミナ。根や枝を壊して援護に回れ! アリス、突っ込じゃああぁぁぁ!」
後は物理的にやる。イフリーナの姿からアリスの姿となり、アリスと共に突っ込もうとしたが、アリスの姿になった瞬間に全身が引き裂かれ、内と外から突き刺すような痛みが身体を支配した。
アリスは満身創痍の状態で今まで樹霊と戦っていたのだ。無理をすればその分身体が悲鳴を上げて痛みは増す。痛みに慣れているアリスならともかく、怪我を滅多に負わない俺の痛覚ではこの痛みに耐えることは不可能だった。
先程までのイフリーナとは比較にならない。意地でどうにかなるわけもなく、集中などもっての外。痛みで転げまわるとそれの所為で余計に痛くなり身体が悲鳴を上げる。ついでに俺も悲鳴を上げる。
永遠に続くかと思われる痛みだ。何故アリスが耐えられるのか意味が分からない。
「……何やっているんだ? まあいい、私は先に――あ」
プツン、と何かが切れる音と共に走ろうとしたアリスが倒れた。そして身体を確認するように手を動かすと。
「……ふむ、足が動かん。腱が切れたか? ノブナガ、お前のダンジョンで治るか?」
知るかああぁぁ!
というかこのままアリスの姿でいると腱が切れる苦しみまで味わうことに!?
すぐに元の姿に戻り安全を確保する。足は、大丈夫だ。ちゃんと動く。
しかしまだ痛みが表面上に残っているため、痛みが消えるまでじっとする。
ここは配下達に任せるしかないか。




