死別の話
亡くなった祖母に
死に関する話です。内容が重めとなっております。読まれる方はご注意ください。
人間はいつか必ず死ぬ。
死んだ後にいくところは,無である。
死んだ者は生き返らない。
デスノート12巻の最後に出てくる文章です。
7月23日の夜,祖母が亡くなりました。死は生きとし生けるものすべてに平等に訪れます。現代の医学や科学では絶対に避けることのできないものです。
また死別とは人生におけるとくに大きなインパクトをもたらします。しかし死に関する研究は心理学ではタブーとされ続け研究を行ってきた人はほとんどいませんでした。
そんな中,タブーとされるこの課題にせまったのがキュブラーロス(1969)です。キュブラーロスは死にゆく人が5つの段階を踏んで死を受け入れることを示唆しました。
第一段階 拒否とショック
自分は死なない,それは絶対嘘だと否定すると同時にショックを受ける。
第二段階 怒りといらただしさ
なぜ死ななければならないのかという憤慨が起こる。
第三段階 懇請
ある行動や犠牲的供物を捧げることで,死をなんとか延期してもらおうと懇請する。
第四段階 うつ状態と受容の始まり。
うつ状態は,臨死における最も一般的で長期にわたる反応であるが,死は避けられないものとして,ついには受容がはじまる。
第五段階 受容
死に対して肯定的な態度になり,死は人生の完了として思われるようになる。
死は恐ろしいものだと言い切るべきなのでしょうか。そこに答えはありません。千原(2006)は「死は長い旅の一つの休息とも考えられます。疾風怒濤のとき,順風満帆のときなど旅を終えて,やっとくる休息のとき。どんな旅だったかを回想しながら,休息につくのも一つかもしれません。」と述べています。
経験していない以上,実際にどうだということはできません。ただ人はいつか死に,体はただの肉となってしまいます。それまでどう生きるかが重要なのでしょう。人生を全うしたのかわかりませんが亡くなった祖母にはお疲れ様でしたと声をかけてあげたい。
死別は周りの人にも多大な影響を与えます。特に影響が出ると言われているのが潜在的(無意識の)自尊感情に対する影響。死別を経験すると潜在的自尊心が低下します。さらにその経験が社会的痛みになり,続いてしまった場合,いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)とされます。しかし,死別を乗り越えた場合,潜在的自尊感情は乗り越える前に比べて上がるとも言われています(堀内ら,2016)。
どんな結果になるにせよ,死別とは潜在的自尊感情に影響を与えています。身近な人が亡くなったあと,飄々としている人でも潜在的にはダメージを受けているのかもしれません。
唯一,存命だった父方の祖母が亡くなりました。しかし単位のために通夜にも葬式にも出席しませんでした。祖父が亡くなったときも,祖母に勉学を優先しろ葬式には来るなと言われていたからです。祖父母不孝な孫と世間的には思われるかもしれません。家系の宗教観なのか死んでしまえば終わりであり,所詮肉にすぎないという考えなので,冷たく思われることに対してはあまり気にしてはいませんが,もう二度と会えないと思うと寂しく思います。
大場つぐみ原作,小畑健作画(2006) デスノート12巻
堀内隆裕,大江朋子(2016) 死別の体験と潜在的自己認知の関連 攻撃性IATと自尊感情IATを用いた検討
千原美重子(2006) 人間関係の発達臨床心理学 自己表現への旅立ち