元平鹿
白く刷いた筋雲どこか薄寒い秋の空、鬼次郎は険しい顔で眺めていた。
伊佐は来なかった。誰も理由は知らなかった。だが、何かが悪いことだけはわかっていた。
鬼次郎は男衆宿に顔を出した。適当な場で座り胡坐をかく。みな眉間に皺、糞でも食ったような顔をしていた。
謀議が巡らされていた。このままでは冬、飢える。
半球に掘られた炉で火がたかれ、オトナ五郎八は串刺しのシコを齧っている。薄暗い男衆宿の中で、火の照りが顔だけ浮かび上がらせている。白煙がゆらゆらと円錐形の屋根を昇り、天窓から逃げていく、その青さが鬼次郎の目に沁みた。
誰も何も語らない。時おり細かな目配せで意思を読み合っている。
王居三河に攻め込むのだ。こんなことは昔にもあったことだ。シコさえ獲れない。
ひとり、またひとりうなづいていく。口元を引き締め、己がなにをしようとしているか確認している。
鬼次郎は上体を投げ出して寝そべった。もう決まった。
若衆は真っ先に浜を駆けていくのだ。
なによりも米、ここにないもの。女も狩り放題、気に入れば縄で縛って連れ帰る。鬼次郎の若い血潮を滾らせるモノ。女の着物をまくったシシド。
牟婁から志摩。このあたりまでなら庭だ。浜では潜り女が火をたいて暖を取っている。入り組んだ崖、点在する島、岩礁の深さ、すべて知り尽くしている。そこから神島、そして豊浜。五郎八は考えていた。四、五時間か、帆を上げれば三時間。
十二人集まった。牟婁の衆と近郷のやはり飢えた者ら。丸木を手斧でくり抜いた船底、その下は地獄。それに比べれば、人の群れなど容易いもの。
どお、どおと船首が紺碧の海を打つ。
今夜は神島で泊ろう。払暁を期して、攻め込む。
小佐の浜に乗り上げた。船を引き揚げると、弾かれたように鬼次郎が屋に突進する。
莚を上げると、炉にはまだ煙が残っていた。土器で汁でも煮ていたのか。
いや、気づかれたのか。鬼次郎の顔から血の気が引いた。麻袋があって、触ってみると米だった。視線を移すと、甕と器。木蓋を取ると酒の臭いが立ち昇った。
鬼次郎は外に出て五郎八を呼んだ。呼ばれた五郎八は理解した。
折角だ、ご相伴にあずかろうではないか、みなを呼べ。
海賊どもは車座になり、わずかに米の入った汁を肴に酒を飲んだ。
今夜はここに泊まる。
どうする。これしきの米では、われら顔が立たん。
明日は内海に行こう。あそこなら、もう少し米があるはずだ。
翌朝、海賊どもは北上した。屋に押し込んだが、今度はなにもなかった。
もう帰ろうと、五郎八は言った。
師崎を回って三河に攻め込もう、と言う者もいたが、五郎八は肯首しなかった。
草を食ってもいいが、命は粗末にすべきではない。
元平鹿 元陛下とも。熊野海賊、後には今平鹿
伊佐 くじら
オトナ 成年男子。特に四十歳程度の村の推進力
シコ イワシ。時にカタクチイワシ




